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第4章 寝耳に水の初試験(8)

「五時だな」

「そうだね」

 声を絞り出す俺に水無瀬が静かに首を縦に振る。

「発表見るか?」

「そうだね」

 まったく同じ言葉を繰り返す水無瀬はけれど、さっき立ち上がった場所で動けずにいる。

 結果を知りたいけど知りたくない、そんな気分なんだろう。俺も同じ気持ちだからよくわかる。誰だって失敗はしたくないもんだしな。でも初めての受験でプレッシャーの少ない俺が先に見てやるのが思いやりなのかもしれない。

 だったらしょうがない。

 結果をたしかめるには、気象予報士試験を実施した気象業務支援センターのホームページにアクセスして、受験番号を打ち込む必要がある。

 受験番号の書かれた受験票を取り出そうとカバンをあさる俺の隣では、松本がノートPCを起動させてインターネットブラウザを開いていた。手順は前に話したから準備してくれているんだろう。水無瀬は相変わらず動けずにいるし、やっぱり俺から結果をたしかめるしかない。

 そう覚悟を決めたのだが、肝心の受験票が見つからない。カバンのポケットに入れていたはずなのに、ない。念のために教科書やノートも全部取り出してひっくり返しても、出てこない。

「センパイは学科一般だけ合格だって」

「え、なんて? ちょっと待ってくれ。いま受験票を探してるんだよ」

「だから学科一般が合格って言ってるじゃん」

「そっか、それはよかったな。俺も早くたしかめないとな……って、もしかして松本、お前が手にしてるのは俺の受験票か?」

「だからさっきからそう言ってるし」

「だからなんで松本が俺の受験票を持ってるんだよ?」

「だってセンパイはビビって結果発表から目を逸らしそうだと思ったから事前に抜いておいたんだし」

「勝手にそんなことすんなよ!」

「でも一科目でも受かったんだからよかったじゃん」

「それは……まあそうだな」

「ん。おめでと」

「ちょっと納得いかないけど、ありがとう」

 不承不承ながら俺が感謝の言葉を述べると、松本はイシシと笑う。

 と、

「う……」

 部屋の隅のほうからうめき声のようなものが聞こえてきて、俺と松本の視線が吸い寄せられた。

 さっきまで来栖が天気図の解析に使っていたはずのノートPCの前に立っていたのは、水無瀬。来栖はその傍らに立ち心配そうにしている。

 俺と松本は一瞬だけ顔を見合わせると、再び水無瀬のほうを見やる。

 水無瀬は口元に両手を当てて「う……」と繰り返す。

 嗚咽を漏らすようにう、う、う、と続けて、

「受かったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 両手を天に突き上げてその場で跳び跳ねた。

 着地した拍子に水無瀬の瞳の端から涙が飛んで、陽の光をキラキラ反射させる。いつの間にか雨はやんでいて、柔らかいオレンジ色の陽が部室の中に射していた。水無瀬の右頬にはオレンジ色のラインがすっと走っていた。

 左手の甲で頬を拭って、すんと鼻をすすって、ふっと破顔する。

「……よかった。ほんとによかった。これでじいちゃんに胸を張って報告できるよ」

 まだ揺れる声色でそう漏らした。

「希、よくやったな」

「うん、ありがと。麻帆のおかげだよ」

 言葉少なに祝福した来栖は頷きを返すと窓際へと向かい俺たちに背中を向ける。

 昔からの付き合いで水無瀬が気象予報士試験の勉強を始めたときのことも知ってるって言うから抱き合ったりして喜び合うのかと思っていたけど、来栖はいつものように淡々としていた。

「飛行機雲が消えていく」

「来栖、なにを言ってるんだ?」

 訊ねる俺から顔を背けたまま来栖はやはりいつもの調子で返してくる。

「飛行機雲がすぐに消えるってことは大気が乾燥している証しだ。つまり梅雨明けが近いってことだ」

「その話は聞いたことがあるけど、そうじゃなくって。水無瀬にもっとなにか言ってやることはないのか?」

「…………いまは、ない」

「いまはってどういうことだ?」

 俺の疑問に答えず来栖は押し黙っている。短い付き合いとはいえ、来栖がどんな性格をしているかはなんとなくつかめてきた。あまり感情表現は得意ではないんだろう。

 でも、親友にめでたいことがあったんだから、もうちょっとなんか言ってもいいんじゃないのか?

 ちょっと文句を言ってやろうと立ち上がりかけた俺の肩がぽんとたたかれた。

「それは野暮すぎるってば」

 松本が俺の耳元に口を近付けてささやくように言った。

「野暮って?」

「見てみなよ?」

 そっと指差す先。来栖の背中はかすかに揺れていた。

「……泣いてるのか?」

「麻帆ちゃんのことだから、きっと見られたくないし、気づかれたくもないんだよ。だから気づかないふりをしてあげな」

「そっか」

 小さく俺が頷くと、松本はパンと手をたたいて立ち上がった。いきなり耳元でそんなことをされるとびっくりするからやめてほしい。

「希ちゃん! ほんとすっごいじゃん!」

 俺がげんなりした顔を向けていることなんか気にせずに松本は水無瀬のもとへと駆け寄って、ぎゅっと抱きついた。

「ありがと。琴音ちゃんも入部してくれたし、今度こそは絶対に合格しなきゃって思ってたんだよ」

 水無瀬も松本の身体に腕を回し、ぎゅっと力をこめる。

「じゃあ合格できたのはアタシのおかげだね?」

「うーん、どうかな? そうと言えないこともないかな」

「えっ、どっちなの?」

「どっちなんだろ?」

 はたで聞いている俺にもなにを話しているのかよくわからない会話を続けながら水無瀬と松本は抱き合っている。

 ……これはいい。とっても尊い。

 目を細めてそんな二人の様子を眺めていると、

「水無瀬希さんはいる?」

 ガラッと乱暴に扉を開いて一人の女子生徒が部室に入ってきた。

 せっかくいいところだったのに、邪魔するのは誰だよ。

 不機嫌な表情をつくって顔を向けると、

「小野寺くんも気象予報部に入っていたの?」

 そこにいたのは同じクラスの名倉美空だった。

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