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第5章 馬の背と土のにおい(7)

「……えっと」

 レンズの前に立たされて、間抜けにも俺にはそんなことしか言えない。

 口を開けては閉じてを繰り返していると、松本が空いた手で移動するように伝えてきた。

「希ちゃんが写っちゃうから」

 声に出さずに言う松本。ちらと様子をうかがうと、しゃがみ込んだ水無瀬の隣で来栖が背中をさすりながら声をかけていた。

 松本の視線に頷きを返して、俺は水無瀬たちが画角から外れるようにそっと身体を動かす。

「その、俺は水無瀬……のぞみんと同じキボウ部の小野寺一真、です」

 なんとか声を絞り出して、レンズを見て、俺は水無瀬がこれまですごいことをしていたんだと気づいた。

 ピーク時より減っているとはいえ、いまも数千人がこの動画配信を見ている。

 そう考えると、頭が真っ白になる。どう言葉を継げばいいのかわからなくなる。

『気象予報をなめるなよ』

 おっさんに言われた言葉が頭によぎって、ああこのことだったのか、と実感する。

 来栖の予報を信じないわけじゃない。おっさんにも確認したと言っていたし。

 でも――もしそれが間違っていたら。

 いい加減なことをさも重大なことだとばかりに伝えてしまったら、その結果はどうなるのだろうか。

 そんなことばかりが頭をぐるぐる駆け巡って俺の足はすくんでしまう。松本は口元で手をパカパカ動かしてなにかしゃべれと指示を送ってくるけれど、俺にはつばをのみ込むことしかできない。

 やっぱり俺にはなにもできない――そう言おうとしたときだった。


「一真っ! あとちょっと、あとちょっとだけ待って。わたしは大丈夫だから。すぐにそっちに行けるからっ!」


 どう見たって大丈夫じゃない顔で、涙でぐちゃぐちゃにした顔で、水無瀬が声を張り上げた。

 ……まったくこんなときまで水無瀬は無茶苦茶だ。

 カメラの前で途方に暮れた俺を見て、あとちょっとと言われても困る。

 ほんとに困る。

 だって――そんなに一生懸命な姿を見せられると、俺だってなにかしてやりたいと思ってしまうから。

 でも俺には水無瀬みたく気象のことを話すことはできない。多少勉強したとはいっても所詮は付け焼刃でしかない。だったら、俺は俺にできることをするだけだ。

「すいません、ちょっと緊張しちゃって」

 俺は松本が手にしたスマホに苦笑を向けて、わざとらしく頬をかく。

「いま大変なことが起きてるみたいで、ほんとはそっちを伝えないといけないんですけど、俺には無理なので、代わりに俺がなんでキボウ部に入ることになったのかを話そうと思います」

 呼吸を整えながら言葉を紡ぐ。

 レンズの向こう側で何人の人が見ているのかなんてもう気にしない。

「きっかけは――水無瀬のブラを見たことでした」

 松本がスマホから顔をずらして、目を大きく見開いて俺のことを見ている。なにを言い出したのかって驚いているんだろう。自分でもわからないんだから当然の反応だ。

 でもそれでもいい。いまの俺にできることは場をつなぐことだけだ。水無瀬が戻ってくるまで一人でも多くの人をつなぎとめておくことだけだ。

「別に見ようと思って見たわけじゃないんです。直接見たわけでもないし。……直接だったらよかったなと思うけど」

 はは、と笑って俺は続ける。

「今年の四月、始業式のあとでした。校庭で水無瀬は雨に濡れていたんです。ブレザーは着ていなかったから、当然シャツは透けていて、それでブラが見えていたってだけ。そのことが本人にバレて、ほかの人に言われたくなかったらキボウ部に入れって言われたのがきっかけだったんです」

「人にバラされるのを嫌がってたのに、自分でバラしちゃっていいの?」

「ほんとはバラしたくないけど、いまの俺にできる面白い話ってこれぐらいしかないからしょうがないだろ」

「そっか。ま、一真は一真だしね」

 俺の隣に立って、イシシと笑う水無瀬………………。

「って、おいっ! いつの間にそこにいたんだ?」

「たしか一真が、あの日見た水無瀬のブラはいまも俺の網膜にこびりついていて、けして消えることはないだろうって語ってたあたりかな」

「そんなこと言ってないからな?」

「そうだっけ?」

「そうだっけじゃなくて……」

 俺はがっくりと肩を落とす。

 だけどそれは水無瀬にいいように振り回されたっていう憤りや落胆じゃなくて――戻ってきてくれたという安堵からだった。

「もう平気なのか?」

「うん、ありがと」

 マイクに拾われないように小声で言葉を交わすと、俺はレンズに顔を向ける。

「じゃあ俺の出番はここまで。っと、画面から消える前に一個だけ補足します」

 フェードアウトしかけた足を止めた俺に水無瀬は首を傾げる。

「さっき、のぞみんがしゃがみ込んでたのは、始業式の日の再現です。俺にブラを見られたのがショックで、奪わないでって叫んでたんです。俺も人のブラを覗き見ることはあっても、盗んだりはしないんだから、そこまでパニックにならなくてもよかったのにな」

 ぐはは、と下品に笑って俺は今度こそ画面から退場した。

 水無瀬はぽかんとあっけに取られていたが、すぐに表情をつくりなおす。

「なかなか迫真の演技だったでしょ?」

 ピースサインをつくって頬に当てたりなんかしている。

 ちょっと調子にのりすぎなんじゃないかと思わなくもないけど、動画配信がうまくいくなら許してやろう。

「センパイ、おつかれ」

 松本の隣に立つと、ささやき声とともに拳が差し出された。コツンと拳を合わせると、俺はその場にへたり込む。

「あぁぁぁぁぁぁ、ちょっとやりすぎた」

「アタシはよかったと思う」

「あれがか?」

「うん、その、ちょっと……かっこよかったし」

「かっこよかったって、俺のことか?」

「ほかに誰のことだっていうの?」

「はあ? 俺は数千人が見ている動画配信で女の子のブラを見たって話をしたんだぞ?」

「話の中身はアレだけど、でもかっこよかった」

 今度ははっきりと告げた松本は俺から顔を逸らす。その拍子に揺れた金髪のウィッグの隙間にのぞいた耳たぶは真っ赤に染まっていて、俺はますますわけがわからない。

「いまから外に避難するのは危険です。二階があれば二階に、そして建物の山から離れた側に移動してください」

 カメラの前では水無瀬が真剣な顔で避難を促していた。来栖はスケッチブックをカンペ代わりに水無瀬に指示を出している。幼馴染というだけあって息の合った連携でいま伝えなくちゃならないことを過不足なく伝えていた。

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