第5章 馬の背と土のにおい(8)
ようやく俺は人心地ついて、スマホで動画サイトの反応を確認する。
「っ……! 一万超えてる」
視聴者数が一万どころか、二万に迫ろうとしていた。
となると、気になるのはコメント。視聴者数が増えるのはありがたいが、逆に見る人が増えれば辛辣なコメントをする連中も現れる。
不安を抑えながらコメント欄をたしかめるが――
『あの辺りっておばあちゃんが住んでるから電話してみる』
『高校生の気象予報だからいい加減なのかと思ってたけどしっかりしてるんだな』
『のぞみんも気をつけてね』
――配信に好意的なものしかなかった。
ただ『のぞみんの予報が外れても許せるけど、小野寺って男だけは絶対に許せない』というコメントは個人的に気になったが、まあそれはそれとして……。
「どう?」
俺がスマホをいじっているのに気づいた松本が訊ねてきた。
「大丈夫。いい反応しかない」
「そっか……よかった」
「だな」
頷く俺に松本も表情をほころばせる。
「ではここで今日の配信は終わります。大雨のピークは過ぎたとみられますが、地盤はこれまでの雨で緩んでいます。大雨が降った地域の方はくれぐれも警戒を怠らないでください」
カメラの前で水無瀬が深々と頭を下げて、松本が撮影用のスマホを操作して配信を終えた。
「たはーっ、大変だったね」
水無瀬は言葉と裏腹の満面の笑みを浮かべる。
「一真、よくやった」
来栖は親指をぐいっと立てて俺に笑いかけてくる。
「今日はセンパイの活躍を認めてあげる」
松本は上から目線でものを言いながら微笑む。
そんな三人に俺は、
「ほんとだよ。お前ら人使いが荒すぎるんだよ」
思いっきり悪態をついてやった。
台本にない流れで川に近づいて、そのせいで水無瀬が使い物にならなくなって、俺が急きょカメラの前に立たないといけなくなって。
ほんとに散々な目にあった。
「ごめんね」
けれど珍しく水無瀬がしおらしくしているのを見ると、どうでもよくなる。
「反省してるならいい。でも水無瀬はなんでカメラの前に戻れたんだ?」
それはね、と言って水無瀬は空に視線を逃がす。
じっくり時間をかけて言葉を選ぶと再び俺と目を合わせてふっと笑む。
「麻帆に励ましてもらったってのもあるんだけど、わたしの代わりに一真がしゃべってるのを見て、また一真がバカなことをやってるからわたしがなんとかしなくちゃって思ったんだ」
「おいっ、それはあんまりだろ! ……たしかにバカなことを言ったというのは自覚してるけど、俺にできるのはあれしかなかったんだから」
俺が唇を尖らせると、水無瀬ははにかむ微笑を向けてきた。
「ごめんごめん、ちょっといまのは意地悪だったね。……ほんとはね、一真ががんばるならわたしもがんばらないと、って思ったの。いつまでも過去に縛られ続けるわけにはいかないしね」
「そっか、ならいい」
肩をすくめる俺に水無瀬は「ありがと」とつぶやくように言う。
でもいつもは傍若無人な水無瀬に素直になられるとどう返せばいいのかわからなくて、俺と水無瀬の間には沈黙が横たわる。
来栖と松本もそんな俺たちのことを無言で微笑ましく眺めている。
「みんな、お疲れさま」
口を開いたのは新田先生だった。俺たちから離れた所でスマホを耳に当てていたけど、通話を終えて俺たち四人のちょうど真ん中あたりに立っている。
「青少年自然の家の引率に行ってる先生から聞いたんだけどお、みんな無事だったって。施設の裏山が崩れて土が流れ込んできたんだけど、動画配信を見てた生徒がいて、落ち着いて二階に避難できたらしいよお」
「ほんとに……? よかった、ほんとによかった」
胸に両手を当てて心底ほっとした表情を浮かべる水無瀬。
「うん、水無瀬さんと小野寺くん、それに来栖さんと松本さん、みんながんばったねえ」
俺たちの顔を順に見回して新田先生。うんうんと無言で何度も頷いていると、ピリピリピリと電話の着信音が鳴り響いた。目を細めて画面を確認してから新田先生はスマホを耳に当てる。
もしかして青少年自然の家でなにかあったんじゃないのか、と思ったのだが、
「たっくん、どうしたのお?」
電話の主は新田先生の弟――おっさんだったらしい。
「えっ、うん、いいけどお。でもひどいこと言ったらダメだからねえ」
そう言って苦笑するとスマホを俺に差し出してきた。
「えっ?」
「たっくんが小野寺くんと話したいんだってえ」
「俺とですか? 水無瀬とじゃないんですか?」
このタイミングで電話をかけてくるってことはさっきの動画配信と関係があるはずだ。だったら水無瀬と話すのが筋なんじゃないかと思うのだが、新田先生は首を横に振る。
「小野寺くんがいいみたいだよお」
おっさんがなにを考えているのかわからないけど、まあ電話で話すぐらいならいい。俺は黙って新田先生からスマホを受け取る。
『気象予報をなめるなって言ったよな?』
開口一番、威圧的な口調でおっさんは言った。
「なめてなんかいない。少なくとも水無瀬や来栖はそんなことしてない」
「わたし?」
俺の口から名前が出てきて水無瀬は自分のことを指さす。なんでもないと俺は身振りで伝えると、耳元に集中する。
『ああそうだな。水無瀬って娘の解説はなかなか堂に入ったものだったぞ』
「だったらいいじゃねえかよ」
『俺が言ってるのはお前のことだ。ちゃんと覚悟してカメラの前に立ったのか?』
覚悟か……問われて俺は考えこんでしまう。
俺は水無瀬がパニックになったあと、どうして自分でカメラの前に立とうと思ったのか、よくわからない。気象の知識はほとんどないし、水無瀬の代わりが務まるだなんてこれっぽっちも思ってなかった。
ただ――
「俺は自分にできることをやろうと思っただけだ」
電話越しにおっさんが息をのんだ気配が伝わってきた。
『覚悟してんじゃねえか。それでいいんだよ』
「それでいいって言われてもわかんねえよ」
『わからないならいまはわからなくてもいい。しかし……』
いったん言葉を区切るおっさん。くくく、と低く笑ってから、
『面白いものを見せてもらったよ。あんなに大勢の人が見てる前で、女の子のブラを見てしかもそれが本人にバレました、だなんて普通言えねえよ』
「うっせえな。ほかに言えることがなかったからしょうがないだろっ!」
『今度、お前の同級生のブラを俺にも見せてくれよ』
「見せねえよ! っていうか俺に許可を求めんなよ!」
声を荒げる俺におっさんは電話の向こうで笑い声をあげている。ひと通り笑い終えると、真剣なトーンで訊ねてきた。
『気象の勉強は続けてんのか?』
「……いちおう。せっかく始めたから、できるところまではやってみるつもりだ。水無瀬みたく合格できるかは自信がないけど……」
『それならいい』
「なに目線だよ?」
そう俺が返したとき、すでに電話は切られていた。
……いまの会話はなんだったんだ?
スマホを耳から離して画面をぼんやり眺めていると、
「一真、なんだったの?」
水無瀬がきょとんと首を傾げていた。
俺は「さっぱりわからない」と首を振って、スマホを新田先生に返す。
水無瀬は「ま、いっか」とニカっと口の端を上げると、
「そろそろ片付けて帰ろっか?」
両手を重ねて大きく伸びをした。
その手の先に雲はない。
いろいろあって空を見る暇がなかったけれど、いつの間にやら雲はどこかに流れていた。
――淡い青色は優しい色だ。
不思議とそんなことを思った。
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