“白惡”の黒騎士 ノア・ダルク ③(決着、そして旅立ち)
道中、魔獣と邂逅する事は無かった。やはりこの砂漠は聖地以外は魔獣が生息していないのだろう。
代わりに砂漠狼の群れに出くわしたが、魔術を使うまでもなく棒術で撃退した。
「……ノアさん、とっても強いです」
カナンは興奮しながらノアの後ろを付いて歩いていた。屈託なく褒められることにノアはむず痒い思いをしていた。
「ハァ……あまり気にしていないようだから質問しよう。君を買った人物について話を聞いてもいいか?」
「あ、はい。それはですね……」
自分が売り買いされた事が心的外傷になっているかもしれないというノアの心配は杞憂だった。彼女は根本となる心が強い。そして年齢に対して非常に聡明だ。一般的な知識こそ欠けているが、恐らく貧しさの為に満足な教育が受けられなかったのだろう。
物事を自分で考え判断する能力は備えており、きちんとした教育が受けられれば全うな人生が送れる人間だとノアは感じた。
無事に砂漠を抜け、しばらく歩いたところでノアは立ち止った。まだタベリナスの村までは距離がある。
「えっと……わたしは村に預けられるんですか?」
「いや、あの村に置いて万一の事があったら私は対応できない。故に……あまり気は進まないが、一応信用できる者を頼る。少し耳を塞いでいてくれ」
そう言うと、ノアは大きく空気を吸い込んだ。カナンは素直に両手で耳を覆う。
「ムガイ!!居るんだろう!?いい加減出てきたらどうだ!!!」
ノアの大音声が乾燥した空気に響きわたる。カナンは耳を塞いでいたものの、それでもキーンと耳鳴りが響いた。
声が過ぎ去り元の静かな空間が戻る。相変わらずノアとカナン以外は誰も居らず、地平線まで人間の姿は見えない。
しかし突如として、荒涼とした大地に一陣の風が吹く。砂埃が舞い上がり、一瞬彼らの視界を遮る。
「フフ……お呼びかい?ノア君」
すると、目の前に一人の男が立っていた。
緑がかった黒髪を後ろで束ねており、顔立ちは二十代前半と言った所だろうか。ノアに比べると背は低く見える。柔和な笑顔を浮かべているが、目を閉じている為か感情は読み取れない。
衣服はエレフスでは見ない様式の仕立てだったが、外套はノアと同じ様に左右が白黒に分かれている。そして左側の腰元に剣を一振り差していた。
「ムガイ……貴様今までどこで何をしていた?」
ノアが怒気を孕んだ声で問い詰めるが、相対する男は飄々としていた。
「んー、此度の舞台は僕の上がる幕は無いと踏んだのでね。“観劇”に回らさせて頂いたよ。今回も君は僕の期待通りの雄姿を見せてくれたね、流石だ。ただ、あの程度の獣に奥の手を切るのは少々軽率だったんじゃないかい?」
「……やはり、見ていたか。なぜ手を貸さなかった」
ムガイと呼ばれた男にノアが詰め寄る。対するムガイは両手の平を自分の胸元まで上げてノアを宥める。
「そう怒らないでくれ。君一人で魔獣は殺して、生存者は救えたんだ。言った通り僕の出る幕はなく、全て結果オーライではないかな?」
「貴様……!」
突然現れた男と激しく対峙するノアを、カナンはハラハラと見ていた。そのカナンにムガイが顔を向ける。
「おっと、こちらの方に挨拶がまだだったね。初めましてお嬢さん、僕の名は『ムガイ』。彼……ノア・ダルクの二番弟子にして、同じ“白惡”の黒騎士として轡を並べる者さ」
ムガイはノアとの話を逸らすようにカナンに自己紹介を始めた。
「あっ……えっと……初めまして。わたしはカナンといいます」
「うん、よろしくねカナン君。ああ、これまでの経緯の説明は不要だよ。全部聞いていたからね」
「えっ?」
(全部って……どこからどこまでだろう。洞窟にも砂漠にも他の人の姿は無かったけど……)とカナンが思考を巡らせている間に、ムガイは話を進める。
「さてノア君。僕がこの子を守ればいいんだよね?」
「…………そうだ。その程度の仕事はしてもらうぞ」
その声から既に怒気は消えていた。そのままノアはカナンに声をかける。
「カナン、声を荒げてすまなかったな。こいつは困った男だが、実力は確かだ。私を信じて、しばしこいつの元に居てくれ」
「……分かりました。ノアさん、きっと帰ってきてくださいね」
カナンは小さな拳を握り、目を潤ませながらノアを見上げる。
「大丈夫だ、直ぐに帰ってくる。一晩もかからないだろう」
「フフ、短い間に懐かれたねぇ。ところでノア君、その姿のまま行くつもりかい?」
指摘されたノアは、先のマンティコアとの戦いで大きく破れた衣服を捨てていた為上半身を大きく晒していた。ムガイはどこからともなく包を取り出し、ノアに軽く放り投げる。
「……ありがとう。では行ってくる」
ノアは礼を言う。どうやら中には着替えが包まれているようだ。
「で、ノア君。本当に一人でいいのかい?彼女達を呼んでからでも……」
ノアはムガイに向き直る。彼は静かに言う。
「無論だ。これこそ私一人で十分。それに……彼女達に見せるにはあまりに醜悪な顛末になりそうだ」
風が吹き抜け、ノアの髪を持ち上げる。右顔を覆う赤黒い管に埋もれた彼の右目には、漆黒の結膜の中心で深紅の虹彩が炯々と輝いていた。
「怒りが、抑えきれないかもしれないからな」
◇
タベリナスの村。
「おおっ!騎士様、お戻りになられたのですね!」
村長の家に、ノアは再び足を踏み入れていた。服は新しいものに着替えられている。
「ど……どうでしたか?事態は解決したのでしょうか?」
村長は逸る気持ちでノアに問いかける。
「……魔物は退治した」
ノアの一言に、村長は半信半疑の態度ながらも喜んだ。
「まさか一晩で終わらせてしまうとは……ありがとうございます、いや何とお礼を言っていいか……」
「お前達が“大地の精霊”と崇める存在とは別の魔獣だった。もう聖地の外で人が食われる事は無いだろう」
「何と……!そ、それは真ですよね!?」
村長は焦心を隠さずノアに詰め寄る。それに対しノアが口を開こうとした時、怒声が響いた。
「黒騎士殿!こちらに居られるな!」
大声でがなり立てながら武装した男の集団が家に上がり込んできた。その装備は領主の私兵のものだった。
「領主様がお呼びだ!!火急の用件につき、即刻来ていただこう!」
先頭の男は部屋に居たノアを見るなり、村長に見向きもせずにノアに接近して腕を掴んだ。
「さあ、来い!」
それは到底客人に対する態度ではなかった。腕を引っ張るが、ノアは微動だにしない。
「ん……あれ?」
目の前の華奢な男がまるで根を張った大木の様に重く、予想外の感覚に兵士は戸惑った。
「……こちらから出向こうと思っていたところだ。引かずとも、自分の足で行ってやる」
発せられたノアの声は底冷えしたものだった。
◇
領主の私兵達は黙ってノアに同行する。先程までの横柄な態度は鳴りを潜めていた。
しばらく歩き、再び領主の屋敷に到着する。ノアが正門をくぐって屋敷の中に入ろうとした時、私兵の一人が慌てて呼び止める。
「黒騎士殿、領主様はこちらでお待ちしております!どうぞこちらへ!」
そう言って右側にあった石造りの扉を指し示す。ノアは黙ってその扉を開ける。
扉の先には下方に向かって伸びる階段があった。どうやら地下に続いているようだ。尚もノアは黙ったまま、階段を降り始める。
コツコツと靴が石を踏む無機質な音が反響し、ノアは地下室に辿り着く。扉は既に開けられていて、両脇には私兵が待機していた。
ノアが無言で入室すると、暗い部屋の奥で領主が背を向けて立っていた。
「……なぜ、わざわざこんな場所へ?」
「この地下倉庫には、私の財を蓄えています。言ったでしょう、事態解決の暁には私から礼をすると」
領主は顔を半分だけ振り向かせる。その表情は口元だけが笑っていた。
「貴方は我々の英雄です。領主として、感謝を申し上げます」
「…………謝礼は要らん、私は自分の仕事をしただけだ。それより、あの砂漠について少し調査をした」
「ほう、何か気になった事が?」
騎士は話しながら、顔を動かさずに地下室の様子を伺う。暗くて見え難いが、領主の更に奥の壁際には数十人程の私兵が立っている。
「村人が“大地の精霊”と崇める存在はウォームだった。聖地とは奴らの餌場……どれ程の個体数が居るのかは不明だ。あれらは基本的には縄張りから出ないが、もし本格的に駆除したいなら改めて教会に依頼しろ」
「なるほど……報告ありがとうございます。検討しておきましょう」
領主の態度は礼儀正しい。だがノアは、それが虚礼だと見抜いていた。
「………お前、私に早く帰って欲しそうだな」
「え、そんなまさか……。騎士様を晩餐会に招待しようと思っていた所ですよ」
領主は完全に振り返る。その顔はわざとらしく当惑していた。
「……人を襲った魔物はマンティコアだった」
「マンティコア!何と、そんな化け物が砂漠に……恐ろしい……」
領主はとてもショックを受けている。……そんな態度だった。
「もういい。単刀直入に言うぞ───マンティコアが“飼育”されていた可能性が高い。この意味が分かるか?」
平静だったノアの声に怒気が混じる。
「魔獣を飼育!?それはとんでもない……」
「ああ、教会の許可なく魔物を私的な管理下に置く事は重罪。例え領主だろうと絞首刑を逃れることはできない」
直接的に切り込んできたノアの言葉に、領主はたじろぐ。
「そうそう……って何ですか、その言い回しは。まるで私を疑っているかのように聞こえますが……」
「疑っている」
ノアは断言する。
「マンティコアの様な大型かつ気性の荒い魔獣を飼育するには……広大な土地、餌の用意、運搬、それらを担う人夫の雇用費と口止め料、とかなりの財力が必要だ」
ノアは尚も白々しい演技を続ける領主を指で差す。
「つまり、この一帯で最も金と権力を持つ貴様が第一容疑者となる」
「……………証拠はあるんですか?」
先程までの慌てふためいた顔はどこかに行き、極めて平然とした表情で領主は聞いた。
「無い。……が、それでも貴様にはこの地の責任者として教会の捜査に協力してもらう。当然、この屋敷も徹底的に調べ上げられるだろう」
ノアには証拠があった。事実上マンティコアの餌として買われた子供……カナンが、“どんな人物”に買われたかという証言が。それを聞いてノアはこの領主がマンティコアを砂漠で飼育していたと確信したのだ。だが、カナンの身の安全の為にもそれを口に出すつもりは毛頭無かった。
「……やれやれ、流石は教会。横暴極まりないですねぇ。ここから証拠隠滅は間に合わなそうだ。もう白を切るのは難しいかなぁ」
領主は体の力を抜き、正面からノアを見据える。その眼光は鋭かった。
「一番の失敗は貴方を呼び込んだこと……村人にはもっと圧政を敷いて管理しておくべきでしたね。まぁ、良しとしましょう。最近は飽きて手に余っていたのを処分してくれたのですから」
態度を翻しあっさりと認めた領主に、ノアが改めて質問する。
「……なぜ魔物を?」
「ちょっとした娯楽ですよ。元々魔獣に蹂躙されて泣き叫びながら食われる人間を見るのが好きでしてね、趣味として闇商人から魔獣を仕入れて地下で飼育して、奴隷や使えない部下と“遊ばせる”のを楽しんでいたんです」
淡々と、ごく普通の趣味の様に領主は語る。
「あのマンティコアは突然変異で誕生した異常個体……まだ幼体だった頃その鋼のボディに惚れて買い上げたんです。初めは地下で飼育していたんですが、成長するにつれてどんどん凶暴になっていき、檻を破壊するは給餌係を食い殺すはで手に負えなくなってしまいして。それで砂漠に放ちました。そこから遠くに行ってくれてもよかったんですが、あの砂漠を気に入って巣を作って定住してしまいました」
「……故に人間を買って餌として食わせ満足させようとしたが、結局それ以外の村人も襲われてこの事態になったわけか」
「おや?人買いの事まで調べていたのですか……抜け目ないですねぇ。ただ、その推理は的外れですよ。マンティコアが砂漠に棲み付いた以上、私は気を取り直して鑑賞を続ける事にしました。村人が食われるのはどうでもいいが、それでは捕食のタイミングが掴めない、鑑賞できない、それは困る。なので自分で子供を買って決まった時間に狩場に放ち、それを望遠鏡で観察する事にしたのです。いやぁ~、あれは自然的かつ躍動的で我ながら素晴らしいアイデアでした」
領主は子供の様に、自慢げに両手を広げて話す。対してノアは恐ろしい程に無表情だった。
「人間の命を……何だと思っている?貴様はそれでも領主か…?」
歯を噛み潰しながら発されたノアの声は、その静けさに反して溢れんばかりの瞋恚が籠っていた。
「……さて、そろそろ建設的な話をしましょうか」
領主が片手を挙げると、奥に控えていた私兵達が体勢を直し、ゾロゾロと歩み出す。
「幾ら欲しい?」
私兵達が剣の柄に手をかける。
「私に金銭は不要だ。教会に寄付しておいてくれ」
ノアの言葉に、領主は思わず笑いだす。
「ふふふ……ははは………。どうやら自分の立場をご理解頂けていないようだ」
領主が挙げていた手を下す。
「殺せ」
ワァッ!と、私兵達がノアに殺到する。その数は数十を下らない。
「フハハッ!魔術を使う黒騎士といえど所詮は人間、魔獣を一匹殺したからとて調子に乗るな!この数の武装兵に囲まれれば無力よ!」
領主は声高らかに笑う。
「貴様はあのマンティコアと同じだ!私に飼われた魔獣と教会に飼われる魔物!そしてその末路は──哀れな死!」
「ハハハハハハ────貴様を葬った後で、飼育の痕跡は全て燃やしておいてやる!私に逆らった事を地獄で後悔するがいい!」
◇
領主の屋敷の前に、大勢の人間が集まっている。領主の号令の下、支配下の地域の住民が呼び出されたのだ。中には勿論、タベリナスの村人もいる。
そこで領主の私兵が、何かを読み上げていた。
「──は禁忌とされる魔獣の飼育を行っていた。詰問した所容疑を認めた為─────」
よく見るとその私兵の装備はボロボロに傷付いており、彼自身も顔が大きく腫れていた。後ろには同じように満身創痍となった私兵達が数十人、息も絶え絶えに座っていた。
「以後、新しい領主が赴任するまでの間この地域は第三教会直接の管轄となる。領民は今まで通りの生活をするように──────」
手に持った紙を読み切った男が、恐る恐る後ろを振り返る。
「こ、これでよろしいですか?…………黒騎士様」
「……………ああ」
男の視線の先には、ノアが足を組んで座っていた。私兵達と違い、ノアには傷一つ無い。ノアは横目で前方の住人達を見回した。
(結局……こうなるか)
住民達は様々な表情でノアを見ている。不安と悲嘆、それを齎した男への大きな恐怖と小さな怒り。
(いつも通りと言えばいつも通り……か)
ノアは立ち上がり、教会から派遣された職員によってきつく縛られ跪かされている男に目を向けた。その男は、先ほどまで領主と呼ばれていた男だった。
「これからお前は教会に引き渡される。彼らの尋問は私などよりよほど苛烈だ。覚悟しておくように」
「フ……フフ……教会……か」
男は俯いたまま、言葉を紡ぐ。
「お前は……自分が何を信じているのか、分かっていないのだな。なんとも……滑稽だな」
ノアは、その言葉の意味を理解しようとも思わなかった。今まで幾千と吐かれた只の恨み言と同じだ。聞く価値は無い。それよりも教会がこの男から、人身売買と魔獣売買に関わる組織との繋がりを引き出せるかが気掛かりだった。
後でよく取り調べるように一筆書いておこう……そう考えながら、ノアは歩き去った。
◇
「東の果てから西へ西へと、流れに流れて辿り着いたエレフスの地。ここで僕は、騎士達と行き違いから揉め事を起こして囲まれてしまったんだ。嗚呼、異国故の悲劇!とうとう年貢の納め時かと覚悟したその瞬間──────“英雄”が降臨した!!」
「彼は僕を庇い、騎士達の刃から僕を守った!その方法とは、僕にエレフスでの身分を与える事……とっさに自分の弟子とする事で、“白惡”の黒騎士の庇護下に置いたんだ。これには騎士達もたじろぎ、僕を諦めざるをえなかった」
「僕は彼の慈悲と度量に感服し、正式に弟子にしてほしいと懇願した。それが彼……ノア・ダルクとの出会いだった。もう一年と半年前の事だ」
道端に生えている大きな木の陰に、ムガイとカナンが座っていた。ムガイはテンション高めに過去を語っていた。
「わぁ~~」
カナンの目はこれ以上ない程輝いている。
「幸い僕も多少剣術と魔術に覚えがあってね、無事教会に力を認められ──彼と同じ“白惡”の黒騎士となったのさ」
「!!そんなすぐになれるんですね、黒騎士に!」
「ああ、実力さえあれば。教会としては、黒騎士はもう新たな認可を出していないらしいがね。既存の黒騎士の弟子となれば、その座を共有、継承できる」
「弟子……」
カナンは何事かを考え込んでいた。そこに突然声がかかる。
「随分と綺麗に過去を脚色したものだな、ムガイ」
「ノアさん!」
二人の元にノアが歩いて近づいていた。カナンは勢い良く立ち上がりノアに駆け寄る。
「ハハ、そこまで間違った事は言ってないだろう?で、用件は片付いたかね、ノア君」
「ああ、全てな。もうこの地に留まる理由は無い、直ぐに出立するぞ」
「あの……ノアさん」
カナンがおそるおそるノアに声をかける。
「わ、わたしは、えっと、どうなるのでしょう」
「カナン。安心してくれ、元より君を見捨てるつもりはない。この先立ち寄る予定がある大きな街に、私が懇意にしている教会がある。そこでは身寄りのない子供を受け入れており、十分な食事と教育を与えられる……君さえ良ければ、私はそこに君を連れて行こうと思っている。ここからは距離があるので少し長旅になってしまうが、信頼できない者に君を預けるわけにもいかないからな」
「あ、ありがとうございます。わたしなんかをそこまで考えて下さって嬉しいんですが、その……」
「親元に帰りたいのか?君が望むなら、私がとりなそう。ただ、その後どうなるかが心配だ」
「い、いえ、違います。その……」
カナンは意を決してノアを両目で見上げる。
「わたしを、弟子にしてくれませんか!」
「…………」
「ほう!」
ノアは無言だったが、心なしかその表情は硬かった。その後ろではムガイが嬉しそうに反応していた。
「わたし、一人でも生きていけるぐらい強くなりたいんです!ノアさんみたいに……危険な目に遭っても自分で解決できる力が、欲しいです!厚かましいお願いですが、わたし……本気で貴方の様な黒騎士になりたいと思ったんです!どんな事でもしますから、どうかわたしを弟子に取って下さい!!」
その表情は真剣そのもので、目は少し潤んでいた。ノアは冷静にカナンを見下ろす。
「駄目だ。黒騎士は君が想像しているような上等なものではない。黒騎士の名を背負ったが最後、過酷極まりない殺し合いに身を置くことになる。私とて何時死ぬか分からない。そして死骸は、顧みられる事もなく路傍に野晒となる。その程度の存在に墜ちるという覚悟が必要だ」
「か、覚悟は、あるつもりです!わたしは何も持ってない、失うものは何もないんです!途中で死んでも、惜しくはありません!」
「それが口先だけのものでないと、私に信じろと?……この顔を見ろ」
ノアは自分の右顔に手を触れる。
「ムガイの様な紛い物ではない……正当な“白惡”の黒騎士は、この悪魔の血肉を継承する事になる。この悍ましきモノを体内に同化させ、自分の肉が食われていく感触に耐えられるか?」
そう言ってノアはカナンの意思を挫こうとする。だが、カナンの決意は頑なだった。
「大丈夫です!その悪魔で私の体を治療したって、言ってましたよね?だったら、わたしの命はそれに救われたんです。わたし、全然嫌いじゃないです!」
「カナン……私は君に命を粗末にしてほしくないんだ。分かってくれ」
ノアとカナンが睨み合う。その間に、ムガイが楽しそうに割って入った。
「まあまあまあ!このまま平行線では日が暮れてしまうよ!ここは一旦保留にしよう!カナン君を預けるつもりの街に到着するのはしばらく先なんだ、どの道そこまでは同行する事になるだろう?なら、その時に改めて判断すればいい!」
そう言ってムガイはノアの肩に手を回して耳打ちする。
「カナン君は世界を知らないんだ。あの街に着くまでに、色々な物事を体験するだろう。きっとその頃には思いも変わっているさ。流血と痛みに恐怖し、平穏な暮らしを望むようになる」
「……まぁ、いいだろう。ここで一蹴することで、この子の心に傷を残したくはない」
「よし、話はまとまったね。カナン君も、それでいいかい?」
ムガイはカナンに向き直る。カナンの表情はまだこわばっていたが、緊張はやや解けていた。
「はい!それまでに覚悟を証明してみせます!」
「フフ、その意気だ。僕も妹弟子が出来ると嬉しいよ」
「……お前を弟子だと思ったこともないがな。私が何か教えた事があったか?」
ノアの言葉に、ムガイはショックを受けたようなリアクションをとった。そしてノアにしつこく話かけたが、軽くあしらわれていた。その光景を見て、カナンはクスクスと笑っていた。
◇
「では、改めて出発しようか!」
溌剌と体を伸ばすムガイに、カナンが質問する。
「そういえば、ノアさんがこの先立ち寄る予定の街が有るとかおっしゃってましたが、旅程のルートは決まっているんですね」
「うん。普段は依頼とか魔獣の被害に合わせて東奔西走なんだけど、今は丁度目的があってね、大体の道順は決まってるんだ」
ムガイはつらつらと説明を始める。
「で、今から向かう場所についてだけど……元々僕たちは四人組で行動していてね。数日前、ここから南にあるアルハミリアという街に訪れた時に事件に遭遇したんだ。それを片付けて教会に寄った所で、ここ……タベリナスの村からの依頼が舞い込んできた。ノア君が一息で引き受けたけど、まだ事件の後処理に時間がかかりそうだったから、二人をそこに残して処理に当たってもらい僕達二人でこの村に来たんだ」
「まぁ、お前はどこかで遊んでいたわけだがな」
そう言い放ったノアの言葉は冷たく、ムガイは決まりが悪そうにする。
「というわけで僕達はこれからアルハミリアの街に再訪し、二人と合流する。それで元の旅の流れに戻るというわけさ」
ムガイの説明が終わり、ノアは首を後ろに回してカナンを見る。
「では、行こうか」
「はい、ノアさん。…………いえ、師匠!」
その言葉をノアが訂正する前にカナンは駆け出し、彼らを抜いて先頭に躍り出る。ノアが何かを言おうとするが、ムガイが彼の肩に手を置き首を振る。
雲一つ無い晴天の下、振り向いたカナンの表情はこれ以上無い笑顔だった。その屈託ない笑みを見たノアは口ごもり、そのまま彼らはカナンの後を付いて歩き出す。
黒騎士たちの旅に一人の同行者が加わり、益々賑やかになる。彼女の笑顔は、この先の長い旅路を照らすかのようだった。
お読み頂きありがとうございました。もしよろしければ、感想を書いて頂けると幸いです。