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第5章 馬の背と土のにおい(4)

「メッセージはまだ打ち終わらないのか?」

「うーん、もうちょっと。いまからライブ配信をするから見てって送りたいんだけど、素直に見てほしいって伝えても名倉さんはきっと見てくれないと思うんだ。だからなんかうまい言葉がないか考えてるんだけど難しいんだよね。でもツイッターで開始時間の予告してるんだったよね?」

「だいたいこれぐらいの時間に始めるとしか伝えてないから、そっちは大丈夫。でも雨が降る前には終わらせたいからほどほどにしといてくれよ」

「わかってる。準備できたら声かけるから待ってて」

 水無瀬はスマホ画面とにらめっこを続ける。

 自分の準備はとっくにできている俺は手持ち無沙汰になってしまう。

 松本は動画に寄せられたコメントなんかを確認するためにノートPCを立ち上げているし、来栖はまだ新田先生と話している。

 一人時間を持て余して、俺は川べりの手すりのほうへと足を向ける。東京なんかの人からすると鹿児島は田舎に見えるんだろうけど、鹿児島市はそうでもない。六〇万人が暮らしているというのは地方の県庁所在地ではそこそこの規模だし。少し車に乗れば自然が広がるけど、街中には高層ビルも多い。

 そんな街中を流れる甲突川はそれほどきれいな川ではない。近くを通りかかってもわざわざ見たくなるような川ではない。そんなことを思いながらも手すりに手をついて川の流れを見やると、半透明の水がいつも通りにゆっくりと流れていた。

「やっぱり代わり映えしないよな」

 わかりきったことを独り言ちて、水無瀬たちのほうを振り返ろうとして、ふいに違和感を抱いた。

「……なんか水位が高くないか?」

「やっぱりか」

 声がしたほうに目を向けると、来栖が俺と並ぶような格好で川を見下ろしていた。新田先生と話していたはずだけど、ともといた場所を見ると、新田先生はスマホを耳に当てて誰かと通話していた。普段はおっとりした新田先生には珍しく、時折声を荒げているようにも見える。

「一真、今日の動画配信は中止にできないか?」

 いつも以上に慎重な口調の来栖の声に俺は視線を戻す。

「中止って……いまからは無理だろうな。ツイッターで予告したのはともかく、水無瀬は生徒会長にも伝えてるらしいから、名倉が見ても見なくても直前で中止にするのはまずい。やっぱり中途半端な部だって印象を持たれかねないからな」

「また別の日にすればいいだろう」

「けど名倉には一学期末でキボウ部は廃部にするって言われてるんだぞ。あと一週間ちょっとしか残ってないんだから、急いだほうがいいだろ?」

「しかし……」

 口元に手をやる来栖。眉間にしわを寄せてなにやら考え込んでいる様子だが、俺にはさっぱり事態がのみ込めない。

「そもそも配信を中止にするんなら、水無瀬に言わないといけないんだから直接話せばいいんじゃないのか?」

「それはできない」

「どうしてなんだ?」

「話すには理由を言わないといけない。そして理由を伝えたらどちらにせよ、希は動画配信なんてできなくなる」

「ちょっと待てよ。なにを言ってるのか、さっぱりわからないんだが。せめてその理由ってやつを俺には教えてくれよ」

 早口に言う俺を来栖は口元を手で覆いながらじっと見つめる。

 しばらくして視線を川のほうに移すと、

「……土のにおいだ」

 ぽつりつぶやいた。

「土のにおい? それがどうしたんだ?」

「希は土のにおいをかぐとパニックに陥ってしまうんだ」

「……それって『七・六豪雨』と関係あるのか?」

 こくりと首を振る来栖。隣に立っていてもやっと聞き取れるほどの小声で続ける。

「あのときの記憶は希にとってトラウマになっている。被災直後に祖父の所に行って、見慣れた土地が土に覆われたのを目の当たりにした。人の記憶っていうのは嗅覚と深く結びついているから土のにおいをかぐと思い出してしまうらしい」

 遠くの空ではいまも時折、稲光が走っている。

 俺たちのいる公園の空にはそれほど厚い雲は見られないけれど、気のせいか少しだけひんやりしてきた気がする。しかし、もし雨が降ってきたとしても、この街中でそれほど土のにおいがするとは思えない。公園の周りは商店や住宅が立ち並び、道路はアスファルトで固められている。

「来栖の言ってることはわかったけど、心配しすぎなんじゃないのか?」

 訊ねた俺に来栖は「そうだったらいいんだが」と漏らしてから川の上流のほうを指さす。

「少し濁ってるのがわかるか?」

「えっと……そうだな、言われてみれば少し泥が混ざっているように見えるな」

「うん、でもあの程度ならまだ大丈夫だ。だが上流ではこれから雨がもっとひどくなる。モカちゃんに頼んで弟さんにも確認してもらっているが、ほぼ間違いないと自分は見ている」

「だとしても俺たちがこの公園にいる限り、なんの問題もないだろ。土のにおいだって、全然しないし」

「鈍感な一真にはにおいはしないだろうな」

 皮肉を言う来栖だが、その顔はどこか困っているかのように見える。

「でも希にはわかるんだ。あの娘は昔から嗅覚が鋭かったんだが、あの豪雨のあとにもっとそうなった」

「ほんとかよ?」

 川が少し濁っているだけで土のにおいをかいでしまうとはにわかには信じがたい。いまも全然そんなにおいはしないし。

「希が香水を好んでいるのは知ってるな?」

「気象台に行く前も香水見てたし、今日もなんかいつもより多めにつけてたな」

「多めにしてるのは自分がそうするように言ったからだ。少しでも土のにおいが届かないようにしようと思ってのことだ」

「じゃあなんとかなるんじゃないのか?」

「そうなればいいんだがな……。でも昨夜から今日の天気があやしいことには気づいていた。局地的な大雨で、しかも先のことすぎて予想は完璧ではなかったから動画撮影の中止を希に提案するほどではなかったんだが、予想は悪いほうに傾いている」

「雨が激しくなるってことか?」

「すでに上流では大雨警報級の雨になっているはずだ」

「マジか……。どこかわかってるのか?」

「だいたいの場所はレーダーでわかる。ただ詳しい場所と今後の推移はモカちゃんの弟さんに調べてもらっている」

 深刻そうな表情を浮かべる来栖。事態はけして楽観視できないと俺もようやく理解した。

 どうすればいいのかと考え始めていると、

「一真、お待たせ。準備できたよ」

 水無瀬が声を張り上げて俺に向かって手招きしていた。

「希には言うな。いまさら伝えたところでパニックになるだけだ。そうなればせっかくのキボウ部を残すチャンスをふいに振るだけになる」

「わかってる」

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