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黒白の騎士、ノアの旅  作者: 安河内禊
2/8

“白惡”の黒騎士 ノア・ダルク ② (vsマンティコア)

騎士は聖地を出て、再び外の砂漠に戻った。

(昔からタベリナスの村人はこの砂漠で採掘に従事していた。その村人が、最近になって此処(ここ)で怪物に襲われるようになった。私自身この砂漠を探索していて、魔獣生息の痕跡は見つけられていない。……そして聖地に棲まう大地の精霊は犯人ではなかった。やはり、この砂漠にかなり新しく棲み付いた魔獣と見るべきだろう)

騎士は空を見上げる。

広大な砂漠を長時間歩き回り、既に日が落ちつつあった。

(砂漠で一晩過ごすことになりそうだな……)

目を細めた時、視界の片隅に映る遠くの岩山で黒い影が過ぎ去るのに気付いた。


「!」


思考は一瞬だった。アレが魔獣という保証はない。だが可能性を逃す理由はない。

騎士は前傾姿勢になり、背負っていた棒を右手で掴む。すると棒に巻き付いていた布が、ひとりでに解け舞い上がる。


「叡智、泉より湧き出でよ──『突撃(ウル)』!」


布に刻まれた一文字が発光し、騎士の肉体に活力が漲る。両足に凄まじい力が込められ、踏みしめられた地面が勢いよく陥没する。

次の瞬間、騎士の姿はそこには無かった。彼はまるで大砲の砲弾の様に前方に射出されていた。

岩山に急速に接近し、視界に映る黒い影も拡大していく。次第に鮮明になっていくそれは、黒い翼を持つ赤褐色(せきかっしょく)の巨大な獣に見えた。

(────魔獣!)


そして──自身に向かって飛来する何かに、赤褐色の獣が気付いて首をもたげる。


「ギエエエエエエエエエエエエエエ!!」


威嚇なのか、甲高く耳障りな咆哮が響く。それでも勢いを緩めず接近する騎士に向かって、獣は巨大な尾を持ち上げる。その尾には、無数の棘が生えていた。

「ギィィィィィッ!」

突如として、その尾から棘が発射される。棘の軌道は真っ直ぐと騎士を狙っていた。

「くっ──『守護エオロー』!」

騎士の肉体を魔力で形成された盾が覆い、棘は鋭く盾に突き刺さる。棘は肉体には届かなかったが、防御によって勢いを失った騎士は地面に落下する。

騎士は身を翻し、その両足で大地に着地する。獣までの距離はおよそ50メートルほどだった。


「貴様か……人食いの獣は」

騎士は左半身を正面に向け、棒を中段に構える。

獣もまた四肢を曲げて伏せの体勢をとり、現れた外敵を警戒する。

騎士の双眸(そうぼう)は目の前の獣を射抜き、その正体を看破する。

「混合種マンティコア……お前に恨みは無いが、人を脅かす獣は退治しなくてはならない」


蝙蝠の如き皮膜状の翼、蠍の如き毒針の尾、そして獅子の体躯を持つ怪物。人を好んで捕食する魔獣であり、仮に今回の事件と関係ないとしても見逃す理由は無かった。


「ギエエッ!」

マンティコアが叫び、翼を広げ飛翔する。逃走のそぶりは無く、空中を旋回する。どうやら騎士を獲物と定めたようだ。

(……焦る必要はない)

騎士は冷静に待ち構える。

(マンティコアは気性こそ凶暴だが、耐性に特筆する点はない。炎の魔槍で確実に焼き斬れる)


「ギィィィィィィ!!」

マンティコアは急降下し、騎士を爪で貫かんとする。

(獣らしい単純な突撃……最小の動きで(かわ)して首を()ねるか)

ぐんぐんと迫るマンティコアに対し、騎士は平静を崩さない。前脚が突き出され、鋭い爪が騎士を襲う。

「──貰った!」

騎士は接触するギリギリで体を捻り、躱すと同時に魔術を発動して炎の槍を顕現(けんげん)させる。

勝負は既に決した。振り上げられた魔槍がマンティコアの頸部(けいぶ)を刎ね飛ばす──筈だった。


「ッ!?」

鋼鉄をも溶解させる灼熱の槍が、マンティコアの首を通過する。ただ通過しただけで、その首は健在だった。

「ギィッ!」

槍を振り上げた体勢の騎士を、魔獣の爪が再び襲い掛かる。今度は躱しきる事は不可能だった。

「ぐっ!」

騎士は咄嗟(とっさ)に右半身を突き出す。爪は騎士の右腕に食い込み、そのまま荒々しく切断した。

「『閃光(シゲル)』!」

棒に巻かれた布に刻まれた紋様から(まばゆ)い閃光が(ほとばし)り、魔獣の視界を奪う。その隙を突いて騎士は魔獣から距離をとる。


マンティコアは尾を持ちあげ、周囲に無差別に毒針を射出する。

「『俊敏(エオー)』!」

騎士は疾風の如く加速し、毒針の雨の中を駆け抜ける。視界を取り戻したマンティコアが辺りを見回した時には、既に騎士の姿は無かった。

「ギィ………」


騎士は岩陰に隠れ、マンティコアの様子を伺っていた。

「ハァ、ハァ……」

マンティコアの首には火傷跡が残っており、炎の槍を受けた事は確かだった。

(…あのマンティコアは尋常なものではない。亜種か変異種か……判断を誤ったな。今所持している秘紋で仕留め切れるかも分からん)

(あれを取り逃がせば、更なる被害者を生む。確実に……この場で討伐しなければならない。これに頼りたくは無いが……)

騎士は覚悟を決め、左手で右腕の切断面を握る。右半身を構成する赤黒い管に力を込める。

(結局、悪魔の力に縋るか。弱いな……私は)


「ウッ………グゥゥゥゥゥゥゥ!!!」


赤黒い管が暴れ出し、騎士の体内の魔力が急速に膨張する。全身に想像を絶する激痛が走るが、騎士は歯を食いしばって立ち上がる。


挿絵(By みてみん)


「!!!」

膨れ上がる魔力に、マンティコアが気付く。突如として湧き上がったその漆黒の魔力に、マンティコアの足は竦んでいた。

岩陰から、騎士が姿を見せる。


「私は、“白惡(はくお)”の黒騎士(くろきし)


騎士は、ゆっくりと魔獣に向かって歩く。対して、マンティコアは動けない。魔獣に流れる血が、細胞の全てが、それを(おそ)れていた。


「悪を滅し、魔を(はら)う為だけに……人を捨てた化け物だ」


千切れた衣服は捨てられ、不気味な右半身が(あら)わになっている。先程切断された筈の右腕には、ウゾウゾと赤黒い管が(うごめ)いている。やがてそれは収束し、新たな右腕を形成した。

マンティコアは……怯えていた。目の前の、人間に似たものに。


「ギッ……ギエエエエエエエ!!」


マンティコアは恐慌(きょうこう)状態となり、尾から毒針を乱射する。騎士が新たに生えた右腕を前に向けると、毒針はまるで魔法にかけられた様に空中で失速し、地に落ちた。


尚も微動だに出来ないマンティコアの前に、騎士が到達する。

「お前には、本能で分かるのか。この悪魔の力が」

騎士は右手を上げ、マンティコアの頭部を優しく撫でる。マンティコアは恐怖に震えている。

「………さらばだ」

ドサリ、と低い音が乾いた空気に響き渡る。

マンティコアの巨体が崩れ落ち、地面の上に倒れていた。……それは絶命していた。


「……これでまた一段、白髪も増えるな」

騎士は少しの間目を閉じ、己の湧きあがった魔力を鎮めた。蠢く右半身が落ち着いていくのを感じながら、騎士は呟く。

「さて……まだ依頼は終わっていない」

騎士は疲れた脳を働かせる。

「マンティコアは凶暴かつ貪欲、人肉を何より好む。元々この砂漠に棲んでいたとしたら、最近まで人を襲ってこなかったなどありえない」

「間違いなくこの個体は最近砂漠に棲み付いたものだ。……こいつは一体どこからこの砂漠に来た?この国にはマンティコアの生息域は存在しない。もう少し調べる必要がるな……」


 ◇


完全に日が沈み、代わりに月が砂漠の砂を優しく照らす頃。騎士は岩山のふもとにある洞穴を探っていた。

「────ようやく見つけた。ここがマンティコアの巣だな」

手元に魔術で出来た灯火を浮かべ、辺りを観察する。あちこちに獣、あるいは人の骨が転がっている。

「一匹分、奴のものと見て間違いない」

角には草が乱雑に積み重なっており、マンティコアが(こしら)えた寝床と思われた。


「ここに至るまで終ぞ他のマンティコアには邂逅(かいこう)せず、群れの痕跡も無い以上……やはり単体でこの砂漠に飛来したと見るべきか」

騎士は死臭に満ち蠅がたかる寝床を躊躇(ためら)いなく漁る。するとその奥には……

「巣に運び込まれた犠牲者達……か」

無惨な状態の死体が転がっていた。食いかけのものばかりで、先のマンティコアは美食家だったようだ。


「武装した者もいるな……この装備はあの領主の私兵か?自分の配下に犠牲が出ていて平然としていたのか…あの男」

その言葉には、隠しきれない怒気が漂っていた。

「他には………子供の犠牲者もいるのか」

死体の中には一人、10歳前後と思われる子供も混じっていた。騎士は哀れみを込めてその子を持ち上げる。


「……………………」

騎士は絶句した。


冷たい筈の一人の子供の遺体……それが、温かかった。腹部から大量に出血していて顔は蒼白だったが、それは生者の体温だった。


「……ッ!」

耳をすますと、微かだが呼吸音が聞こえる。その子供は腹部が大きく嚙み千切られていて、まだ生存しているのが奇跡と言えた。だが、この晩を越えられずに死ぬだろうことも、誰が見ても自明だった。

騎士は努めて冷静に子供の状態を確認するが、手が震えていた。


(心臓と肺以外の内臓がほとんど欠損している……私の秘紋による治癒では、このレベルの傷は治せない……延命処置にもならない)

(何かないか……何とかこの子を死なせないようにする手段は……)

子供を助ける方法が無いか、騎士は必死に頭を巡らせる。そして、気付く。かつて瀕死の自分を救った悪魔の奇跡を。


(あれなら、何とかなるか……?だが、了承無しにこの手段を取るのは……)

騎士は子供を横に寝かせる。子供の顔は苦悶(くもん)に満ちていて、彼の心を締め上げた。

(これはエレフスの人間にとって最悪の禁忌。助けられてもそのまま死んだ方が良かったと絶望するかもしれない)

騎士は震える左手で自身の右腕を掴む。


(いや、悩むな)

(私は、私のエゴで人を救う。この子には後で殺されても受け入れよう)

騎士は決断した。それからの行動は素早かった。


彼は赤黒い管で出来た右腕を子供の腹部の上に掲げる。すると、その右腕がぐずぐずと溶け出し、液状になって子供の腹部に降りかかる。

赤黒い液体は食い千切られた腹部にどんどんと侵入していった。そして騎士の右半身を構成する管が盛り上がり、液体となって失われた右腕を補強していった。


(神よ、この力を人の子に使う事をお許し下さい……そしてどうか、この子をお救い下さい……)

やがて子供の腹部が満ちたのか、腕の液状化が止まった。騎士の右腕は子供の腹部と繋がったまま────それは奇怪な光景だった。


 挿絵(By みてみん)


しばらくすると、子供の顔に血の気が戻り始めた。

「うう……」

子供の口からうめき声が漏れる。騎士はまだ体勢を変えず、子供の様子を観察していた。

「…………よし、内臓は既に全て再生した。造血も問題なし……逆にこれ以上同化していると危険かもしれない」

そう言うと、騎士は右腕と子供腹部の間を断ち切る。すると、子供の腹部を埋めていた赤黒い肉が急速に変色し、その子供の肌と変わらない色になった。

余分な肉はポロポロと零れ落ちていき、まるで食い千切られていた事が嘘であったかのように傷一つ残らず元通りになった。


「すぅ……すぅ……」

子供の表情から苦しさが消え、穏やかな寝息が聞こえた。騎士の表情がようやく緩み、子供の顔を優しく撫でる。

「…………よかった」

騎士は安堵(あんど)し、その子を抱きかかえて衛生状態の悪いマンティコアの巣を離れた。出来るだけ清潔な洞穴(どうけつ)を探して子供を寝かせ、傍に寄り添った。


 ◇


翌朝。

「ん……」

洞穴の入口から差す陽光にあてられ、子供は目を覚ました。

「あれ、ここは……どこ?」

子供は上体を起こし、見慣れない景色に戸惑(とまど)っていた。

「目覚めたか。おはよう」

そこに、騎士が木で作ったコップを持って歩いてきた。

「えっ……」

子供は騎士の顔を見て驚いた様子を見せる。騎士は落ち着いた態度でその子に語りかける。

「寝起きに不快な顔を見せてしまって申し訳ない。だが私は人間で、君の味方だから安心してくれ」

騎士は謝ると、子供にコップを差し出した。

「喉が渇いているだろう。まずは水を飲んでほしい」

「あっ……えっと、その、すいません。そういうつもりじゃなかったんです」

子供も謝罪しながらコップを受け取る。きちんとした受け答えが出来ていることに、騎士は内心喜んでいた。

「あの…わたし、化け物に襲われて、えっと、それって、夢じゃないですよね……」

「ああ、君は魔獣に自分の巣に浚われていた」

「…!やっぱりそうなんですね。助けて下さりありがとうございます」

子供は騎士に対しぺこりと頭を下げる。その後、はっとした子供は自分の体を見回しながら不安そうな顔をする。


「そういえば……大怪我をしたと思ったんですけど……あれ、何も痛くない……」

「……そこについては、君に説明しなくてはならないことがある」

騎士は覚悟を決めた表情でかがみ、子供を目線を合わせる。

「君は確かにお腹に大怪我を負っていた。そのままでは死んでしまう怪我だった」

「…………」

子供は息をのんでいる。

「だから私は、悪魔に頼ってしまった。これを見てくれ」

騎士は自身の右腕を指し示す。


「私のこの赤黒い右半身は悪魔の血肉で出来ている。これは宿主に無限の生命力と魔力を与えてくれるんだ。どんな怪我でも再生できる」

「私は、一時的にこれと君の肉体を一体化させた。するとこれは君の体も私の一部だと勘違いして、元の姿に戻そうと作用する。そうして怪我を治した後は、これと切り離した。悪魔の血肉は常に一人にしか寄生せず、株分けは出来ない。切り離された方の肉は機能を失い、元の生物の肉体と完全に同化する。だから君の体にはもう悪魔は残っていないと思ってほしい」


子供は呆然と話を聞いている。

「……いきなり、意味不明の話をしてしまったな。要点を言うと、君の怪我は君の了承を得ないまま悪魔の力で治してしまった。本当に申し訳ない」

騎士は深く頭を下げる。

「許してくれとは言わない。ただ、君にはどうか生きてほしい……悪魔に救われた命だからと、決して捨てないでくれ」

騎士は真剣に子供に向き合う。子供はしばらく黙っていた後、口を開いた。

「す……」

騎士は罵倒される事を覚悟していた。あるいは、取り乱して号泣するか。


「凄い!」

「…?」

予想外の言葉だった。

「わたし、穴の中に引きずり込まれて噛まれちゃった所まで覚えてるんです。血がいっぱい出て、死んだ…と思ったんですけど、まさか治せるなんて!凄いです!」

子供は興奮していた。そして騎士は困惑していた。

「えっと、理解できていなかったかな。悪魔の力なんだが……」

「…それって、いけないんですか?」

子供はキョトンとしていた。騎士は益々困惑する。

(10歳ぐらいの子供なら初等教育は受けている筈だが……エレフスに住んでいて、第三教徒ではないのか?)


「……気にしていないなら、それが一番だ」

騎士は気を取り直す。実のところ、子供が傷付いていなくてとても安堵しており、表情も緩やかになっていた。

コップから水を飲みながら、子供は騎士に質問する。

「ところで、お兄さんのお名前を伺ってもいいですか?」

「ああ、私の名はノア。ノア・ダルクだ。……君の名前も聞いていいかな?」

ノアは、この子は村の子供か、それとも旅人の子供だろうかと考えていた。どちらにしても今後の処理の為に名前を知っておきたかった。

「はい、わたしの名前はカナンといいます。えっと、名字は……分かりません。ごめんなさい」


その返答に、ノアは少し違和感を覚えた。この年齢で自分の名字が分からないのは珍しい。しっかりとした受け答えが出来る利発さを身に付けているなら尚更だ。

「君はタベリナスの……地元の村の子供では無いのか?」

「あっ、わたしはここの生まれではないです。遠くから連れて来られました」

ノアは益々違和感を覚える。連れて来られた?旅人の両親に連れて来られたという意味だろうか。両親の事を聞きたかったが、子供が魔獣に襲われている以上同じように襲われて亡くなっている可能性があり質問が躊躇(ためら)われた。

目の前の男の逡巡(しゅんじゅん)を察したのか、カナンは話を進める。

「わたしは、売られてきたんです」


「…………………………………………何?」

今この場で想定していなかった言葉に、ノアは再び絶句した。

「わたしの家は多分、ここからかなり遠くの所にあると思います。気付いた時からお父さんがいなくて、凄く貧乏で、昔からご飯もあまり食べられなかったんですけど……」

カナンは平然として話を続ける。

「とうとうお母さんがわたしを売るって決めたんです。お金持ちの人が買ってくれるって決まって。これでご飯も一杯食べられるし、お母さんの負担にもならなくなるって喜びました」


滔々と話すカナンに対して、ノアの顔からは表情が消えていた。そこからは何の感情も読み取れない。

「……でも、実際に買った人のお屋敷に着いたら、同じような子供が何人もいて。その子たちと一緒にこの砂漠まで連れてこられました……つい昨日の事です。あ、もう日が明けたから一昨日になるのかな?」

それまで事も無げに話していたカナンの声が少し震え出す。

「この岩場に居ろって言われて、訳も分からないまま従っていました。連れてきた人も居なくなって、しばらくしたら……おおきな獣が現われて、みんなを襲い始めました」

カナンの額には汗が流れ、呼吸も荒くなっていた。


「あ、あいつが腕を振り回すと、パンッて、簡単にあの子の頭が弾け飛んで…ハァ……ハァッ……みんな、逃げ回って……私も、逃げなきゃって、でも、ハッ…ハッ…お腹が、ガブッと食べられて……気づいたら、ここに居ました……」

震える手からコップが零れ落ち、カナンは勢いよく立ち上がる。


「そうだ!!に、逃げなきゃ!あいつがまた来る前に!早く!逃げ……」

ノアは動転しているカナンの肩を両手で強く握って静止させる。

「大丈夫だ」

「あっ……」

両肩を掴んでいた腕を解き、ノアはそのまま両腕をカナンの背に回して彼女を抱きしめた。


「大丈夫、奴はもう私が討伐した」

「だから安心してくれ。君の事は私が守る。……もう、何も喋らなくていい」

呆然としていたカナンの目から、一筋の涙が流れる。それは安堵の涙だった。

「うっ……うぁぁぁぁぁ……」

嗚咽(おえつ)するカナンを、ノアは無言で抱きしめ続けた。彼女の苦しみを受け止める為に。


 ◇


「落ち着いたか」

「……はい。お恥かしい姿をお見せしました」

五分ほど経って、ノアとカナンは出立の準備をしていた。

「まずは君を安全な場所まで連れていく。そして君を買った人間を見つけ出し国の治安維持組織か教会に引き渡すつもりだ。話の続きはそれからだな」

「あ、ありがとうございます……」

“第三の教え”では奴隷の所有が禁じられている為、エレフス教導連合に所属する国家では基本的に人身売買は犯罪行為となる。ここカスティリアも例外ではない。


「でも、あの化け物を倒すなんて本当に凄いです……。ノアさんは、騎士様なんですか?」

カナンはノアを見上げる。その瞳には憧憬(どうけい)(こも)っていた。

「私は……確かに騎士と言えるが、君が想像しているような上等なものではない。黒騎士という、卑賎(ひせん)な身分だ」

自身に向けられる輝かしい感情に対し、ノアの言葉には自嘲が混じっていた。


「さっき君の体を悪魔の力で(いや)したと言ったろう?このエレフスで禁じられている魔術の使用が許されているのが黒騎士だ。その代わりに、命懸けで魔獣と戦う様な危険な仕事を伴う」

「黒騎士……魔術が使える……か、カッコいいです」

ノアの言葉にカナンは震えていた。ノアは、何とも言えない表情をしていた。

「…………。もう出発の用意はいいな。これから砂漠を抜けるぞ」

「はい!」

カナンの返事は元気に満ちていた。

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