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第3章 海も山も全部ある(9)

 おっさんにみっちり絞られた夜、俺はなかなか寝付けなくて、翌朝起きるのに苦労した。普段使わない頭を目いっぱい使ったから――というわけではない。なぜなら夕食後に水無瀬から「今日は勉強したから明日はみんなで海に行くよ」と告げられていたからだ。

 本土であればゴールデンウイークの海はまだ冷たくて入る気にはならない。

 けれどこの南の島はすでに夏。であれば、もちろん海に行けば水着になるに決まっている。

 このときのためだけに俺はこの合宿への参加を決めたと言っても過言ではない。水無瀬のブラを見てしまったせいで俺はこのキボウ部に入ったわけだが、今度はシャツ越しのブラなんかじゃなく、堂々と水着姿を拝むことができる。

「一真、最高にキモい顔してるよ?」

「は?」

 朝食後、民宿の庭に出て新鮮な朝の空気を吸い込んでいると、いつの間にやら隣に水無瀬が立っていた。これ以上は無理ってほどに目を細めている。

「ぐふふ、今日はみんなの水着姿が見放題だぜって心の声がダダ洩れだよ?」

「そんな気持ちの悪い笑い方はしないから!」

「思ってたことは否定しないんだ?」

「ぐっ……」

 ニカっと微笑む水無瀬に俺はなにも言えない。

「でもいい天気になってよかったね」

「……だな」

「先に見せてもらったんだけど、琴音ちゃんの水着はお日さまに映えそうだったよ」

「もうその手には引っかからないからな」

「えーっ、つまんないな。おもてなしの心は大切だよ?」

「俺は水無瀬をもてなそうだなんて思ってない。むしろ無理やり入部させられた俺のほうがもてなされてもいいはずだ」

「それはそうかもね」

「ん?」

 声を落として顔を俯かせる水無瀬。足元の小石をサンダルで蹴って、その行き先をぼんやり眺めている。

 思っていたのと違った反応が返ってきて俺が戸惑っていると、

「希ちゃん、そろそろ行こうか?」

 水無瀬のじいさんが車のキーを片手に庭先に出てきていた。

「あっ、もうそんな時間だっけ? みんなを呼んでくるからちょっと待ってて。一真も準備をよろしくね」

 ほどなくして俺たちは準備を終え、水無瀬のじいさんの運転する軽トラックに乗り込んだ。助手席に俺が座って、水無瀬たち三人は荷台に乗る。アップダウンが激しい島の道路を軽トラはすいすい進み、港のちょっと先のほうで止まった。

 車を降りると磯の香りが肺いっぱいに広がる。視界に広がるのは天然の海水浴場。真っ白な砂浜には足跡一つ付いていない。

「そこの集会所に更衣室があるからね」

 水無瀬のじいさんが指さす先には鉄筋コンクリート造りの二階建ての建物があった。砂浜と道路を挟んですぐの集会所に入ると、水無瀬のじいさんは俺たちが海で遊んでいる間、テレビを見て待っていると言い、ロビーのテレビの前に腰を下ろした。

 俺は逸る気持ちを抑えながら手早く着替えを済ませると、一足早く砂浜へと向かう。

 そうして待つこと五分—―

「くらえええっーー!」

 水無瀬の声に振り返った俺の目に水鉄砲が噴射された。

「ちょっ、不意打ちはズルいだろ」

 目元を拭って視界を取り戻した俺ははっと息をのむ。

 たははっと笑む水無瀬はスカイブルーのビキニ。

「ほんっとセンパイは予想通りの反応をしてくれて面白いし」

 松本はハイビスカスみたいな色のワンピースを身にまとって俺を指さす。

「一真の反応を予想するのは気象予報より簡単だからな」

 やれやれと肩をすくめる来栖が学校指定の紺色の水着を着ているのは、なんとなく予想していた。

「生きててよかった!」

「一真はほんとに大げさだね」

 笑いながら水無瀬はまたしても俺に水鉄砲を浴びせかけてくる。

「二度も同じ手をくらうか」

 ひょういと避けたはずだったのだが、

「だからセンパイの行動はお見通しだっての」

 松本が後ろ手に隠し持っていた水鉄砲を放ってきて俺の顔面に直撃した。鼻の中に水が入ってツンと痛い。

「自分がいることも忘れるなよ」

 松本から水鉄砲を奪おうと一歩踏み出した俺の足元にビーチボールを放る来栖。中途半端な体勢から避けようとした俺は派手にひっくり返ってしまう。背中に柔らかな砂を感じて、視界には青空が広がる。本土で見るのとは違う、高くて濁りのない空だった。

「なんか空が高く感じる」

 俺と同じようなことを思ったらしい松本が空を仰ぎ見ている。

「気温が高いからね。その分、空気が膨らんで空を押し上げてるんだよ」

 俺の腹のあたりに水鉄砲を何度も撃ち込みながら言う水無瀬。

「ふーん、そうなんだ。でもそんな話を聞くと気象を勉強するのも面白いのかもね」

 感嘆する松本は執拗に俺の顔を狙っている。

「でしょ? 琴音ちゃんも試験受けてみようよ?」

「合格率五パーセントなんでしょ? アタシはやめとく」

「合格率は低くても受け続ければいつかは受かるって」

「けど希ちゃんもまだ受かってないんでしょ?」

「うっ……。それを言われるとつらいけど、わたしは次こそ受かるから。だから琴音ちゃんも受けようよ」

「うーん、ほんとに希ちゃんが合格したら考えてみる。やる前から諦めるってのはアタシの主義に反するし」

「おいっ! 人に水を撃ちつけながらなに二人で話し込んでるんだよっ!」

 いいようにやられ続けていた俺がガバっと身を起こすと、水無瀬と松本は「あっ、生きてたんだ」と笑いながら波打ち際のほうへと逃げていった。

「てっきり一真は二人にいじめられて喜んでると思ってたんだがな」

 肩を怒らせる俺の背後で来栖がくくっと笑う。

「俺にはそんな趣味はない!」

「そうは見えなかったがな」

「ったく、来栖だけはまともであってくれよ」

「そうだな、気をつけよう」

 来栖は微笑を浮かべると水無瀬たちのほうへとゆっくり歩き始めた。


□  ■  □


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