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異世界人アマネ ブルストとエールのお預けを食らう





 私はその日、人間性に問題があっても音楽性とは関係ないという不公平な事実をまざまざと見せつけられてショックだった。


 だって、傲慢でかつ独断的、傍若無人を着たような奴でも私の理想の音を鳴り響かせるんだもの。私は「神さまずるいです」って思わずつぶやくしかなかったの。






 今日の私はご機嫌だった。


 ブーツの音も軽やかに、私は家路を急ぐように歩いていた。


 すれ違う人の視線が時々気になるのは、たぶん私が外套のフードを深くかぶっているから。動きやすいパンツスタイルに外套を羽織ってフードをかぶっているのって、客観的に見れば割と不審者スタイルだもんね。


 買い出しに行った市場で、とてもおいしそうなヴルストを見つけたし、野菜はオマケしてもらったし、こうなったらエールも一緒に飲んじゃおうと奮発して買っちゃった。


 ヴルストっていうのは、茹でて皮をむいて食べる、いわゆるソーセージのこと。エールってのは私が元いた世界でいうビールみたいなもので、冷蔵庫がないこの世界ではぬるいまま飲む。それでもあの苦みとシュワシュワと喉を通る刺激がおいしくて、いつの間にか私は大好きになったお酒。


 ちなみに元いた世界、というのにはちゃんと訳がある。


 私の名前は富木とのぎ 天響あまね、現在24歳。


 高校卒業後、調律師の養成学校を2年で卒業してそれからさらに2年ほど海外留学してから、はれて調律師となった新人1年目が終わる頃。


 いってきますと元気に扉を開けた先が自分の住んでいた世界とは違う世界に通じていたなんて、誰も予想できないよね。


 しかも、その世界がハマって読んでいた小説の世界だなんて。


 『音大を目指していたら異世界で聖女になってしまった件。私の演奏スキルで世界を救って見せましょう!』って今時の異世界転移ものの小説。それがこの世界だった。


 最初この世界に来たときは何が何やらさっぱりわからなかったけれど、よくよく話を聞いてみればシンフォリア王国という国の名前も、この世界における魔力の扱い方も、すべて小説の中の設定とまるっと同じだった。


 初めは夢だと信じたかったけれど、現実を見せつけられて私は自分が小説の中の世界に転移してきたことを認めた。というか認めざるを得なかった。


 認めちゃった方が気持ちも楽だったし、頬っぺたをつねるなんて古典的なことをして見たけど、痛かったんだもん。


 そんな異世界転移があってからなんやかんやありまして、今はシンフォリア王国の地方都市ラウルゴに住んでから、もう一年以上は経っていると思う。


 人間、必要となればなんとでもなるんだなって実感しながら私はこの街で生きている。


 ご機嫌な足取りで市場から少し離れた場所にある私の職場兼住居の工房に戻ってくると、工房の前に見慣れない豪華な馬車が一台止まっているのが見えた。それから、工房の戸口では誰かと師匠がもめている様子も。


「んなこと言われてもよ、俺はいかねぇからな」


「そんなこと言わずにお願いします! もうあなたしか頼れる調律師がいないんです!」


「それはお前の主人がわがままなだけだろう。俺を巻き込むな」


 どうやら身分ある人につかえている従者が師匠のもとに調律の依頼をしに来たようだ。けれども、それがなぜもめる原因なのかがわからない。


「師匠、どうかしたんですか?」


 かぶっていたフードを外して、私は師匠に声をかけた。


「ん? ああ、アマネか……ふむ、待てよ」


 私のことを見た師匠の茶色い瞳が眇められ、いつも気難しそうな顔をしている師匠の眉間に刻まれたしわがさらに深くなるのを見て、私は嫌な予感を覚えた。


 すっかり白くなったぼさぼさの髪を師匠はポリポリと掻きながら、少し考えるように天を仰ぐ。それから少し間をおいて、師匠はいいことを閃いたと言わんばかりににやっと笑うと、「俺はいかねぇが、そいつを俺の代わりに行かせよう」と信じられない言葉を吐き出した。


 いやいやちょっと待ってくださいよ? なんでちょっとめんどくさそうな雰囲気のことを師匠が勝手に決めちゃってるんですか?


 師匠の言葉に、それまで師匠と何かもめていた従者がものすごく胡散臭そうに私の頭のてっぺんからつま先までを何度も見て品定めしてくる。


 いや、まあ。胡散臭いなって思う気持ちはわからないでもないわよ? 私だってこんな小娘って思っちゃうもん。


 でも正直その視線は気持ちの良いものではなくて、私は居心地の悪さに従者から視線をそらせた。


 ややあって、ハッと従者が息を飲む音が聞こえ、「その黒髪に黒い瞳……異世界人か?」と呟く。


「ええ……まあ、そうですけど……」


 元の世界で言うところのアジア系なら大体の人が持っている黒い髪と黒い瞳は、この世界には無い色らしい。そのせいで私はすぐに異世界人だとバレてしまう。バレたところで何か悪いことが起きるわけじゃないし、何なら気の毒がってくれる人も多いので、普段の生活では困らないのだけど。


「しかも、そんなに髪が短いのに女性ですか!?」


 何気に失礼なおっさんだなぁと心の中で思いつつも、表情には出さない。


 この世界の女性は、幼い頃を除いてみんなロングヘアが当たりまえ。髪の短い女性は今のところ一人も見たことがない。


 あと、体の凹凸はあんまりはっきりしていない……中性的な体系をしているから、よく少年と間違えられる。余計な情報だけど。


「アマネは異世界人だし女性だが、調律師としての腕は一人前だ。それは俺が保証する」


 師匠がまるで自分のことを誇るように、私について口添えしてきた。


 けれども、話が全く見えないの。


「なんのことですか、師匠」


 さっきから一体何の話をしているのかさっぱりわからなくて、私は怪訝な顔で師匠を見た。


「アマネは、神殿ピアノがどんな役割をするかは知っているよな?」


「一応は……」


 この世界は私が元々住んでいた世界とは全く違う法則で成り立っているところだった。


 貴族を中心に魔力を持っている人がいて、その人たちは一定の条件を満たせば魔力を消費して様々な不可思議な現象を起こすことができる。


 ファンタジー小説によくありそうな法則だけれど、少し変わっているのはその魔力を引き出すための一定の条件というのが、楽器を演奏することだった。


 そもそもこの世界は私が元いた世界で読んだ小説の世界。


 だからこの世界の「設定」については大体理解している。


 さっき師匠の言っていた「神殿ピアノ」というのは、ざっくり言うと世界を蝕む瘴気を浄化するために演奏する特別なピアノの事だ。


 この世界の各都市や町や村など、人の住む集落には大きさの違いはあれど必ず神殿がある。


 そしてその神殿に置かれているピアノを聖楽師と呼ばれる魔力を持った演奏家が奏でることで、瘴気に蝕まれた大地や空気を浄化し、人々の生活を守っていた。


 実は、この世界には瘴気と呼ばれる例えるなら有毒ガスみたいなものが漂っている。それはじわじわと大地を腐敗させ空気を汚染し、人の体を蝕む。


 いわゆる空気汚染や土壌汚染による公害みたいなものなんだと理解した。


「定期的に瘴気を浄化するために一年に一度、王都から派遣された聖楽師が神殿ピアノで『浄化聖曲』の演奏を行うんですよね?」


「ああそうだ。それで、そいつの主である聖楽師が神殿ピアノの調律をしてほしいと頼みに来たんだ」


 つまり、調律師である師匠のところに仕事の依頼が来たというわけだ。


「じゃあ師匠が調律をしに行けばいいじゃないですか」


「俺はもう引退した身だ。神殿ピアノなんてめんどくさい調律なんてごめんだな。それに、元々専属の調律師がいるだろう?」


 私はちらりと調律を依頼しに来た従者を見ると、彼は困ったような表情でなおも師匠に食い下がった。


「専属の調律師もですが、この街にいる他の調律師たちもみんな、私の主でとはどうも折り合いが悪いようでして……」


 他の調律師たちはと思ったら、どうやらすでに依頼済みの上に今回王都から派遣された聖楽師様ともめ済みだったみたい。


 うん、めんどくさそうな匂いがプンプンする。これは師匠でなくても、依頼を引き受けたくないって思っちゃうもん。


「アマネ、お前は前々から神殿ピアノの調律をしたいって言ってたよな?」


「それは、まあ……そう言ってましたけど」


 神殿ピアノっていうのは本当に特別なピアノで、私は未だに調律するどころか音を聞いたことすらない。いつかはそんな特別なピアノを調律してみたいって思ってはいた。


 けれども、だ。あまりにも急すぎる。それに、専属調律師の調律では納得せず、さらにはすでに何人もの調律師ともめているような聖楽師のところに行くなんて、どう考えても嫌な予感しかしない。


「じゃあ決まりだ、ほら、とっとと行ってこい」


「えっ!? 今からですか? だって今から夕食の準備とかありますし」


「んなもの俺がしといてやるよ」


 あやしい。私が弟子になってから師匠が食事の準備をしたことなんて一度もないのに。


「で、でもっ、エールちゃんとヴルストが私を待ってるんですよ!?」


「帰ってきたら好きなだけ飲ませてやるから。なんなら俺の秘蔵の果実酒も飲ませてやる」


 うっ……それは私にとっては殺し文句! 大酒飲みってわけじゃないけど、お酒を飲むことが好きな私にとっては、何よりのご褒美だ。


 師匠の秘蔵の果実酒は気になる! でも、それでも面倒な予感しかしないから行きたくない。


 そんな私の葛藤を見抜いてか、師匠はにやにやと笑いながら私が持っていた買い物かごを取り上げ、その代わりに調律に必要な道具をひとそろい入れてある道具かばんを私に押し付けてきた。


「ほら、お前さんも主人が待ってるんだろう? 早く行った行った」


 師匠に促されるままに従者と私は工房の前に止まっていた豪華な馬車に押し込まれ、そして馬車は私の都合などお構いなしに動き出した。






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