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第4章 寝耳に水の初試験(7)

 梅雨入りが早ければ、その分だけ梅雨明けが早くなる――なんてことはない。

 こうも毎日雨が続くと身体の節々にかびが生えてきそうな気がして憂鬱になるけれど、今日も空からは無慈悲に大粒の雨が絶えず落ちてくる。

 小説なんかでは梅雨時の雨はしとしと、と表現されるが、ここ鹿児島の梅雨の雨はそんなに生やさしいものではない。コンビニのビニール傘よりしっかりした傘をさしていても、外を出歩きたくないような雨が朝から降っている。

 気象予報士試験から一カ月あまりが過ぎた放課後の部室。この日は週末にアップする動画を撮影することになっていた。来栖がいつも通り天気図を解析して、水無瀬と松本が台本を仕上げて、俺がカメラやらクロマキーやらを準備して。一連の作業はすっかりルーチンとなっていたのだけれど、この日はどうにも落ち着かない。

 ――なぜなら俺と水無瀬が受けた気象予報士試験の合格発表の日だから。

 ネット上で発表される午後五時まであと一〇分ほど。時計の秒針が響かせる音が徐々に大きくなってきているような気がする。落ち着かないのは俺だけじゃない。松本と打ち合わせをしている水無瀬もそわそわしているのが見て取れる。

「ここまでの流れはこれでいいとして、オチはどうしよっか?」

「オチ、オチ、オチ…………わたしは落ちないよっ!」

 声を張り上げて立ち上がった水無瀬に松本ははあとため息を漏らす。

「ねえ希ちゃん、大丈夫だからちょっとは落ち着きなよ」

「大丈夫かな? 今日は朝から大雨だけど」

「大雨なのは関係ないし、そもそも大雨なのは梅雨だからだし。そんなの気象予報を勉強してないアタシでもわかるよ」

「だよね……しょせんわたしの知識なんて素人にも太刀打ちできないほどだもんね……」

「アタシはそんなこと言ってないし」

 勝手に落ち込んでいる水無瀬に松本は嘆息するとこちらに視線を送ってくる。

「センパイ、なんとかしてよ。全然打ち合わせが終わらないんだけど」

 思い入れが強い分だけ、水無瀬は結果が気になって落ち着かないんだろう。少しでも気を紛らせてやろうと俺は努めて明るい声で水無瀬に声をかける。

「安心しろ。もし俺だけ合格してても次の試験には一緒についていってやるから。途中で食べたメロンパンもエビ天丼もうまかったからな」

「ううん、いいよ。メロンパンはお土産に買ってきてあげるから。エビ天丼も持ち帰り……できるかわからないけどできたらするから」

 からかうつもりがマジな答えが返ってきてしまった。

「センパイ、悪化しちゃったじゃん。どうすんの?」

 ジト目を向ける松本。俺はこんなはずじゃなかったと頭を振って水無瀬に訊ねる。

「なんでそんなに深刻なんだよ?」

「試験直後はね、できた、今度こそ合格したって思うんだよ。毎回そうなんだ。でもね、合格発表が近付くとやっぱりダメかもって思えてきて。そんなことを六回繰り返して、七回目ともなるとさすがにちょっとつらい、かな……」

 力なく、明らかに無理してることが伝わる水無瀬の笑みを見ると胸が痛くなる。いつもは強引でマイペースで人の話なんて聞こうとしない水無瀬には正直辟易することだってある。でもこんな切ない表情は似合わないし、俺は見たくない。

「水無瀬、ちょっと立ってくれないか?」

「……立つの? なんで?」

「いいから。立てばわかる」

 訝る水無瀬はけれどすっと静かに立ち上がった。

「これでいいの?」

「そこで回れ右してみてくれ」

 厳かに告げた俺に水無瀬は眉をひそめるものの、俺が黙ったまま頷くと首を傾げながらクルリとその場で回れ右した。

「……ふむ、なるほどな」

「なんなの? そろそろ説明してくれない?」

 訊ねる水無瀬に構わず俺はじっと目を凝らす。松本も俺がなにをしているのかわからないようで、「なにしてんの?」とささやいてくるが、気にしない。間違いがないように俺は慎重にたしかめてから、ゆっくり口を開く。

「水無瀬は青が好きなんだな」

「そう、だけど……なんで?」

 俺に背を向けたまま戸惑う水無瀬。その背中にニッと微笑んで俺は言う。

「だって今日も青のブラを着けてるだろ?」

「っ……! なっ、なっ、なに見てんのっ!」

 さっきと逆回りにくるっと振り返って水無瀬は俺の眼前に人さし指を突きつける。

「なにをさせたかと思えば、一真はわたしのブラを見るためにわざわざこんな回りくどいことしたのっ!」

「最近見てなかったからな」

「見ないのが当たり前だからっ! 一真には背中を見せないように気をつけたのに!」

「隙を見せるのが悪い」

「人がナーバスになってるときに神妙に言うから素直に従っちゃったじゃない!」

「減るもんじゃないし、いいだろ?」

「いつも思うんだけどさ、その言い草ってなんなの? 意味わかんないんだけど!」

「まあ俺にとっては水無瀬の元気がないほうが意味がわからないんだけどな」

 もう一度、不敵に笑ってみせると、水無瀬は勢いの良さをしまって口元に手をやる。

「もしかしてわたしの様子が変だったから気を遣ってくれたの?」

「まあ……少しはな」

「そっか、ありがと…………って! ちょっといい話っぽくしようとしてるけど、人のブラを凝視しておいてなに人に感謝させてんのっ!」

「水無瀬が勝手に感謝したんだろ? 俺は恩着せがましいことを言ったつもりはないぞ」

「そうだけど、そうだけれど! うーっ、一真にいいようにあしらわれてる気がして、なんかヤダ。いつもは逆なのに」

「だな。だからさっさといつも通りに戻ってくれよ」

「うげっ」

 爽やかに水無瀬に告げると、隣から変な音が聞こえてきた。松本がいまにも戻しそうな、思いっきり気持ちの悪そうな顔をしていた。

「ちょっとクサすぎるんだけど……。『さっさといつも通りに戻ってくれよ』? マジで? マジで? マジで? ほんとに本気で言ったの?」

「ぐっ……」

 松本に指摘されてようやく俺も自分のセリフの気持ち悪さに気づいた。

「いまのは勢いというかなんというか……」

「……」

「……」

 あまりの気まずさに声を落とすと水無瀬と松本もあきれ切った顔を浮かべて押し黙ってしまった。

 そうして部室には再び時計が時を刻む音だけが響く。

 カチ、カチ、カチっ――

 水無瀬と松本の視線から逃れるように逸らした俺の視線の先で、ちょうど時計が午後五時を指した。

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