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第3章 海も山も全部ある(1)

「合宿するよ!」

 水無瀬が突拍子もないことを言い出したのは、ゴールデンウイークを一週間後に控えた水曜日の放課後だった。ドタドタと部室にかけこんできたかと思うと、先に集まっていた俺と松本と来栖に向かって一枚の紙を突きつけてきた。

「……合宿届?」

「合宿をするにはこれを生徒会に出さないといけないって聞いて、大慌てでもらってきたんだよ」

 そんな思いつきで合宿なんてしないでほしい。部の実績をつくらないといけないのはわかってるけど、合宿をするほど困ってはいないはずだ。

 松本が加わってつくった動画の再生回数は、サイトにアップして一週間足らずで一〇〇〇を超えた。松本も「初回だったらこんなもんでしょ」と言っていた。

「合宿なんて必要ないだろ? こないだアップした動画の評価もそこそこ良かったんだし」

 せっかくの連休を部活に潰されたくなくて抗議する俺に水無瀬は「違うよ」と首を横に振る。

「今度の合宿は勉強合宿だよ。気象予報士試験までもう少しだからね」

「そうなのか? けどだったらなおさら俺たちは行く必要ないだろ。試験を受けるのは水無瀬だけなんだし」

「あっ、そうだった」

 俺があきれ顔を向けると水無瀬は合宿届をテーブルに置いて、カバンをがさこそと漁り始める。

「なにしてんだよ?」

「ちょっと待って…………あった」

 端のほうが折れ曲がったハガキを取り出して、俺に差し出してきた。

「なんだよ、これ?」

「受験票だよ」

「は? こんなの俺に渡してどうするんだ? 受験票って、試験のときに自分で持っていくもんだろ」

「そだよ。だから本人に渡しておこうと思ったんだ」

「本人って?」

 首を傾げながら渡されたハガキをまじまじと見つめる。差出人は気象業務支援センターとかいう聞いたことのない組織。その下には受験票という文字が赤い線で囲まれている。

「めくってみて」

「ここか?」

 水無瀬に促され俺はぺりぺりと端のほうをめくって、

「はっ?」

 そこに書かれていた字を見て絶句した。

「なんで俺の名前が書かれてるんだよ!」

「わたしが申し込んだからに決まってるでしょ」

「いやいやいやっ、なんで勝手に申し込んでるんだよ?」

「だって受けるか訊いたら、一真は受けないって言うでしょ?」

「そんなことは……あるな。試験なんて学校のだけで面倒なのに、どうして校外の試験まで受けないといけないんだよって、俺は言うな」

「うん、知ってる。だから申し込んでおいてあげたから」

「俺は受けないぞ。受けなかったからって留年するわけでもないし、退学になるわけでもないし」

「それはどうかな?」

 唇に人さし指を当てて、こてんと首を傾ける水無瀬。

「どうかなって、なんのことだ?」

「受験料は部費から出したんだよね。だから申し込んだのに理由もなく受けなかったってなると責任問題になるんじゃないかな」

「わかったよ。その分の金は俺が生徒会に返金するから。いくらなんだ?」

「一万一四〇〇円だよ」

「は?」

「だから一万一四〇〇円だって」

「なんでそんなに高いんだよ? たかが試験だろ?」

「わたしは学科が免除だから九四〇〇円だけど、一真は学科からだからそんなもんだよ。特に実技試験は筆記で採点に人を雇わないといけないから高いんじゃないのかな」

 そんなことを訊いたわけじゃないんだが、とにかくさすがに一万一四〇〇円は払えない。

 しかしうちの生徒会はほんとに気前が良すぎるというか、なんというかもうちょっと精査してほしい。活動実績について口ずっぱく指摘しないといけないほど予算が足りないのは精査しないからなんじゃないのか。

「というわけで、合宿には参加してくれるよね?」

「どうせ俺には拒否権はないんだろ?」

 肩を落とす俺に水無瀬は「もちろん」と白い歯をのぞかせる。

「で、行き先なんだけど。みんなは海と山、どっちが好き?」

「自分はどっちでもいい。希に任せる」

「アタシは絶対に山。海はあり得ない」

 淡々と答える来栖と対照的に断固とした姿勢を見せる松本。

「松本はどうして海が嫌なんだ?」

「だって水着を着たらセンパイに凝視されるし」

「しないから!」

 こっそりは見るかもしれないけど。……うん、やっぱり俺は海がいいな。

「ほら、いまもキモイ目してるし」

「してないって!」

「聞いたよ、希ちゃんと初めて会ったときにブラを凝視してたって」

「なっ……! 水無瀬、人には言わない約束だっただろ?」

「そんな約束してないよ。言いふらしはしないとは言ったかもしれないけど、琴音ちゃんはキボウ部の部員なんだから知る権利はあるでしょ」

「ほら、そんなに必死になるなんてやっぱりヤラシイこと考えてたんでしょ?」

「考えてないからな!」

 声を荒げる俺に松本はジト目を向けてきて、水無瀬はなにが楽しいのか口元をほころばせている。

「希、行き先は決まってるんだろう?」

「うん、もう泊まる所も予約っていうか、連絡は済んでるんだ」

 いつものように冷静な来栖に水無瀬はそっと頷く。

 決まってるなら海とか山とか訊く必要はなかったんじゃないのか。そのせいで無駄に俺がディスられた気がする。頭を抱える俺に構わず、水無瀬は人さし指をピンと立てて口を開く。

「では発表します。記念すべきキボウ部の第一回目の合宿の行き先は諏訪之瀬島だよ」

「諏訪之瀬島って? 沖縄かどっかにあるの?」

 髪をそっと撫でながら松本は水無瀬を見やる。俺もその島の名前は聞いたことがないから気持ちはわかる。

「ううん、鹿児島県の島だよ。ちっちゃな島だからね、聞いたことがなくても不思議じゃないけど。でも十島村って言えばわかるよね?」

「奄美大島のちょっと上ぐらいのあたりの島ばっかりの村だよな?」

 そうだよと水無瀬が答えたのと同時、部室のドアがガラガラと音を立てて開かれた。

「水無瀬さん、印鑑持ってきたよお」

 おっとりした口調でそう言いながら入ってきたのは顧問の新田先生。

「モカちゃん、ありがと。ここに押してくれたらいいって」

 水無瀬から合宿届を受け取って言われるがままに判を押す。

「けど諏訪之瀬島かあ。私も行くのは初めてだな」

「えっ、先生も行くんですか?」

 驚く俺に「当たり前でしょ」と言う水無瀬。そんな部長を見て新田先生は苦笑を浮かべる。

「泊まるのは水無瀬さんの親戚の方がやってる民宿なんだよね?」

「うん、わたしのお母さんが生まれた島で、お母さんのはとこがやってる民宿だよ」

「お前、そんなマイナーな所にルーツがあったのか?」

「マイナーだなんて一真は失礼だな。……たしかに最近の人口は六〇人ぐらいらしいけど」

「六〇人って……。学校のクラス二つ分ぐらいかよ」

「それでも小中学校はあるんだよ。それに海もあるし、山もあるし。合宿には最高の場所だよ」

「ちなみにコンビニは?」

「あるはずないでしょ。ちなみに携帯は数年前に全キャリア使えるようになったんだって」

 ということは、それまでは携帯もキャリアによっては使えなかったってことか。

「はい、水無瀬さん。できたよ」

「ありがと。あとはわたしが書いちゃうね」

 新田先生から合宿届を受け取ると、水無瀬はしばし無言になって合宿の目的やら場所やら参加人員やらを書き込む。

「これでよしっと。じゃあ一真、これを生徒会室に持って行ってくれる?」

 なんで俺が、と思わなくもないが、どうせ逆らっても無駄だと俺は知っている。

「わかった」

「おっ、珍しく素直だね?」

 からかう笑みを向けてくる水無瀬。

「俺は学習する男なんだよ」

「学習する……? どういうこと?」

「なんでもない。行ってくるから」

 短く答えて俺は部室を出た。閉じた扉の向こうからは合宿の中身についてああだこうだとにぎやかに話す水無瀬たちの声が聞こえてきた。


□  ■  □


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