第2章 うろこ雲と厚化粧(11)
「センパイ、遅いんだけど?」
週明け月曜日の放課後。部室へと向かうと松本が爪にやすりをかけていた。
学校では清楚なネコをかぶっているのでネイルに色は付いていないけれど、よく見るとトップコートだけはしていて表面が薄く輝いている。
部活なんてしてる時間はないって言ってたくせに俺より先に部室に来てるなんてやっぱり部活したかったんだろうな。
とはいえ俺は水無瀬にもぞんざいに扱われているし、来栖だって俺のことを下に見ている節があるし、下級生の松本にまでこのまま侮られるわけにはいかない。
「さっそく副部長気取りかよ」
「当たり前のことなんだけど。アタシはやると決めたことは徹底的にやるの」
「そうか。まあがんばってくれよ」
「はあ? なに言ってんの? がんばるのはセンパイだからね?」
爪の先にふっと息を吹きかけてから、ぎろりとこちらを睨む松本。
「なんでそうなるんだよ?」
「だって広報担当はセンパイなんだし。アタシはアドバイスはするけど、実務はセンパイの仕事だし」
「仕事ってのは役職に就いてるやつが優先的にやるもんじゃないのか?」
「おっ、二人とも早いね。やる気を出してくれて嬉しいよ」
松本に抗議していると、よっと軽く手を上げながら水無瀬が部室に入ってきた。その後ろには来栖の姿もある。水無瀬は俺と松本の向かいの席に腰を下ろして、来栖はいつもの端のほうに座っていつも通り天気図を解析するためにノートPCを起動させる。
「で、なんの話してたの?」
両手で頬杖をついて水無瀬は軽やかな笑みを向けてくる。
「動画配信をどっちが中心になってやるかを話してたんだよ。俺は副部長の松本が中心になるべきだって言うんだけど、聞いてくれなくてな」
「アタシの仕事は監修だから。こまごましたことをするのはセンパイの役目だし」
「というわけなんだが、水無瀬はどう思う?」
がなり立てる松本を横目に水無瀬に訊ねると、
「どっちでもいいんじゃないの」
あっけらかんとした答えが返ってきた。
「そこはちゃんと決めとかないと、あとあと面倒くさいことになるんじゃないのか? この仕事はどっちがするとか、いちいち決めてたら無駄に時間がかかるっていうか……」
ちゃんと考えてほしいと訴える俺に水無瀬は首を横に振って、部室の隅のほうを指さす。
「あれ準備してくれたの琴音ちゃんでしょ?」
「……そうだけど」
「やっぱり。一真はそんなことしそうにないし、そうだと思ったんだよね」
「あれって?」
俺が水無瀬の指さしたほうを見て首を傾げていると、水無瀬は「さっそくセットしてみようよ」と立ち上がってそちらへと向かう。
「琴音ちゃん、手伝ってくれる?」
「いいけど」
「なんなんだよ、それ?」
訊ねた俺に水無瀬は「すぐにわかるよ」と笑みを返して部屋の隅に置かれていたものを広げる。松本と二人で部室の前のほう、黒板の前で小型のスタンドを立てて、その上に緑色のスクリーンをかけた。
「……クロマキーか」
「うん、そうだね。一真とは動画配信のことを話してたのに全然こんなアイデアは出なかったのにね。だから準備してくれたのは琴音ちゃんだと思ったんだよね」
なるほど、水無瀬がどっちでもいいって言ったのは、なにも言わなくても松本がこうして勝手に動いてくれるからってことなんだろう。
「なんだ、人に仕事しろって言っといてちゃんと自分でやってるんだな」
「センパイが気が利かないのがいけないんだし。次からはアタシがなにをしようとしてるのかをちゃんと考えてよね」
松本は髪の先を人さし指にくるくる巻き付けている。なかなか素直になれないらしい。
「はいはいそうですね」
「態度が悪い。自分が平だってことをしっかり自覚してんの?」
「してるしてる」
「全っ然してないしっ! 天気予報をするんだったらクロマキーが必要なことぐらいすぐにわかるのになんで準備してないわけ? 天気図も写さずに動画を配信するつもりだったの?」
「……徐々に準備していこうと思ってたんだよ」
「言い訳は聞きたくない」
「言い訳じゃないんだが……」
「うじうじしないのっ!」
これはダメだ。もはや俺に発言権はないらしい。




