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第1章 ようこそキボウ部へ(8)

 そのあと俺たちは予報官が気象データを監視する現業室や、過去の天気図なんかが収められた資料室なんかを見学させてもらった。

「ったくもうこんな時間じゃねえかよ」

 表面に傷のついた腕時計を見て忌々しげにつぶやくおっさん。

 俺たちは一通り見学を終えて、気象台の入った合同庁舎一階のエレベーターホールまで下りてきていた。

 おっさんの愛想が悪いのは案内を始めてもらったときから変わらないけど、なんだかんだもう二時間ぐらいが経っていた。

 ……こんなにじっくり相手してくれるなんて実はいい人なんじゃないのか?

「今日はありがとうございました。とっても勉強になりました」

 水無瀬が丁寧に頭を下げると、おっさんは頭をがしがしとかく。

「礼なんていらない。俺は姉貴に言われてしょうがなく面倒見てやっただけだ」

 どこか照れたように言ったが、

「それでもありがとうございます。教えていただいたことをこれからの気象予報部の活動に生かしていきます」

 重ねて礼を告げた水無瀬にすっと目を細めた。

「最初にも言ったけどな、気象予報をなめるなよ」

「それってどういうことなんですか?」

「どうもこうもねえよ。そのまんまの意味だ」

「それじゃわからないから訊いてるんですけど?」

 おっさんが声音を固くするにつれて、水無瀬の語気も徐々に荒くなってきている。

「ああ、そうだったな。ガキにゃわからねえか。要するにだな――いい加減な気持ちで気象予報なんてするなってことだ。迷惑でしかないんだよ。高校生は高校生らしく雲の観察でもしてりゃいいんだよ」

 これで話は終わりだとばかりにおっさんはひらひら手を振って「じゃあな」と俺たちに背を向ける。

 ダンっ――

 エレベーターのほうへとおっさんが足を踏み出したのと同時。

 水無瀬が鈍い音を響かせて床を踏みしめた。

 顔を俯かせて、両手の拳を強く握りしめて、肩をわなわなと震わせている。

「…………じゃない」

「は?」

 低くつぶやいた水無瀬の声におっさんは立ち止まって振り返る。

「わたしは……、わたしはっ! いい加減な気持ちなんかじゃないっ!」

「ったくなんなんだよ?」

 顔をしかめるおっさんに水無瀬はガバっと顔を上げる。

「わたしがやってるのは遊びなんかじゃない!」

「予報士の資格すら持ってないくせに偉そうなことを言うなよ」

「資格なんて関係ないっ! 試験には通ってないけど、誰にも知識だったら負けないから」

「知識が足りないから合格しないんだろ」

 あきれ顔を浮かべるおっさん。

 言ってることは正しいと俺も思うが、水無瀬は髪を振り乱しながらなおも言葉を連ねる。

「わたしは試験にも合格するし、真剣な気持ちで気象予報をやる。だからいい加減な気持ちだなんて言ったことを訂正してよ!」

 静かなエレベーターホールに水無瀬の声が甲高く響く。

 止めるべきなのか逡巡していると、来栖が俺の服の袖を引いて静かに首を振る。

「なにか言ってよ! わたしはわたしがいい加減なんかじゃないって言った。なにも言わないってあなたのほうがよっぽどいい加減なんじゃないの!」

 言葉を荒げる水無瀬におっさんは頬をかいて嘆息する。

「……なんでそんなに必死なんだ?」

「なんでだっていいでしょ」

「それがわからないと俺としてもなにも言いようがないんだがな……。でも今日の土産に一つ話をしてやろう」

「はぐらかそうとしてるでしょ?」

「そんなんじゃねえよ」

 おっさんは苦笑を浮かべると水無瀬を落ち着かせるようにゆっくりと口を開く。

「いまから十年ちょっと前の話だ。イタリアのラクイラって所で地震が起きたことを知ってるか?」

「……聞いたことない」

「だろうな。それなりの被害が出た地震だが、そのあとに日本で起こった地震のほうが被害は大きかったしな」

「そんなことも知らないのかって説教してるの?」

 気色ばむ水無瀬におっさんは「ちげえよ」と再び苦笑を浮かべる。

「この話の大事なことはだな、この地震の前に地震が『予知』されたことだ」

「地震予知などあり得ない」

 黙って見守っていた来栖が口を挟むとおっさんは静かに頷く。

「そうだ。自然現象の予想ってのは経験則でしかない。だけど毎日さまざまなデータが得られる気象予報と違って地震のデータは限られている。だから地震予知なんてとてもじゃないが無理な話だ」

「じゃあその予知とはなんなんだ?」

「地元の技師が勝手に地震が起こるって言ったんだよ。不幸なことに大地震が起こる前にラクイラでは小さな地震が頻発してた。住民の間に不安が募っていたときに技師なんて中途半端な肩書の人間が地震予知をしたもんだから、問題は起こった」

「……もしかして行政かなにかが地震は起きないと発表でもしたのか?」

 来栖が親指の爪をかみながら訊ねると、おっさんは「ほう」と小さく息を吐く。

「なかなかいい勘をしてるな。その通りだ。一概には言えないが、そのせいで被害が大きくなったとも言える」

「なるほど。たしかに自分たちが知っておく必要がある話かもしれないな」

 来栖とおっさんは二人して納得しているようだが、俺にはさっぱり理解できない。

 水無瀬も首を傾けて懸命に話の流れを掴もうとしているように見える。

「なあ、どういうことなんだ?」

 たまらず口を開いた俺におっさんはからかうような笑みを浮かべる。

「お前にはわからないだろうな。見学をしてるときも一人だけなにも理解してなさそうだったしな」

「俺はつい数日前に無理やり入部させられたんだからしょうがないだろ」

「それもそうだな」

「で、さっきからなんの話をしてるんだよ?」

「要はだな、間違った情報はときに正しい情報よりも信じられることがあるってことだ」

「……つまり、俺たちにいい加減な、というか、間違った情報を出すなと言ってるのか?」

「そうだ。だがな、なにが正しくてなにが間違っているのかを事前に判断するのは難しい」

「だから、はじめから気象予報なんてするなと言いたいのか?」

「よくわかってるじゃねえか」

 頬をにっと上げるおっさん。

 その表情に気づいた水無瀬が口を開こうとするのを手で制して、「ちょっと来い」と俺に手招きする。

「なんだよ?」

「いいから。少しは男同士で話でもしようと思ったんだよ」

 強引に肩を抱えられて俺はエレベーターホールの端のほうへと連れられていった。

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