第4章 寝耳に水の初試験(2)
その週の金曜日。
「週末は一人で勉強してもらわないといけないから今日は徹底的にやるそ」
普段以上に気合十分の来栖に解放されたのは午後八時を過ぎたころだった。
しとしと降る雨で濡れたアスファルトが街灯を反射させている。九州南部が平年より二週間も早く梅雨入りしたというニュース速報がスマホに届いていた。これからしばらく傘が手放せない毎日が続くと思うとため息が漏れる。
「ガキのくせに一丁前にため息なんてつくんだな」
「高校生は多感な時期なんだからそんなこと言ったらいけないんだよお」
顔を上げるとおっさんと新田先生がおそろいのデザインの緑の傘をさしていた。二人で食事を取りながら酒でも飲んでいたのか、おっさんの顔は夜闇でもわかるほど赤くなっていた。
なんだかんだいって、この双子は仲がいいな。
「こんな時間まで遊んでたのか? 高校生ってのはいい身分だな」
「ちげえよ。勉強してたんだよ」
「勉強……気象予報士試験のか?」
「試験まであと一週間しかないからな」
「試験に向けて熱心なのは感心するけどな。でも前にも言ったけど、気象予報をなめるなよ」
「そう言われてもな……。俺は水無瀬に勝手に申し込まれてだけだし」
「だったらやめちまえ。気象予報はそんないい加減な気持ちでやっていいもんじゃない。そもそも高校生ごときが手を出していい代物じゃない」
きっと遅くまで勉強していて疲れていたせいだろう。適当に聞き流せばよかったはずのおっさんの言葉に俺はなぜだかいら立ちを抑えられない。
「なんだよ、偉そうに」
「お前のほうこそガキのくせに生意気なんだよ。どうせ高校生で資格を持ってたらかっこいいとかそんな動機なんだろ?」
「違う! 俺はそうかもしれないけど、少なくとも水無瀬は違う!」
「だったらなんなんだよ!」
「たっくん、その辺にしとこうか。ちょっと今日は変な酔い方をしてるみたいだしねえ」
「姉貴は黙ってろよ! これは俺とこのガキとの間の問題なんだよ!」
おっさんが一層声を荒げると、
パシっ――
静かな通りに乾いた音が響いた。おっさんが頬を手で押さえているのを見て、どうやら新田先生がぶったのだとようやく理解できた。
「いい加減にしなさい! 前の職場の同僚と飲んで、昔のことを思い出したのかもしれないけど、それで悪酔いしてしかも人に当たるのなんて最低のことよ」
「……悪かった」
素直に謝るおっさんに新田先生は深くため息を漏らして、こちらに顔を向ける。
「小野寺くん、ごめんねえ。たっくんはちょっと前まで自衛隊の気象班にいたんだけど、そのときにちょっと失敗しちゃってね。それで気象予報は真剣にしなくちゃいけないって思ってるのよねえ」
「おい、姉貴」
おっさんはすがるような目を向けるが新田先生は構わず続ける。
「ヘリが着陸するときに局地的な突風が起こりやすい状況だっていうのを予想できなくて、それでヘリが不時着しちゃったんだよねえ」
「っ……! もしかしてそれで人が亡くなったとか、なんですか?」
息をのむ俺におっさんは首を横に振る。
「死んではいない。だが、けがをしたやつがいた。……そのけがのせいでそいつは地上勤務になっちまった」
顔を背けたまま苦々しく告げるおっさんに俺はどう返せばいいのかわからない。
「というわけだから、ほんとにごめんね。たっくんは悪い子じゃないんだよお」
「わかってます。合宿のときだってちゃんと教えてくれたし」
「うん、それもね、きっと自分と同じようなミスをしてほしくないからなんだよお。だよね?」
新田先生に顔を覗きこまれてもおっさんは表情を変えない。
「……帰るぞ」
返事を待たずに歩き始めたおっさんのあとを新田先生が追う。
「小野寺くんも気をつけてねえ」
振り返りひらひらと手を振る新田先生に頭を下げると俺も帰路へと就く。
「気象予報をなめるな、か。言われなくてもわかってるよ。俺は失敗するのは嫌いなんだよ」
独り言ちた俺の言葉はジャリと音を立てたアスファルトに消えた。
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