五 変質者
遠足はお弁当が楽しみの一つ。
みんなでいただきますを言って、お弁当を食べ始めたんだけど、隣の安田くんとエギちんの話に思わず吹き出しそうになる。
でも、笑ってはいけない。
なぜかって言うと、話の中身が結構エッチで、そこで笑ったりすると『意味がわかってる』ことになっちゃうから。
だって、お弁当食べてる真正面が高森くんなんだもん。
表向きわたしはそういう話題にうといことにしてるから、微妙な表情しかしちゃいけないんだ。
ああ、でも真ん前で高森くんの食べてるようすがよくわかる。とても美味しそうで楽しそうに、隣にいる班長さんとお話しながら食べている。
でも、これって、目の前でラブラブなところを見せつけられてるだけなのかも知れない。山登りのときは後ろ姿だったからダメージは少なかったけど、目の前に、わたし、いるんですけどお!
周りにも、人いっぱいいますよお!
見えてますかあ?
そこだけ別世界ですかあ?
これじゃあ、まるで結婚披露宴に呼ばれた片想いの女友達だよ。
ひょっとして、みんなで食べようって提案は、そういう場を設けるって意味だったんですか!
あ、玉子焼きとウインナーの交換!?
えっ、ちょっと、半分ずつ交換って? お箸で切るって!? そのお箸ってさんざん口付けたやつだよねっ!
それって、いいの? いいの!? いいの!!
もしかして、初めての共同作業です、みたいなやつ!? よもや『はい、啓示くん、食べさせてアゲル、あーん、して』なんてしないよね!
「ね、友井さんちの玉子焼きって、甘いやつ?」
なによっ! なんだ、達川か。図々しく、わたしのお弁当を覗き込んで。ちょっと、いま、取り込み中なんだよ、おとなしくしてろよ! ったく。
「うちのはずっとしょっぱいのでさ、甘いのって食べたことないんだ」
しょっぱい? なんだそれ?
達川くんの膝の上に乗っかってる、おかずの詰まったプラスチックの密閉容器をちらっと覗くと、玉子焼きとミートボール、お豆の煮たやつに、ほうれん草とベーコンを炒めたの、それとしば漬け少々が残ってて、なかなかおいしそう。
玉子焼きなんかプラスチックでできてる食品サンプルみたいに綺麗な黄色でつやつや光ってて、ミートボールも大きめでトロリとしたソースがたっぷりかかってる。
「じゃあ、交換してみる?」
あまりにもおいしそうなので、ついついわたしもお弁当箱を達川くんの方に向けた。
えっと、『しおり』の禁止事項はおやつの交換で、おかずの交換は書いてなかったよね。
それって、いいの? いいの、いいの!
達川くんのから色つやのいい大きな玉子焼き一切れをお箸で摘む。
一口かじって、
「おいしい」って、自然に口にでた。
しょっぱいっていっても、塩辛いんじゃない。ふんわりしておダシが効いててお料理屋さんのみたい。親戚が集まったときの会食で出たお弁当でこういうのを食べたことがあるけど、こっちのほうがはるかにおいしい。
達川くんもわたしのから取った小さめのを口に入れた。
「うまい! あまいのってこういう味なんだ。なんか口の中が幸せになるよね」
口の中が幸せなんて、オマエ、上手いこというなあ。
「これ最高」なんて、玉子焼きひとつで!
半分は最後に残しとこうって、貧乏臭くかじり掛けを容器に置こうとするから、
「達川くん取ったの小さかったから、もうひとついいよ」とお弁当を向けた。
はー、なんだか、お弁当をほめられるのって、自分がほめられたようないい気分。
「でも、友井さんのなくなっちゃうよ」
なるほど、確かに、最後の一切れだ。
「じゃあ……」一瞬、じゃあ半分こにする? ってお箸でふたつに割りそうになって思いとどまった。
それじゃあ、向かいのみっともないバカップルと一緒じゃん。
「いいのいいの、わたし、いっつも食べてるから」
達川くんが玉子焼きを取ったら、お弁当に大きな空間ができた。
「じゃあ、こっちのミートボール持ってってよ」って!
よし、達川、いい子だ、よく気が付いた。それでこそともりん四天王だ!
もう、さっきからそっちのミートボールに目が釘付けになってたの。
「うん!」やった、ミートボール、ゲットォッ!
「お弁当ってさ、ほめられたら、自分が作ったわけじゃないのにすごく嬉しいよね」
おお、達川、おまえもか。
「うん、わたしも。なんでかな?」
「お弁当って、お母さんが早起きして一生懸命作ってくれるじゃない。それをほめられたら、自分がお母さんに愛されてるってことを認めてもらったような気持ちになるからじゃないかな?」
「あ、なるほど、すごい、そうだ、わたしもそうだと思う」
達川くんの言う通りだ、お弁当って、自分が大切にされてる印だって思うんだよ。
わたしは達川くんの言葉に胸の前で小さく手を打った。
「二人、仲良いんだね」
斜め前からの言葉に思わずそっちを向いて頬は緩めたまんま瞳の奥でギロリと睨み返した。
ちょっと、金井さん、どの口がそんなことを言うんですか、どの口が!? 上下の唇、ホチキスでパッチンしてやろうか! わたしらのは、ほんのお近づきの印ってやつです! あんたたちみたいに人目もはばからず、いつでもどこでも春先のノラネコみたいにぺたぺたべたべたぺたぺたべたべたぺたぺた…………。
「あれ、達川、お前、箸どうしたの?」あっ、オスネコの方が気付いた。
「ああ、友井に貸した。オレ、おにぎりだし」
そうそう、達川くんはね、三角おにぎりパクパクなんだよねえ…………、ひええええ!
隣を見たら、達川くんがミートボールを素手でつまんでた。
そりゃそうか!?
わたしの玉子焼きも手でつまんでたし!
「箸、忘れたなら先生にいえば割り箸もらえるよ」
なんだ、そうか、さすが腐っても高森くん、いろいろとくわしい。じゃあ割り箸をもらってきて、このお箸は達川くんに返して。あ、でも、これはわたしがさんざん使ったお箸だ。割り箸をもらってきて達川くんにそれを使ってもらって……、か。
やっぱり、先生にお箸もらいに行くのはわたしだよね。
うーん、なんかめんどくさいなあ。達川くん、男の子なんだから、オレが行くよ! とか元気良くいわないかね。
そしたら2位にしてあげてもいいよ。2位!
「ああ、いいのいいの、もう半分食べちゃってるし、それに、友井にだったらお箸ぐらいいくらでも貸してやるよ」
えっ、友井『に』だったら? 『に』って、特別にってことだよね。
この子、わたしにだけ、ハートグミだったし、確か、さっきは『かわいい』って…………!
あ、そういえばこいつ、どさくさに紛れて、友井って呼び捨てにしてる。わたしと話すときは友井さんって言ってたのに、みんなの前では友井って!
これって、男子にありがちな『コイツはオレの女だ』的な?
冷静に! 落ち着いて、落ち着いてまとめましょう。
まずは深呼吸。わたしはアクシデントに弱いんだから。
達川くんが言いたいのは、『かわいい友井になら、たとえ自分が手掴みになったとしても箸を貸してやるぜ!』ってこと!?
きゅん。
やっべー! いま、一瞬、きゅんときた。
いままで男の子にきゅんとしたことなんて一度もなかったけど、わたしだって女の子だ、これがきゅんだということは何となく本能で分かる。
ジェットコースターに乗ってて、ふわっと浮き上がる瞬間。身体中がゾクゾクして油断するとオシッコが漏れそうになる、そんな感じ。あとからドキドキが増してくる。
まさか、わたしも達川くんのことが気になってる?
いやいやいや、これはきっといままで男子に親切にされたことなんかなかったからに違いないんだ。
けど、既に周りでは達川くんがわたしにお箸を貸して自分は素手で食べてることが話題になって盛り上がってる。
【達川は友井のことが好き ヒューヒュー!】
そうなんだ?
この子はわたしのことが好きなんだ?
そうだろう、そうだろう、きょうのこいつの行動や言動を冷静に思い返せば、そうに違いない!
さんざん、金井さんに高森くんとのうらやまな姿を見せつけられてきたけど、わたしにだってきゅんきゅんさせてくれる相手のひとりや、ひとりぐらいいるんだから!
よくよく観察すれば、この煮豆ポロポロこぼしながらエサにがっついてるだけの飢えた野生動物みたいなこいつだってそれほど見れない顔じゃあない。
『ともりんも、たっくんのことが好き!』
うん、なかなか呼び方としてはしっくりくるな。ユウユウは元彼の呼び方だからこの際破棄だね。
こういうときは『ごめんね』かな『ありがとう』かな、どちらを使おうか。
どっちの方が好感度アップできそう?
わたし、金井さんみたいに男に媚びを売るのに慣れてないからなあ。
ごめんね、ありがとう、ごめんね、ありがとう…………。
よーし、決めた。
「達川くん、わたしのためにありがとう」
ちょっと可愛くを意識してみた。ドラマかなんかで見た事のある、ほんの少し首を傾げて、右っ側の髪の毛を指先で耳に引っ掛けたりしながらだ。なれない仕草でメガネがズレて上手いこといかなかったけど。
「友井が気にすることなんて、ぜんぜんないよ」
達川くんの言葉に周りのみんなが一斉にヒューヒュー囃し立てる。いつの間にか、うちのクラス以外の見物人まで増えてるじゃない。
やだ、この場で告白されたらどうしよう。
そう思ったとたん、体中の血が沸騰するぐらいかあっと熱くなった。
ああ、きっともうすぐ彼が言う。
『オレ、友井のこと、好きだから』
こんな、みんなの前で!
もしその瞬間、わたしの心臓が止まってなかったら『お友達からだったらいいよ』って伝えよう。これならいちおうOKの返事になるし、高森くんを悲しませることにもならない。
これは、ふたまたがけじゃないからね。子供のうちはいろんな男の子と友達になった方がいいって、お母さんが言ってたんだからね!
でも、こんなところじゃなくて二人きりの秘密の告白だったら、「わたしも好きだよ」なんてとびきりかわいめの返事をしてあげたっていいのに!
「だって、俺が毎日使ってるお箸を友井が使ってるんだぜ。持って帰って「ゆうかちゃぁーん」っ言いながら、そいつをべろべろ舐め回すんだ」当然だろと言わんばかりに得意げにミートボールのソースが付いた指を舐め回しながら、今夜のおかずは友井で決まりだな、と意味不明のことを口走った。
瞬間、周りが静かになった。
変態だ。
変質者ってやつかもしれない。
学校の防犯教室に来たお巡りさんが言ってた『いかのおすし』で気をつけなきゃいけない相手だ。
その場にいたみんなも同意見だった。
クラスのみんなが同じ思いで一致団結した姿を見るのなんて運動会のクラス対抗リレー以外ではありえないことだ。エギちんと安田くんはさっきちょうどそういう雰囲気の話題で盛り上がってたからマジ受けで爆笑してる。
おい、達川! さっききゅんとしてしまったわたしの純情を返せ、こら。
なに、わたしの玉子焼きへらへらしながら食ってんだよお!
口に出せない文句の代わりに一つでっかいため息をついた。
そのあと、わたしたちはなにごともなかったかのように、黙々と残りのお弁当を胃袋におさめた。
それで、わたしは広場のトイレの汚ったない手洗い場でお箸を表面が削れるぐらい時間をかけて入念に洗いまくった。
噂を聞き付けてようすを見にきたきくちゃんが、
「そんなお箸、オシッコでも掛けといてやればいいのよ」ってナイスなアドバイスをしてくれて、
「そんなことしちゃダメだよ」って言いながら、こっそり実行してみようかとお箸を握りしめて個室にまで行ったんだけど、やっぱりやめた。
いけないことだと思ったからじゃない。
アイツならかえって喜びかねないと気が付いたからだ。
お弁当あとの自由時間、みんなとの鬼ごっこに参加しないで芝生の上で大の字になってる生ゴミ野郎に向かって黙ってお箸を突き出した。できればコイツで両眼をえぐってやりたい。
ヤツはわたしを見上げて寝転がったまま手を伸ばしてそれを受け取った。
「ありがとう、ちゃんと洗っといたから」
精一杯言葉に毒の棘を生やしてやる。刺さって地獄に落ちるがいい。
「さっきはごめんね、友井さん。僕のせいで変な噂になったりしないようにするからさ」にっこり微笑みながらも真剣な目で見上げられて、いきなりきゅんがきた。
これはまるでバンジージャーンプ!
ビクッ! ってして、ちょびっと漏れた。個室に行ったとき、ちゃんと出しとけばよかった。
さっきのあの変態な言葉の数々はわたしをかばうため? 自分を犠牲にしてっていうこと!?
なんて優し…………。
「友井さん、スカートだったらよかったのにね」
うっとりしてたら、唐突に言ってわたしを見つめてきた。
きょうは遠足なのでもちろんわたしも服装は体操服、下は長いトレパンだ。それにわたしは普段でも通学ではスカートははかない主義だ。
けど、達川くんはわたしのことスカートの方が似合うと思ってるのかな? やっぱり男子って、女の子はスカートの方がかわいいって思うんだよね? そっか、これからは学校にスカートはいていってもいいかも。でもなぁ、スカートってめくられたり中が見えたりするからなぁ……。
あ!
いきなり危険を感じて一歩下がってトレパンの太腿の辺りを両手で押さえた。
わたしには分かる。
コイツは寝転がってスカートの中を覗きたかっただけだ!
気を許してちびったわたしがバカだった。
怒りの形相で睨みつけるとゾンビみたいにぴょこんと飛び起きて、トレパンのポケットから何かを取り出して、ひょいとわたしに投げて寄こした。
「口止め料」
「えっ!?」
手の中に飛び込んできたのは小さなチョコレートだった。
「僕が友井さんのこと本気で好きだってこと、みんなに内緒ね」
達川くんは立てた人差し指を唇に押し当ててにっこり笑うと、鬼ごっこの群れに向かって駆けて行った。
わたしは直ぐにチョコの包みを開いて、急いで口に放り込んだ。わたしの大好きなきな粉餅のチョコレート。
こらっ! 遠足のおやつにチョコは溶けるから、ダメなんだぞ!
わたしはチョコを味わいながら、辺りを見回して誰も見ていないことをしっかりと確認した。
「あのねぇ、たっくん、ともりんは、チョコが大好きなの!」
小さな声で誰も聞いてないとわかってても屋外で口に出すのはかなり恥ずかしい。
達川くんがさっきまで寝転がって顔があったあたりを肩幅にまたいで、スカートの裾をひらひらさせるような仕草をしてみた。
それで、下から見上げてる達川くんを想像して『見た? 見えた?』って、ひとりでにやにやしながらきゅんきゅんしまくった。
やだ、わたしって、変質者?
ふと、気になって達川くんの姿を探すと、わたし達のお箸を握ったまま、別の女の子の背中を追いかけてる。
なんなんだよ、あいつは!
何となくムカッときて、さっきの顔の辺りをスニーカーのつま先でぐりぐり掘じ繰り返した。
それで、わたしも追いかけてもらおうと、鬼ごっこの群れに駆けながら手を振った。