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第5章 馬の背と土のにおい(3)

 屋外で動画撮影をする週末はすぐにやってきた。

 場所はゴールデンウイーク前に松本が動画配信をした甲突川河畔の公園。キボウ部のメンバーは全員そろっている。校外の活動には顧問も付き添わないといけないらしく新田先生も姿を見せて、なにやら来栖と話をしている。

 この間、来栖が言っていた梅雨明けの発表が早いという話が気になってはいたけれど、タイミングが合わなくて詳しいことは聞けていなかった。

 とはいえ、梅雨が戻ってきそうな雰囲気はない。空には薄く雲が広がってはいるものの、雨は降りそうにない。

「一真、準備はできてる?」

 ぼんやり空を眺めていると水無瀬に声をかけられた。ノースリーブの青いサマーニットに、短めの純白のスカート。メイクがいつもより華やかなのはさっき松本にしてもらったんだろう。

「いつでもいいぞ」

 手振れ防止機能がついたアームに接続したスマホを掲げてみせると水無瀬は、

「一真にしては頼りがいのある言葉だね?」

 頬を柔らかくしてこちらに近づいてくる。てとてととこちらに歩み寄ってくるたびに、柑橘系の香水の香りを強く感じる。メイクに合わせて香水もいつもより多めに振っているのかもしれない。

「ちょっと香水つけすぎなんじゃないのか? どうせ画面越しにはにおいは伝わらないんだぞ」

「あっ、やっぱりそう思う?」

 そんなことなんてないから、なんて反論されるのかと思っていたから拍子抜けした。

「やけに素直だな? 雪でも降るのか?」

 わざとらしく空を見上げる俺に水無瀬はプクっと頬を膨らませる。

「わたしはいつも素直だよっ! それに雪なんて降らないからっ! ……雨は降るかもしれないけど」

「そうなのか? 来る前にテレビの天気予報を見たけど、雨の予報なんてなかったけど」

「わたしもスマホで天気予報は見たんだけど、曇りの予報なんだよね。でも麻帆が雨が降るかもしれないって言うから」

「来栖が……?」

 視線を来栖のほうに向けると、まだ新田先生と話しこんでいた。二人とも時折、真剣な表情を浮かべているのが気になるけど、俺たちからは離れた所にいるせいで話の中身までは聞こえてこない。

「それにね、香水を多めにつけてるのも麻帆のアドバイスなんだ」

「予報のことに関して来栖が口を出すのはわかるけど、香水はどうしてなんだ?」

「訊いても教えてくれなかった。念のため、だって」

「念のため? もしかして俺が知らない間ににおいが伝わるスマホでも開発されてたのか?」

 まじまじとスマホを眺めていると、水無瀬が「そんなわけないよ」とあきれ顔を向けてきていた。

「わかんないけど、麻帆の言うことだからね。せっかく外で撮影する日だし、一番お気に入りの香水をつけてきたんだ」

 肩にかかった髪をそっと振り払うとまた強い香りが俺の鼻孔に届いた。

「そういやいつも香水つけてるけど、なんかこだわりみたいなのがあるのか?」

「こだわりか……。あると言えばあるし、ないと言えばないね」

「どっちなんだよ?」

「秘密だよ」

「秘密にするようなことじゃないだろ? どうせ大したことじゃないんだろうし」

 からかう水無瀬を追及しようとしていると、

「女の子の秘密を知ろうとするなんて、やっぱりセンパイはヤラシイね」

 いつの間にやらそばに来ていた松本がジト目を向けてきていた。

「なっ、ヤラシイことじゃないだろ! 隠さなくていいことを隠そうとするほうが悪いんだろ」

「わかってないな。女の子にはみんな秘密があるんだし。だからそれを聞き出そうとするのはヤラシイことなの」

「もうわかったよ、訊かないから。それでいいだろ?」

 諦めのため息をもらすと松本は「やっぱりセンパイはチョロい」と笑って撮影の準備に戻っていった。

「そろそろ時間だけど、水無瀬は準備できてるのか?」

「もちろん、と言いたいところだけどもうちょっとだけ待って」

 ポケットからスマホを取り出すと水無瀬は画面をタップし始める。一瞬だけ見えたスマホの画面には緑色の壁紙が映っていた。たぶんメッセージアプリのもの。

「撮影直前にメッセージって、誰に送ってるんだ?」

「生徒会長の名倉さんだよ」

「へえ、メッセージを送るぐらい仲が良くなったんだな」

「そんなわけないでしょ」

 水無瀬はスマホをタップする手を止めて、心底嫌そうな顔を向けてきた。

「名倉さんは全っ然、人の話を聞いてくれないんだよ」

「それは水無瀬が強引に話を進めようとするせいなんじゃないか?」

「絶対にそんなことはないよ。わたしは自分の主張だけじゃなくて相手の主張もちゃんと聞くようにしてるから」

 俺の話を聞いてもらったことはない気がするが、どうせそのことを指摘しても聞いてもらえないだろうから聞き流しておく。

「事前にライブ配信をするから見てって伝えたんだけど、興味ないとしか言わないし」

「それでも水無瀬はしつこく言ったんだろ?」

「もちろん。でも勉強合宿があるから無理って強情なんだよ」

「ああ、キボウ部を潰すきっかけになったっていう例の合宿は今日からだったな。そういや、募集がかけられてたけど、どうなったんだろうな」

「三年生を中心に二、三〇人ぐらい参加するんだって」

「へえ、そこそこ集まったんだな。場所は……たしか甲突川の上流にある青少年自然の家だったか」

 通称・北部青少年自然の家。川と山に囲まれて豊かな自然体験ができる、が売り文句。学習棟やバンガローなんかがあって市内を中心に多くの学生が利用している。俺も小学生のときの宿泊学習で泊まったことがあるけど、バンガローの中にまで虫がたくさん入ってきて大変だった記憶しかない。

「そうだけど、一真は興味があるの? もしかして行きたかったの?」

「そんなことない。誰がすき好んで勉強のための合宿になんか行くんだよ」

「だよね」

 こちらに顔を向けずに頷く水無瀬。気象予報士試験の勉強をするという名目で合宿を自ら企画したことは覚えていないらしい。都合のいい記憶力の持ち主だと眺める俺に構わず言葉を続ける。

「名倉さんの下の名前は美空なんだよ。美しい空と書いて美空。空はあんなに広いのに、名倉さんの心は狭いんだよね」

 ため息をこらえたような表情を天に向ける水無瀬。

「ちょっと雲が厚くなってきたね」

「だな。北のほうはちょっと暗くなってるな。来栖の予報が当たるのかも……」

 ゴゴゴゴゴっ――

 水無瀬と一緒に空を見上げていると、地鳴りのような音が響いて俺は口をつぐんだ。

「雷かな?」

「かもな。……ほら」

 相づちを打っていると、北の空がぴかっと光ってまた低い音が遠くに聞こえた。

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