“灰掟”の黒騎士 セグラ・レメゲトン ① (vsレイス)
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一人の魔女が、柔らかいソファの上で熟睡していた。そこからは穏やかな寝息が聞こえてくる。
「くー……くー……んあっ」
はっとその目が開き、口からは間の抜けた声が漏れる。どうやら目を覚ました様子だ。彼女は寝ぼけ眼をこすりながら、ゆっくりと上体を起こす。
「ん…あれ、ここはどこ……?」
彼女は、未だ霞んでいる視界に映る景色が見慣れないものである事に気付いた。
「おや、やっとお目覚めかいラーナ君」
「ムガイちゃん……?」
その魔女────グルヌイユ・ラーナ・バトラコイの隣には、旅の道連れである流浪者、ムガイが座っていた。更にその横にはノアの弟子を自称する子供、カナンがムガイに寄りかかっていた。彼女は宴会で満腹になった結果眠ってしまっていた。
「君が酔っ払ってる間に、僕達は新しい依頼を受けたんだ。ここはその依頼主の屋敷の応接室さ。君はすっかり熟睡していたものだから、無理に起こさず運ばせてもらったよ」
「ん……頭いた……飲み過ぎちゃったみたいね。それで、ノア様は…?」
「ふふ、君の愛しいノア君はあちらだよ」
ムガイが手振りで示した方向を見ると、ノア・ダルクとセグラ・レメゲトンが椅子に座っていた。机を挟んで向かい側に座っている老紳士と何かを話しており、依頼について相談しているのだと直ぐに察せられた。
ちらりと周りを見渡すと、使用人と思しき男女が壁際に何人も立っていた。彼らの身なりも整えられており、よく見ると部屋の内装も高級そうだった。
「今回のお相手は結構なお金持ちさんみたいね。どんな依頼なの?」
「うん、それはねぇ……」
◇
「ここが亡霊が出るという屋敷ですか?セレスティアノさん」
子供用の座高の高い椅子に、姿勢正しく座ったセグラが口を開く。老紳士、セレスレィアノは重々しく口を開く。
「……いえ。ここは、あくまで別邸の一つに過ぎません。亡霊が出るようになってしまった屋敷から、使用人共々退避して参りました」
セレスティアノの背後に控えた執事らしき男性が言葉を続ける。
「アロンソ家はアルハミリア第一の名家。そのお屋敷は、こことは比較にならない程広大なものです。黒騎士様方も、この件の報酬については期待して下さい」
セレスティアノは苦し気な表情で依頼を説明する。
「私は、この近辺の農地一帯を荘園として管理しております。その中の丘陵に建てられた本邸に、一年程前から亡霊が現われるようになりました。やつは日が沈んだ後屋敷の中を彷徨い、恐ろしい唸り声を上げ、近くに居る人間を害します。我々は余りの恐ろしさに屋敷から逃げ出しました」
後方に居る使用人達も暗い表情をしており、当時の恐怖を思い出したのか震えている者も居た。
「何とかできないかと手を尽くしましたが、私達ではどうすることもできませんでした。どうか、どうか、我等をお救い下さい……」
頭を下げ、か細い声でセレスティアノは懇願する。だがノアは、無表情のままセレスティアノに質問する。
「……亡霊。本来ならば、それは聖騎士の“秘蹟”をもって祓うべきものだ。これを貴族が知らない筈もない。だが真っ先に第三教会に頼るべき所を、一年も報告していない。この理由は何だ?」
セレスティアノが何か答える前に、執事が焦った様に割り込む。
「黒騎士様、それはこの依頼に関係ある事でしょうか。報酬は弾みますので、事情を察して……」
「死者の霊が理由も無く突然現れる事はない。亡霊が出現するに至った、教会に話せない何かがあるだろう。内容によっては此方の対応も変わってくる、包み隠さず話してもらおう」
毅然とした態度のノアに、観念したセレスティアノが返答する。
「分かりました……。ですが、今から話す事は他言無用でお願いします」
彼はしばし押し黙った後、静かに口を開く。
「件の亡霊とは……私の娘なのです」
◇
「娘は、所謂箱入り娘というものでした。私の妻は娘が幼い頃に病気で亡くなってしまった為、私はその寂しさを埋めるように娘をとても可愛がりました」
セレスティアノは、滔々と語りだす。
「あまり屋敷から出ない事もあり、娘は世間知らずで夢見がちな性格に育ちました。私はそれを微笑ましく見守っていたのですが……ある日、娘に告白されました。あろうことか、屋敷に仕えていた庭師の若い男と恋に落ちたというのです。私は娘に初めて激怒し、身分違いの恋愛であり上手くいくわけがない、その関係は絶対に認めないから直ぐに別れろ、と厳しく叱りつけました」
「尚も娘は諦めませんでした。私は……娘を誑かした庭師の男に、激しい怒りを覚えました。今思えば、あまりにも筋違いのものでした」
「私は激情のままに庭師の男を解雇し、このアルハミリアから放逐しました。これで娘も諦めるだろう……そう思っていました」
「後日…………娘は、自分の部屋で首を吊っていました」
その声は震えていた。
「……馬鹿な選択です。それが本物の恋なら、男を探して駆け落ちでもすれば良かった……。だが、娘は、屋敷の外での生き方を知らなかった……だから、思い詰めて…………」
彼は俯き、嗚咽を漏らした。後方の使用人達からも、すすり泣く声が聞こえる。ノアもセグラも、真剣な表情でその話を聞いていた。
「それからしばらくして、屋敷を女性と思しき亡霊が徘徊するようになりました。すぐに、それが娘なのだと気付きました。」
「私にとって当然の報いです。ですが、このままではいつか亡霊の存在が第三教会の知るところとなり、そうなれば亡霊の出自についても教会に調査されます。事の経緯が知られれば、原因となった我がアロンソ家は取り潰しになるでしょう」
「私だけなら、喜んで責任を取るつもりです。ですがアロンソ家は、使用人や農民達の生活を背負っています。彼らの為にも……娘を祓い、屋敷を取り戻して頂けないでしょうか」
涙を流すセレスティアノに、ノアが口を開く。
「娘を死に追いやり、それでも家の体裁の為に頭を下げるか……見下げ果てた男だな」
その冷たい言葉に、セレスティアノは何も言えなかった。
「そこまでです、ノア。この依頼は私が受けると言ったでしょう。私は家庭の事情に深入りはしません。正当な対価さえ頂ければ、それに見合った働きを見せましょう」
セグラがノアを諫める。
「あ、ありがとうございます……。しかし、ノア様では無く、貴方が本当に亡霊を……?」
セレスティアノは感謝しながらも、怪訝な態度を隠しきれない。それは無理もない事だった。目の前に居るのは十歳程度の少女なのだ。その不安をノアが拭う。
「心配は要らない。彼女はこう見えて、霊的な事物に関する専門家だ。確実にその娘を天の国に帰してくれるだろう」
「……分かりました、どの道他に頼れる人間は居ません。黒騎士として正式に依頼を申し上げます。セグラ様、この一件を貴女にお任せ致します」
そう言って、セレスティアノは頭を下げた。執事ら使用人も、続いて頭を垂れる。
「……どうか、お嬢様に安らかな死を与えてあげて下さい」
彼らを見て、セグラは満足げに頷いた。
「フフ、これにて契約は締結されました。全て私に任せて下さい。……では、早速お屋敷に向かいましょうか」
◇
その屋敷は、言われた通り小高い丘の上にあった。丘の上からは広々とした農地を見渡せた。おそらくそれがアロンソ家の荘園なのだろう。
既に日は沈み切った深夜。とても大きなアロンソ家の屋敷の前に、黒騎士の一行が来ていた。彼らはそれぞれカンテラを腕に提げて周囲を照らしている。
「お、おじゃましまーす……」
カナンが小さく呟く。彼らはギシギシと音を立てる門を開き、屋敷の中に入る。
「うひゃあ、わたしを買った領主の屋敷より大きい……」
彼女はノアにひっつき、びくびくと辺りを見回している。
「そのまま私から離れないように。いつ亡霊が姿を現すか分からないからな」
「は、はい!これも黒騎士に成る為の経験です!」
ノアがカナンに声をかける。最初は彼女を置いていこうとしたが例によって反抗された為、諦めて連れてきていた。
「立派な屋敷とはいえ、流石に一年も人が住んでないと荒れてるねぇ」
「うふふ、私としては埃一つないぐらいピカピカに掃除されてるより、こっちの方が居心地いいわ~」
あちこちに調度品が転がっている薄暗い廊下を歩きながら、ムガイとラーナはまるでピクニックにでも来ている様な和やかな雰囲気だった。
「……皆さん、遊びに来ている訳ではないのですよ」
一行の先頭に立つセグラが、振り向きもせず嘆息した。
黒騎士達は亡霊を探しながら屋敷を練り歩く。
「先に言っておきます、ノア。ラーナも言っていましたが、貴方は今は休んでください。私の依頼に手を出さないように」
「了解した」
「次にラーナ。貴女も昼間に戦っていますからね、しっかり休養して下さい」
「は~い、お言葉に甘えるわぁ」
ノアとラーナに釘をさした所で、セグラは振り返る。
「で、ムガイは……」
「僕も休ませてもらうよ!僕は文明人として、幽霊なんて非科学的な存在は苦手だからね!後ろで応援してるから頑張って!」
「………………」
ムガイはいつも通りの笑顔だった。セグラはげんなりとした顔をしながら向き直る。
(ムガイさんって、ホントに戦えるのかな……)
ノアの横を歩くカナンが、薄々疑問を持ち始めていた時だった。
ギュォォォォォォォォォ………
遠くから、人のものとは思えぬ唸り声が響いてきた。その声を聴き、思わずカナンの背筋に悪寒が走る。
「ひっ……」
それは本能的な恐怖だった。震える肩にノアが手を置く。
「怖いか?」
「まっ、まさか!絶対に帰りませんよ!どこまでも付いていきます!」
強がるカナンを尻目に、セグラが杖を持ち直す。その眼光は鋭く、廊下の奥を見据えていた。
「思ったより早く片付きそうですね。さて、行きますか」
◇
それは、角にある大きな部屋の中にいた。手入れがされず薄汚れてしまった天蓋付きのベッドの横には金縁の鏡が備えられた化粧机があり、その部屋は高貴な女性のものに見えた。
それは人の形をしてボロボロの白い布を纏い、宙に浮いていた。顔はぼやけていてよく見えなかったが、そこから禍々しい唸り声が漏れていた。
「ギュォォ………オォ……」
「初めまして、お嬢さん」
それに向かって、セグラは部屋に踏み入りながら恭しく挨拶した。怪物を前に、微塵も気後れを感じさせない佇まいだった。
「そしてさようなら。この世に囚われてしまった哀れな亡霊よ」
セグラは杖を構える。亡霊も彼女に気付き、首を持ち上げてぼやけた顔を向けた。
(あ、あれが幽霊……)
始めて見る存在に、カナンはノアの服の端をぎゅっと握りしめて震えている。ノア、ラーナ、ムガイの三人は部屋の入口を塞ぐように立ち、落ち着いた態度で亡霊を眺めていた。
「ギュオォ……アアアアアア!!」
亡霊が、両腕を伸ばしながらセグラに接近する。その爪を獲物に突き立てられようとしたが────見えない壁に阻まれたかのように弾かれる。
「アアァ!?」
バシリ!と、拒絶された亡霊は驚いて距離をとる。いつの間にか、セグラの立つ床に、彼女を囲むように二重の円が刻まれていた。その中には複雑怪奇な紋様が書き込まれている。
「あ、あれは、魔導式ですね!」
カナンが興奮して声を上げる。その口を、ノアが塞ぐ。
「静かに。……これから、亡霊より恐ろしいものが現われる」
セグラの周囲の空気が淀んでいく。その重苦しい雰囲気の中、彼女が厳かに口を開く。
「レメゲトンの契約によりて、私は呼び起こす────生まれざる者よ」
セグラは杖を持たぬ右手に、杯を掲げていた。その中には、血の様に赤い液体が満ちていた。
「私の声は全ての霊を従わせる。地上と地下、乾いた土地と水の中、渦巻く空気と押し寄せる火、そしてあらゆる災いが服従する」
彼女は杯を傾け、その中身を円陣に注ぐ。液体は刻まれた紋様に沿って流れていく。
「私は汝の名を呼ぶ」
美しかった碧眼が淀み、灰色に染まる。その瞳は虚ろで、虚空を見上げていた。
「────彼方より現世へと流出せよ、『グラシャラボラス』」
ピシリ。
亡霊の部屋に、不快な音が響き渡る。セグラ・レメゲトンの頭上、何もない筈の空中に、罅が入っていた。
「ギュォォ…ォ……」
じわじわと拡大していく罅を亡霊は呆然と見上げていた。それは、怯えていた。やがて空中の罅割れは完全に決壊する。
ガシャアアアアアン!!
漆黒の影が、虚空に出来た穴から勢い良く飛び出す。セグラが杖を掲げると、翼を広げて旋回しその背後に留まった。
「……さぁ、餌の時間ですよ」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
それは何とも醜悪な怪物だった。言葉で形容するなら翼の生えた猛犬といったカタチをしていたが、この世の生物とは一線を画す悍ましさがあった。
グラシャラボラスと呼ばれたそれは、咆哮しながら亡霊に襲い掛かる。
「ギャアアアアアアアアア!!」
それは戦闘というより、一方的な捕食だった。亡霊は腕を振り回すもグラシャラボラスには当たらず、爪でその身を切り裂かれ、顎に嚙み砕かれた。
その凄惨な光景を見て、カナンは一歩後退る。
「ひ……あれは……」
「あれがセグラ君の魔術だよ。基本の八系統に含まれない外法であり、彼女の一族が伝承し続けてきた古代魔術の一つ……自身と契約した異界の妖異をこの世に呼び出す“喚起魔術”というものだ」
ムガイがカナンに話しかける。彼女の恐怖を緩和しようという善意があったかは定かではない。
「け、契約……?あれと、ど、どうやって?」
「さあ?彼女も知らないんじゃないかな……彼女の契約は、一族から受け継いだものらしいからね」
話が呑み込めていないカナンに、ムガイは続ける。
「“灰掟”の黒騎士は、代々ある一族が歴任してきたんだ。それがエレフス最古の魔術師、レメゲトン家。その系図は4400年前の聖戦の時代まで遡れるという由緒正しい名門だ」
ムガイは、セグラの出自について語り始める。
「千年前にエレフスで魔術が禁止になる際、魔術師には三つの選択肢があった。魔術を捨てるか、エレフスを捨てるか、黒騎士になるか、だね。貴族でもある、誇り高きレメゲトン家は魔術も土地も手放せなかった。必然、彼らは黒騎士になる事を第三教会と契約した。……それは彼らの最大の失敗だった」
「…………」
「レメゲトン家は、教会にとって目の上のたん瘤だったんだ。なにせ第三教会の歴史は二千年、四千年以上の歴史を持つ彼らの方がずっと古い。だから黒騎士になった事を幸いに、“灰掟”の黒騎士には特に過酷な任務を与え続けた。千年間、彼らの目論見通りにレメゲトン家は魔獣と殺し合い数を擦り減らしていき、セグラ君の母親の代には彼女のみしか残っていなかったという話だ。その母親もセグラ君を産んですぐに無理な任務に駆り出され、夫共々戦死している。故にレメゲトン家は、今や齢十歳のセグラ君ただ一人という有様なんだ」
「えっ……ちょと、おかしくないですか?いくら何でもそこまでされる前に、教会に逆らわなかったんですか?」
黙って話を聞いていたカナンが、疑問の声を上げる。
「んー、ここから先は現地人に話してもらおうか。ノア君、どうぞ」
「チッ……まぁいいだろう」
話を振られたノアは嫌そうな顔をしたが、渋々受け継いだ。
「……“契約”。これはレメゲトン家が継承する全ての魔術と大本となる概念で、喚起魔術もこれを前提としている。レメゲトン家が結ぶ契約は血と魂に刻まれる絶対不可侵のもの。これを破れば、破った者に大いなる災厄が降りかかる。無論レメゲトン自身も例外ではない」
「契約……」
「レメゲトン家は、第三教会と〝一族の自由を保障する代わりに、家督を持つ者が黒騎士となる〟という契約を結んでしまった。当主が死ねば一族の別の者に家督は継承される……決して契約を破れないレメゲトン家は逃げられなかった。ただ、赤子のセグラは母親が死んで直ぐ黒騎士となる事は無かった。元々レメゲトン家には〝六歳以上の者しか跡目にはなれない。他に跡取りが居ない場合、相続権は保留となる〟という家法があった為だ」
「そ、それで六歳になった途端に黒騎士になった訳ですか……。そ、そんな事が……」
カナンはセグラの境遇に涙ぐんだ。ただ貧しかっただけの自分などよりよっぽど過酷じゃないか、と思った。
「……これが、私が彼女を黒騎士から下ろせなかった理由だ。もし無理に辞めさせれば、死よりも恐ろしい報いがセグラを襲っただろう。これらの話は彼女本人から聞いたことだ……齢六つにして、彼女は天涯孤独の身ながら独学で一族の魔術を修めていた」
「うう……」
自分とは隔絶した悲惨な人生に、カナンは心を痛めていた。その彼女の元に、セグラが歩いてきた。背後では、力尽きた亡霊をグラシャラボラスが貪り食っている。
「同情する必要はありませんよ、カナン。王の子も、奴隷の子も、好きでそこに生まれたわけではありません。レメゲトン家に生まれた事も同様です。大事なのは、生きて何を成すかです」
セグラは、自分より少しだけ背の高いカナンの頭に手を載せる。
「ただ、他人の為に心からの涙を流せるのは貴女の美徳ですね。ありがとうございます」
頭を撫でられながら、カナンはある事を考えていた。
(セグラは、物心付いた時から血の繋がる家族がいなかった。わたしがその立場だったら、きっと寂しがり屋になってた。セグラはわたしと違って強いし、気にしてなくて余計なお世話かもしれない。それでも……)
カナンは涙を拭い、意を決してセグラに話を切り出す。
「……セグラ。いきなりだけど、わたしと友達になってほしい」