“灰掟”の黒騎士 セグラ・レメゲトン ②(少女二人、友誼を結ぶ)
カナンは真剣にセグラを見つめる。突然の言葉に、セグラは狼狽えた。
「えっ、と、友達?」
セグラから先程までの超然とした雰囲気は失われ、顔は紅潮していた。
「うん。わたしも父親が居なくて、お母さんにも、村の友達にももう会えないと思う。だから今のわたしには師匠しか居ない。それでもいいと思ってた」
「えっと、あっと……その……」
それまではきはきと喋っていた筈のセグラの口からは上ずった声が漏れるばかりで、上手く言葉を紡げていない。
「でも今は、セグラと友達になりたいと思ったんだ。もっとセグラの話を聞きたい。そっちからしたら迷惑な独り善がりかもしれないけど……ダメかな?」
「だ、駄目じゃないです!」
杖を両手でぎゅっと握りしめ、セグラは声を張り上げる。彼女の元に、食事を終えたグラシャラボラスが歩き寄ってくる。
「わ、私、その、近い年の子と友達になったことがなくて……黒騎士だし、魔術もこんな、気味悪いし……だから」
「そんな事ないよ!師匠と、ラーナさんと同じぐらいカッコいいよ!この子も最初は驚いちゃったけど、よく見ると師匠の右側みたいで可愛いし……」
「あっ!」
カナンは、セグラの元のグラシャラボラスに手を伸ばす。思わずセグラが声を上げ、ノアとラーナも身構える。
「グルル♪」
「よーしよし、アハハ」
グラシャラボラスは大人しく撫でられていた。楽しそうなカナンをセグラは呆然と見つめている。
「信じられない、グラシャラボラスが人に懐くなんて……」
「あれを可愛いと評するとは、意外と彼女才能あるんじゃないかい?魔術師としてね」
「…………」
ムガイの言葉にノアは黙ったままだった。
「……えー、では、こほん。貴女の気持ちはよく分かりました、カナン」
セグラはわざとらしく咳払いをしてカナンに向き合った。
「貴女の提案、謹んでお受けいたします。不束者ですが……これから友達として、よろしくお願いいたします」
「そんな畏まらないでよ!改めて、よろしくね!」
二人は握手を交わす。セグラの手は汗ばんでいた。
「セグラちゃんに友達が出来て嬉しいわ~」
「素晴らしい友情の成立だ!この絆は金を断つほどに固いものとなるだろうね!」
「……ありがとう、カナン」
微笑むノアの呟きは小さく、彼女たちの耳には入らなかった。
◇
「さて、これで亡霊退治は終わりです。お疲れ様でした、グラシャラボラス」
「ギシャアッ!」
セグラが杖を軽く回すとグラシャラボラスが唸り声を上げながら飛び上がり、虚空に消えていった。
「消えちゃった……あの子、どこに行ったの?」
「それは私も分かりません。彼らは肉体を持たない為、物質的な世界の住人ではないのかもしれません」
「肉……えっ?さっきは触れたのに?」
カナンは目をパチクリとさせて質問する。
「彼ら異界の妖異と結んだ契約は、レメゲトン家に従属する代わりに現世での器と餌を提供するというものです。先程は、術師である私が魔力で形成した器に彼を呼び降ろしました。そして彼がこの世を去ると同時に、器も消滅します。……肉体が無いのに食事を求めるというのも変な話ですが、そういう契約なのです」
「へぇー……凄いなぁ。その子達とは、セグラのご先祖様が契約したんだよね?ずっと受け継いでるなんて想像もつかないよ」
純粋なカナンの言葉に、セグラの表情は暗くなる。
「一族の開祖である伝説の魔術師……セレマ・レメゲトンは、この世ならざる異界とのコンタクトに成功し様々な契約を結んだと伝えられています。その手段は彼のみぞ知る秘術でしたが、彼は自身が結んだ〝全ての契約〟をその血に封じた。彼が亡くなった後も子孫は、強制的にその契約を継承してきました」
彼女は自らの手を見つめる。正確には、その中に流れる自分の血を見ていた。
「この血は……呪いです。契約には対価を支払い続けなければならない。私の両親は、戦死した後自ら呼び出した妖異に遺体を喰い尽くされていたそうです。……私は自分の身体に流れる血が、心底疎ましい」
「セグラ……」
幼いカナンにはかける言葉が見つからない。何とか慰めようとした時、セグラが振り向いた。陰鬱な表情を浮かべている筈のその顔には───挑戦的な笑みがあった。
「それ故に、私には夢があるのです!」
想定外の溌剌とした声に、カナンは硬直する。
「先程言った通り生まれは選べるものではなく、大事なのは何を成すか!生誕から呪われているなら、その呪いは自力で祓うまで!私は私の代でこの血に流れる全ての契約を破棄し、自由を手に入れます!」
きっぱりとセグラは言い切った。先程までの暗い表情は吹き飛び、不敵な笑顔でカナンを見据えていた。
「……この話をしたのはノア達以外では貴女が初めてです、カナン。応援、してくれますか?」
「……うん、勿論!セグラって思ったより前向きなんだね~安心したよ~」
カナンは破顔してセグラに手を回し、顔を近付ける。セグラは恥ずかしがりながらも受け入れて、二人で並んで部屋を出ていく。大人達三人は、水を差すことなくその後ろを歩く。
「その夢を叶える為には、まずレメゲトン家の契約魔術を極めなければなりません。だから今は黒騎士としての仕事も積極的にこなして経験を積んでいます。妖異への給餌にもなりますしね。まぁ当然、将来的には教会との契約も破棄する予定ですが」
「えー、じゃあ黒騎士も辞めるって事だよね?わたしは黒騎士に成りたいのに……わたしたちって逆の道を歩んでるね……」
「うっ……ま、まあ、カナンがその時黒騎士に成れていたら、私も……その、肩を並べるというのも悪くないかも……」
星も雲に隠された闇夜に、カナン達は明るく話し合う。
「うふふ、ああいうセグラちゃんが見れるなんてねぇ。普段と違って新鮮だわ~」
「年齢にそぐわず四角四面な子だからね。たかだか亡霊退治だと思ってたけど、思わぬ収穫があったねぇ」
「……そうだな」
珍しく機嫌の良いノアは、素直にムガイに同意した。
「あっ、そういえば」
カナンがはっとして振り返る。
「皆気にしてないからわたしも忘れてたけど、あの幽霊さんの弔いはどうします?」
ノア達に代わって、隣のセグラが答える。
「それは必要ないでしょう」
「えっ……私は寝てて聞いてなかったけど、あのお金持ちの娘さんなんだよね?死んで邪魔者扱いされて退治されるなんて、可哀そうじゃない?」
「いえ……あれはアロンソ家の娘ではありません。というか、誰でもありません。あれは……正確には、亡霊でも何でもないのです」
「??」
疑問符を浮かべるカナンに、セグラは続ける。
「ふむ……あれの正体については、これからセレスティアノ達にも説明します。ですので、その時に一緒に聞いて下さい」
◇
「……という訳で、亡霊は退治しました。もう屋敷に戻られても大丈夫ですよ」
黒騎士一行はアロンソ家の別邸に戻り、応接室にセレスティアノと使用人達を呼んで報告した。セグラと老紳士が向かい合って座り、それぞれの後ろにノア達と使用人達が立って控えていた。セグラの報告は非常に簡潔で明瞭なものだった。
「ほ、本当に……もう、事態を解決されたのですか……?」
「はい。信用できないかもしれませんが、もう亡霊は現れないです」
半信半疑の老紳士セレスティアノに対し、セグラは冷静沈着。互いの年齢が逆になったかのような佇まいだった。
「……分かりました、信じましょう。この街を何の見返りも無く救って下さった方々の言葉ですから。それで……」
セレスティアノは身を乗り出してセグラに質問する。
「娘の最後は、どうでしたか。何か言い残したりはしていましたか?」
それは親として、子供の存在を少しでも確かめようという切実な言葉だった。
「いえ、意味のある言葉は何も発していませんでした」
対するセグラは淡泊だった。情の無い対応に老紳士は言葉を淀ませる。
「…………では、娘の魂は……天の国へと昇れたのでしょうか」
余裕のないセレスティアノの質問にセグラは居住まいを正し、彼の目をしっかりと見つめて言う。
「ふむ、ここではっきりさせておきましょうか。心を落ち着かせて聞いて下さい。貴方が自身の娘だと思っていた亡霊は、只の魔力の塊に過ぎませんでした。あれには魂も人格もありません」
「なっ……」
老紳士が驚愕し、使用人達もざわつく。
「そっ、そんな、私は確かに見た!あの亡霊は確かに私の……」
「それです。その感情が亡霊を生んだのです」
セグラは平静な態度を崩さずに指摘する。
「貴方がたはご存知ないことですので、亡霊発生の原因について詳しく説明しましょう。少し長くなります。」
少女は居住まいを正し、落ち着いて語り始めた。
「我が一族の記録する所、聖戦以前の旧時代……死者の霊は概念として存在していましたが、実際に出現する事はありませんでした。ですが、聖戦を境に幽霊の出現が現実に確認されるようになりました。ここにある差異は何でしょうか?」
「それは魔力の有無です。旧時代のこの世界には魔力が存在せず、悪魔の侵入と共にこの世界に魔力が流入した……これは表の歴史に記されている通り。もし怨念のみで亡霊が誕生するなら、旧時代にも発生していた筈です。この世に現る亡霊は、魔力ありきの存在なのです」
セグラは古い歴史の話を始めた。4400年前の聖戦前後についての出来事は、エレフスの人間には広く教育されている。
「では魔力とはそもそも何なのか?結論から言うと、魔力とは魂から引き出されるエネルギーです。魂は、この世界とは別次元の位相に存在するとされています。その位相に満ちるエネルギーこそ我々が魔力と呼ぶものです。本来二つの世界の間でエネルギーが移動する事はありませんでしたが、悪魔は意図的に魂を通じて現世に魔力を引き出す技術を持っていました。侵略者としてやって来た彼らの技術が我々人間にも伝わり、互いに魔術を行使して戦う事で急速にこの世界に魔力が満ちていきました」
ここまで大人しく聞いていたセレスティアノが額に脂汗を浮かべながら反応する。
「……お、お待ちください!亡霊が魔力で出来ている……というのは納得しましょう。では、その核に死者の魂があるのでは?」
彼の意見は、エレフス人として極めて常識的なものだった。
「肉体と魂は世界を隔てて繋がっており、肉体の死と共に魂との接続も解かれます。魂は最初から最後までこの世界に存在していないのに、如何して〝地上に残った魂が亡霊となる〟などという事が起こり得ましょうか」
セグラが平然と放った言葉は、エレフスの常識を覆すものだった。国や第三教会が教える所によれば魂は肉体に宿るものであり、亡霊とは死後も天に昇れずこの世に留まる魂が変化したものだとされている。目の前の少女の言葉を理解しきれず、セレスティアノは絶句する。
「そして最後に、どうやって亡霊が発生するのかについて教えましょう。偏に、亡霊は情動によって生まれます。感情が昂れば魔力が高まるなど、精神は魔力に干渉する事が可能です。その為魔術師は魔力コントロールの為に精神修養を積みますが、理論上では一般人の感情でも大気中を漂う魔力に作用する事ができます。とはいえ、一つ一つの感情は微弱で不調和なもの。普通なら何を成すこともなく霧散しています。ですが多人数の強い感情が同じ指向に重なり束になった上で、奇跡的に大きな魔力を絡み取れた場合……その『思い』を象った何かが形成される事があります。即ち、死者に対する生者の思いの結晶……それが“亡霊”と呼ばれるものの正体です。恨んでいるだろう、憎んでいるだろう、そういったイメージがあの恐ろしい外見の原因となったのです」
ガタリ、と音を立ててセレスティアノは腰を浮かせる。
「…………とてもじゃないが、信じられません。では全て私達の……私の所為だったという事ではないですか」
「……そう簡単に受け入れられない事は分かっていました。生まれてから聞いた事もない情報に、混乱するのは当然の事です。私はただ不知に人が苦しむことを厭い、真実を説明したに過ぎません。どう解釈するかは貴方がた次第です」
そう言って、セグラは立ち上がる。後ろの仲間たちに振り向き、退室を促す。
「お待ちください。…………こちらが、今回の件の報酬となります」
セレスティアノは彼女を呼び止め、後ろから執事が進んで机の上に皮袋を一つ置く。それはあまり大きくはなかったが重さがあり、金貨が詰められているのだろうと推測された。
「それと……これから改めて、娘を弔おうと思います」
彼は俯いたまま、声を絞り出す。
「はい、是非そうしてあげて下さい」
セグラは彼を見ながら、にっこりと笑った。
◇
アロンソ家別邸から離れ、黒騎士一行は町中に戻っていった。時刻は既に夜半を過ぎ、未明に差し掛かっている。
「お疲れ様、カッコよかったよ!わたし後ろに立ってるだけだったけど、緊張した~」
「あ、ありがとうございます……」
カナンがセグラの手を握って労をねぎらった。セグラは手を握られて顔を赤くしていた。
「いやあ、レメゲトン家の知識って凄いねぇ。魔術師でも魂の所在や魔力の起源を知ってるのは珍しいよ」
ムガイは素直に感心している。
「……今回の件は非常に珍しい出来事です。本来亡霊は、戦場など大量の人間が死に膨大な感情が渦巻く場所で漸く発生するものです。これでは人が一人死ぬ度に亡霊が生まれる事を危惧しなければなりません」
セグラは落ち着きを取り戻し、神妙な顔つきをしていた。
「うーん、それは私も気になったわ。あの屋敷辺りの地脈に沢山魔力が溜まってたとかかしらねぇ」
「海の魔物の出現といい、この地域のバランスが崩れているのかもしれないな」
黒騎士達が真面目な話に盛り上がる中、ムガイが発言する。
「それより、そろそろ宿に向かわないかい?昼にラーナ君が戦い、夕食の宴会を挟んで深夜にセグラ君が戦いで徹夜になってしまったしね」
「ああ、そうだな。昼まで休んでそれから出発するとしよう」
そしてノアはカナンに声をかける。
「カナン、私達は元々ここの宿に男女で部屋を二つ借りている。私とムガイがアルハミリアを離れる際も部屋は借りたままにしてあるから、これからそこに戻る。部屋にあるベッドは二つのみだが、大人用なのでセグラと二人並んで寝れると思う……それでいいか?」
「は、はい。でも私は、師匠の部屋の床でも構いませんよ!」
師への忠誠心を示す為だろうか、カナンは鼻息荒く答える。直後、そのカナンの衣服が誰かにつままれ、引っ張られる感触に彼女は思わず振り向く。
「……カナンは、私と一緒は嫌なんですか?」
未だ夜明け前、闇黒の気色を滲ませながらセグラが涙ぐんでいた。本気なのか、その声は震えていた。
「えっ……いや、そういうわけじゃ……」
オロオロとうろたえるカナン。子供二人の仲裁に入ろうとするノアの前に、ぬっとラーナが体を挟める。その緑色の瞳は何かを狙っていた。
「では間をとって、私とノア様が同じベッドという事で如何でしょうか!」
「お前は事態をややこしくするな……!」
ノアはラーナを手で退けて無視しようとする。しかし、彼女は食い下がる。
「あーん、つれないですよノア様~。なら、せめて同じ部屋で……」
「何がせめてだ!譲歩したみたいな雰囲気を纏うのは止めろ!」
ノアが声を荒げる。さめざめと泣くセグラを必死に慰めるカナン、ノアの衣服に縋りつき懇願するラーナと彼女を振り解こうとするノア。
とても歴戦の黒騎士達とは思えない、ギャーギャー騒ぐ四人をムガイは一歩引いて観察していた。
「ふふ、賑やかだねぇ……まるで家族みたいだ」
ムガイは、とても満足そうにその光景を眺めていた。
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