二 表の顔
菊川聖羅と桐谷こころは二人とも、幼稚園の頃からの付合いで、いまみたいに放課後に集まって遊ぶこともある。
きょうはこころちゃんが遠足のおやつに新発売のお菓子が見たいっていうからキミトまでやってきた。
それで、モールの中の食品スーパーで買ったジュースを持ってフードコートに陣取った。カフェなんかに行ったら、こころちゃんのひと月分のお小遣いが一瞬にして消し飛んでしまう。ついでに買ったポッキーを開けて、みんなで摘む。
「あーあ、わたしも二人と一緒の班がよかったな」席に着いてそうそう、わたしは遠足の班が決まってから何度も繰り返してる言葉をまた口にした。これをいえばわたしがふたりと同じ班になりたかったということをアピールできる。
男女三人ずつの六人でひとつの班になるようにクラスでくじ引きをしたんだけど、きくちゃんとこころちゃんは同じ班になった。他の班でも、仲のいい子同士が一緒になってることは珍しくない。
「ユカ、上手くやらないから」きくちゃんはそういうこともあけすけにいう。
先週の学活の時間にみんなでくじを引いて、わーって騒ぎになってるほんのわずかの間に、お目当ての子と一緒になれるように、目にも止まらぬ早業でくじ交換をしてるんだ。まるで店内トレード禁止のカードショップでトレーディングカードを手渡すみたいな感じだ。こころちゃんもわたしには言わないけど誰だかちゃんと交換したらしい。きくちゃんは同じ班に佐藤くんがいたから自分は変わりたくなかったんだと思う。人間関係は複雑だ。
わたしもきくちゃんと同じ班になれるくじの子からいちおう声が掛かったけど、
「ダメだよ、そんなの」と言ってしまった。
その辺は、先生だって多少のことは大目に見てるっていうのに。つくづくわたしはめんどくさい子なんだと思う。
でも、店内でのカード交換は絶対ダメなんだからね! じゃなくて、くじ交換なんかいっつもやってたら、気の弱い子がホントは嫌でも断れなくなっちゃうんだからね!
確かに、くじ引きをしたそのときは、ふたりと同じ班になれたらよかったのかもなあ、なんて思ったりしたけど、すぐに高森くんと同じ班だということがわかって、くじ交換なんかしなくてほんとに良かったとわたしのめんどくさい性格に感謝した。
別に不正を許さぬ正義の味方になりたいわけじゃない。いい子に見られたいわけでもない。
ずるいことをするのが嫌なんじゃなくて、ずるいことをした自分が後ろめたい気持ちになってるのをみてるとイライラしてくるんだ。
だから、他の子がわたしの知らないところでずるいことをしてても構わないんだけど、知ってしまうと、こんどは、ずるいことを見逃してる自分が許せなくなってしまうから、ついつい注意したり先生に告げ口してみんなから睨まれることになってしまう。
特に男子は、ズルいし、エロいし、乱暴で、幼稚ときてるから見てるだけでイライラしてきて、しょっちゅう告げ口してしまって、ほとんど敵対関係みたいになってしまってる。
いまわたしがいじめられてないのは、もし少しでもいじめられたら直ぐに親や先生に言うからで、しかも、わたしが表向き良い子だから大人はみんなわたしの方を全部信用してくれるからにほかならない。
あ、表向き良い子って言っても、陰で悪いことをしてるってわけではない。極悪非道なのは、あくまでも頭の中だけでのこと。
告げ口なんかすると、大人に言うなんて卑怯だ、とかいう人が必ずいるけど、卑怯なのは悪いことをするヤツだ。
自分たちで解決できないから解決できる人に相談するだけ。
大人だって、泥棒に入られたら警察に通報する。自分で犯人みつけて捕まえようなんてバカはいない。
悪いのは泥棒であって、泥棒された人でも通報した人でもないんだから。逆恨みなんて、みっともないんだよ。
わたしは、わたしをいじめたヤツが二度とそんな気を起こさないぐらいまで、告げ口しまくった。
偉い人に手紙を書いたこともある。県の教育長とか文部科学大臣とかいうひと。
親とか先生はなまぬるい対応しか取ってくれないけど、自分に責任が飛びかかって来ないぐらい上の方の偉い人は違う。
テレビ局とか新聞社とか週刊誌なんかは『助けてください』と手紙に書いたら、記者さんたちが真剣に話を聞きにきてくれた。
それで、家族ごとこの街から引っ越してった子が何人もいるし、先生がやめたり転勤になったこともあった。
わたしは、心の底ではめんどくさいと思ってるから、わざわざ探してまで悪いことを見つけたりはしないけど、降りかかる火の粉ははらうし、誰かがわたしに相談してきたら、絶対に放って置かない。
クラスで仲間外れにされないのも、何か問題が起きたとき親とか先生とかに代わりに告げ口してくれる係みたいな感じになってるからだ。
よくあるんだよね、いじめとか決まりを守らないとか、嫌だなって思うことがあっても、自分が告げ口したって思われたくないことって、できれば知らん顔しときたいことって。
そういうときにわたしに回ってくる。
なんか、わたしが大喜びで職員室に駆け込んでるってみんな思ってるみたいだけど全然違う。
イライラして暴言を吐きたくなるのを正義っぽい感じでごまかしてるだけなんだ。
先生なんか、わたしが職員室に入っていくと(うわっ、また友井が来たよ)って目をしてるんだもん。わたしだってできれば見てないことにしておきたいときもある。
きのうだって、相本さんがわざわざ、
「友井さん、見た!? いま渡橋くんがわたしのスカートめくったんだよ!」って!
「あっ、ごめん、ちょっと考えごとしてた」ってなんとかごまかそうと思ったんだ。
実はちゃんとめくられてるところを見てはいたんだけど、どうせ下に体操服のハーパンはいてたんだからいいじゃん!
そりゃ自分がされたんだったら、たとえ中にハーパンやスパッツをはいてたとしてもスカートめくられるのは絶対に嫌だけど、そのためにわたしは学校にはスカートをはいて行かないの!
わたしに言うのは渡橋くんにハーパン下ろされてからにしてちょうだい!
まあ、先生にはちゃんといいに行ったんだけどね。ほっとけない性格だし。嫌だという気持ちは痛いほどわかるし、相本さん、小っちゃくてカワイイし。
だからって、なんで後で渡橋くんに「ばーか、ぶーす」なんて言われなきゃいけないのよ。
確かにわたしの成績はつねにクラスの下から数えて五番目ぐらいには入ってるし、顔だってお世辞でいうなら個性的な顔だけど、たとえ事実でも口に出していうのは『名誉毀損』って犯罪なんだからね!
きくちゃんとこころちゃんだって、なんかルール違反をしそうな、たぶんわくわくするような遊びをするときは、わたしを誘わないようにしてることを知ってる。
そういうときは、わたしは知らない振りをする。めっちゃくちゃ、イライラして頭の中で爆発してるけど、そんなそぶりは絶対に見せない。わたしはうわべだけで生きてる知らない振りの天才でもあるんだ。
そもそも今日だって、遠足のおやつなんかみんなとっくに買っちゃってて、新発売のお菓子なんか買うつもりも見るつもりも全然ないのに、理由もなくキミトに行こうっていうとわたしが文句言うもんだから適当な理由付けをしてるだけなんだ。
めんどくさい女でごめんなさいね!
「でも、くじ引きは普段知らない子と友達になるチャンスだし、仲間はずれの子を作らないためでもあるんだからね、偶然の班もけっこう楽しいもんなんだよ」
わたしはいかにも負け惜しみを言ってますよって感じで、高森くんと一緒の班を喜んでることをばれないように心の中で祝福した。
「けど、ユカちんみたいにきっちりしすぎるのも、男の子にモテないんだよ」
こころちゃんは近頃いつも男子にモテたい発言をしている。
たぶん、最近仲良くなりつつある誰かさん――えっと、あれ、なんて子だったっけ? まあいいや――と、もっとお近付きになりたいと思っているからだろう。
「そうかも知れないけど」
いいえ、わたしが男の子に人気がないのは、そういう融通が利かない性格のせいじゃなくて、容姿が優れないからなんだよ。
だって、ね…………。
「男子なんか幼稚で騒々しくて、いない方がせいせいするよ」
きくちゃんの鼻息が荒くなる。男子を目のかたきにする女子は珍しくないけど、きくちゃんの男嫌い発言は小学生のトップレベルだ。
もちろん、佐藤くんだけはその男子の仲間に入ってないみたいだけど。
そんな過激なきくちゃんが男子に人気があるのは間違いなくおしゃれでスタイルがよくて可愛いからだ。
「わたし、別に、男子にモテたいなんて思わないけど、まあ、誰とでも仲良くできた方がいいかなぁ?」あたりさわりのないつまらない返事を二人に返す。
いいえ、わたしは男にモテたい。というか、男の子と仲良くなりたい。ぬいぐるみじゃない生身の人間と「ん……」「んんん……」したい。
もちろん高森くんという具体的な名前を出して親密なお付き合いがしたいなんて口が裂けても言えないけれど。
「まあ、ユカちんらしいね」
自分でもつまらない答えしかできてないなと思ってるのに、それをわたしらしいと言われると、なんだか自分がとてつもなくつまらない人間って言われてるような気がしてくる。
実際、つまんないんだろうけど、もう、これが精一杯。
「ユカの班って、ほか、誰いるの?」
「えっと、江木ちゃんと金井さん」
「全然、バラバラじゃん」
確かに、江木ちゃんと金井さんでは仲良しのグループがぜんぜん違う。江木ちゃんは男子とも普通に遊んでる活発な子だし、金井さんは一人でも平気の人なんだけど。
「男子は?」
「えっと、誰だっけ……。えーっ? あれっ?」 高森くんしか名前が出てこない。
「あんた、ほんとに人の名前覚えないよね」
きくちゃんがあきれ果てる。
確かにわたしは名前を覚えられない。覚えようという気がまったくないからなんだけど、顔は思い出せても、名前と顔が一致しないんだ。
いまのクラスは五年になるときにクラス替えがあってから、もう半年以上たってるけど、正直、すぐには半分ほども名前が出てこない。
とくに男子は『クラスのカッコイイ男子ベスト5(注:友井優香調べ)』ぐらいしか覚えていない。
わたしは必死になってさっき見てた遠足のしおりの表とメンバーの顔を思い浮かべた。
「あ、あーっ、思い出した、安田くんだ安田くん、それと高森くんと……」
わたしは同じ班になった男子なんかにはまったく興味がない。ふうな感じで高森くんの名前を二番目にして答えた。
「高森ぃ!?」きくちゃんがびっくりしたように一段高い声を上げた。
ああ、やっぱりきくちゃんが喰い付いてきた。
「ねえねえ、高森くんって、絶対金井さんと付き合ってるよね!」こころちゃんが嬉しそうに身を乗り出してくる。その話題はあんまり聞きたくない。
安田くんの名前を思い出せたのも、班のメンバー表で、
班 長:金井ナントカ
副班長:安田カントカ
地図係:高森啓示
って、金井さんと高森くんのあいだに割り込んでくれたという感謝の気持ちがあったからだ。
「へぇー、そうなの? なんか親戚同士って聞いたことあるけどぉ」サラッと受け流したいところだ。
「いとこ同士でも結婚できるんだよ、あの二人、絶対ズルして同じ班になったんだよ」
ズルしたこころちゃんが言うのもなんだと思うけど、高森くんも金井さんもズルなんてしそうにないキャラだ。頭のいいふたりならくじそのものになにか細工するかもしれないけど。
「あの二人、キスしてるね」きくちゃんが真剣な顔で間違いないときっぱり言い切った。
「うそ! ホント!?」きくちゃんの言葉に動揺して思わず声が上ずってしまう。
いかん、落ち着け! わたしは色恋沙汰とは無縁な純情可憐な乙女の設定なんだ。
「このあいだ、テレビで見たんだけど、パーソナルスペースってあるんだって」
きくちゃんが言うには、男女で30センチ以内に近寄れるのは特別な関係の人だけらしい。男子と女子で特別な関係っていうのは、つまり『男女の関係』っていうやつだ。
「あの二人、べっとりくっついてても平気だよね」
あわわ、そういえば、このあいだ班の係のこととか、みんなで遠足の話をしてたとき、あの二人、ひとつのイスを半分こにしてお尻くっつけて座ってた!
そんな狭いとこにムリして座らないで、もひとつイス持ってきなさいよ! って泣きたくなったんだった。
「わたし、抱き合ってるの見たことあるよ!」
こころちゃん、いま嘘ついたでしょ。あんたは調子に乗ると話しを足したり盛ったりする悪い癖があるよね。
あの二人ならもし付き合っててもバレるようなヘマはしないと思う。きっと、自宅の自室のベッドの上でこっそりと……、いやだ、だめだよ高森くん、あんなホルスタインみたいな胸に騙されちゃ!
「もお、男子が女子に近付くのなんかエロいことだけが目的なんだから!」
きくちゃんも調子がでてきた。怖い。たぶんこういう公共の場では言っちゃいけないような言葉がどんどん飛び出してくる。
「高森なんか僕は紳士ですってすました顔してるけど、中身はただのオスだからね。金井さんのことだって、どうせ胸しか見てないんだし」
きくちゃんは男子嫌いだけど、高森くんのことは、なぜかなおさら攻撃的な表現だ。なにか理由でもあるんだろうか?
「ああいう男ほどスケベで何考えてるか分かんないんだよ。小さい女の子にイタズラしたりするのもああいうタイプの男なんだから! ユカみたいな真面目な子はね、一番男に狙われやすいんだからね、騙されないように気を付けなよ」
へいへい、実はわたしは狙われてもだまされるような真面目な子じゃないし、そもそも狙われるような器量でもないんですよ。
あーあ、高森くんならそういう目的でもいいから誘ってほしい。
そしたら知らん顔して騙された振りをしてあげるんだけどな。