第5章 馬の背と土のにおい(10)
「私は視聴者数のことなんてひと言も言っていない」
名倉がようやく口を開いて俺は慌てて視線を戻す。
「そっ、そんなのってないよっ!」
水無瀬は声を荒げるが名倉はやはり淡々と身じろぎ一つしない。
「はじめから活動実績どうこう言うつもりはないと言っていた」
「だったら最初からそう言ってくれたらよかったのに!」
「あのとき私は決定事項だと告げたはず。存続するための条件もなにも提示しなかった」
「っ……!」
目を見据えて静かに言葉を紡ぐ名倉に水無瀬は両腕をピンと伸ばして唇をかむ。
「じゃあ……やっぱり、これで、キボウ部は…………」
肩を落として消え入るような声で漏らす。
もうなにも言えないとうなだれてしまう。
が、
「水無瀬、ちょっと待て」
俺が声をかけるとゆっくりこちらを振り向いた。
「一真、どうかしたの?」
「なんか水無瀬がそんなふうに元気がないと調子が狂うな」
声をかすれさせる水無瀬に俺は苦笑を返して続ける。
「名倉は話があるといって部室に来たんだぞ。諦めるのは早いんじゃないのか?」
「はっ……!」
俺の言葉に水無瀬はがばっと顔を名倉のほうに向け直す。
「名倉さんの話ってなんなの?」
「生徒会の決定事項を伝えに来た――キボウ部の廃部は撤回することにした」
「ほんとに?」
「私はうそはつかない」
「だったらなんでさっさと言ってくれなかったの? 活動実績が存続の条件じゃないとか、廃部は決定事項だとか言ってばっかりで、わたしはもう今度こそダメだと思ったのに」
勢いを取り戻した水無瀬は名倉を責め立てる。
一方の名倉は再び口を閉ざしてしまう。
「ねえ、なんなの? 人をやきもきさせたんだから、これぐらい教えてくれてもいいじゃない? それとも言えない理由でもあるの?」
「…………」
やはり黙ったままの名倉だが、よく見ると両手の拳を強く握っている。
もしかして、これって……?
確信は持てないが、このまま名倉を放っておくのも気が引ける。
「なあ水無瀬、名倉が話してくれなかったのって、水無瀬が一方的に話そうとするからじゃないのか? 俺はもう慣れたけど、水無瀬の話し方って勢いが強いから圧倒されてるんだよ」
「へ? そうなの?」
目を丸くする水無瀬にこくり頷く名倉。
「生徒会長になったから堂々としようとしているのだが、そうすると逆に今度はアドリブに弱くなってしまった。実は勉強合宿で大雨が降ったときも軽くパニックになっていたの」
「そうだったんだ?」
「水無瀬さんのファンという男子が動画配信を見ていて、小野寺くんが水無瀬さんのブラを見たという話をしているのを聞いて冷静になることができた。そのあとに落ち着いて対応できたのは水無瀬さんの適切な解説のおかげよ」
「そっか、それで廃部を撤回してくれたんだね?」
「もともと自分のわがままで予算を勉強合宿に回そうとしていただけだから。人の役に立つような部を潰すわけにはいかない」
助かった、ありがとうと深く頭を下げる名倉に水無瀬は
「わたしたちの本当の活躍はこれからだから。期待して待っててね」
満面の笑みを浮かべると、その頬に柔らかな陽が射してきた。夕立はあっという間に通り過ぎていたらしい。
目を細めて窓の外を眺めていると、
「夕立は馬の背を分ける、とはよく言ったものだな」
来栖がしみじみとつぶやいた。
「どういう意味なんだ?」
「そのままだ。馬の背の半分が濡れて残りの半分は乾いたままということもあるぐらい、夕立の降る範囲は狭いということだ」
「へえ、雨の降る範囲が狭いってことは、逆に言えば天気があっという間に真逆に変わることもあるってことだな」
「そうだな。まるでいまの自分たちみたいだな」
柄にもない言葉に来栖ははにかむ笑顔を浮かべて俺から目を逸らした。
「では、キボウ部のこれからの活躍に期待してるから」
俺と来栖のやり取りが終わったタイミングで名倉が言った。
少しぎこちない笑みを残して名倉はそのまま部室をあとにする――と思ったのだが扉のほうでこちらに振り返った。
「小野寺くんは私と一緒に生徒会室に来てほしい」
「俺……? なんで?」
「キミが水無瀬さんのブラを凝視していたというのが問題になっている。生徒会として処分するかどうか判断するために尋問することになったの」
「はあ?」
「尋問することは決定事項よ。異論は認めない」
「マジで?」
「私はうそはつかないと言ったはずよ。とにかくついてきて」
有無を言わせぬ口調の来栖。俺は助けを求めて水無瀬を見やる。
「一真、キボウ部はわたしたちで守るから大丈夫だから」
「センパイの代わりにアタシが気象の勉強始めるよ」
「しっかりお務めを果たしてきてくれ」
水無瀬、松本、来栖は順に言うと、俺に憐れむような目を向けてくる。
「ちょっと冷たくないか?」
「手荒な真似はしたくない。とっとと歩いてくれ」
抗議する俺に名倉が容赦なく告げる。
納得はできないけれど、欠席裁判ほど恐ろしいものはない。俺は唇を尖らせながら、部室を出る名倉のあとに付き従う。
「俺がいなくなって、キボウ部がどうなっても知らないからなっ!」
そう叫んだのを最後に部室を出ると、俺の背後、扉の向こうから水無瀬たちの楽しげな笑い声が響くのだった。




