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第2章 うろこ雲と厚化粧(9)

「お疲れさま。今日も良かったよ」

 配信中の松本の様子なんてほとんど見ていなかったような気がしたけど、調子よくそんな声をかけている。

「ありがと。それと傘も助かった」

 配信が無事に終わったことにほっとしたのか松本も自然な笑みを水無瀬に返す。

「気象予報が大事だってわかったでしょ?」

「それは……うん、わかった。でもアタシにその、キボウ部だかなんだかに入れって言うんだろうけど、そのつもりはないからね」

「わたしたちには琴音ちゃんの力が必要なの。このままじゃ実績が足りないからって部が潰されちゃうんだよ。だからね、お願い。入ってよ」

「無理だって言ったじゃん」

「大丈夫だって。減るもんじゃないし」

「時間は減るの。こないだも言ったけどアタシにはお金が必要なの。だから遊びのための動画づくりに時間はかけられないの」

「じゃあさ、週に何回か出てくれるだけでいいから。二、三回だけでもいいよ。アドバイスをくれるだけでも十分だし、余計な雑用は全部、一真にやらせてもいいから。本人もやる気だったし」

 まったく身に覚えのない話が聞こえてきてぎょっとしていると、来栖に「もうちょっと好きにやらせてやれ」とたしなめられてしまった。しかし、水無瀬を好き勝手やらせてると俺はそのうちどこかに身売りさせられやしないだろうか。

「とにかく無理だって言ってるじゃん」

 松本はなおもしつこく付きまとおうとする水無瀬に傘を押し付けるようにして返すと、「じゃあこれでおしまいってことで」と踵を返す。

「あんたたち……」

 けれど踏み出しかけた足をもとあった位置へと戻した。

「お姉ちゃん、わたしたちのことは気にしなくていいんだよ」

「そうだよ。わたしたちももう中学生になったんだから自分の面倒は自分で見られるから」

 その目の前に立っているのはおそろいの髪型をした二人の女の子。背丈も同じぐらいだから双子なのかもしれない。松本のことをお姉ちゃんと呼んでいたけど、目元はそっくり……たぶん。松本のメークは派手めだからちょっとわかりにくいけど。でも妹だと言われても全然不思議ではない。

「すぐに帰るから弟たちの面倒見ててって言ったでしょ」

「あの二人ももう小学校高学年だから平気だって」

「そうだよ、お姉ちゃんが私たちのことを気にかけてくれるのはありがたいけど、お姉ちゃんももっとお姉ちゃんがしたいことをしてもいいんだよ」

 年下の双子に諭されて松本は眉をひそめる。

「へえ、琴音ちゃんってきょうだいがたくさんいるんだ?」

 困惑する松本に感心したような顔を向けるのはもちろん水無瀬。

「……悪い?」

「全然。わたしのお母さんもたくさんきょうだいがいるからむしろ親近感が湧いちゃった」

「でもこれでアタシがお金が必要な理由がわかったでしょ? この子たちの面倒を見るのにもお金はかかるし、アタシも大学には行きたいしね」

「だから私たちの心配はいらないって言ってるでしょ」

「そうだよ。お金なら心配するなってお父さんもいつも言ってるし」

「そうは言ってもね……。あんたたちにはまだわからないことがあるの」

 再び反論する双子に嘆息する松本。

 どこかで見たことがある光景のような気がする。

 なにかをやろうとして、でも踏み出せなくて。

 それは――きっと俺自身の姿だ。

 松本は俺とは違ってすでに動画配信はしてるけど、それでも高校生になったばかりのくせに家庭のことやお金のことばっかり考えているという。

 水無瀬に無理やり入部させられるまで部活にも入っていなかった俺が偉そうなことを言える立場じゃないとわかってはいる。でも松本だってたぶん高校生活を楽しみたいと思っているはずだ。

 そう思ったら自然と言葉が口をついた。

「言い訳してるだけなんじゃないのか?」

「はあ? なに言ってんの?」

 眉をへの字に曲げて思いっきりにらみつけてくる松本に怯みそうになるけど、言ったことは取り消せない。勢いに任せるしかない。

「もっと高校生っぽいことしたいんじゃないのか? 動画配信だってお金を稼ぐためだって言ってたよな?」

「センパイになにがわかんの?」

「わかんねえよ」

「なんなのそれ? わかんないくせにそれで偉そうに人に指図してくるわけ?」

「わからんけど、でもそんなもんだろ。なにかしたいと思っててもなにをどうすればいいのかわからないことってあるだろ!」

「……だったらなんなの?」

「なにってなにが?」

「自分で言ったじゃん。高校生っぽいことってなんなの?」

 高校生っぽいことか。たしかに自分で言っておいてなんなのかさっぱりわからない。

 どう答えるべきかと視線を漂わせていると、水無瀬と目が合った。目元だけで笑って声に出さずに「がんばれ」と口を動かしている。

 そんなこと言われてもどうがんばればいいのかわからないんだが……。

 とはいえこのまま回れ右して逃げるのもかっこ悪い。俺は音を出さずにため息をついてから松本に向き直る。

「たとえば……部活に入ってみるとか?」

「なんで疑問形なのよ? 上から目線で話しといて自分でよくわかってないの?」

「わかってないと言えばわかってない。実は俺がこのキボウ部に入ったのはつい最近のことなんだ」

「で?」

 文字にするとたったひと文字の松本の言葉。威圧感はやっぱりあるけれど、棘は少し和らいだような気がする。

「入部したのだってとある事情から無理やり水無瀬に引っ張られてなんだけど……。でも、なんかいいなって思うんだよ。正直、俺はまだろくな活動はしてないんだけど、朝、学校に行って、授業を受けて、夕方になって帰るって生活を繰り返してたころに比べると、行く場所があるっていうのはいい、と思う」

「自信なさげだけど、アタシのことを入部するように説得しようとしてるんじゃないの? そんなんでいいの?」

「知らん」

「知らんってね……」

「でもそんなもんだろ。自分がなにをしたいかって、ほんとにわかってるやつのほうが少ないんじゃないのか」

 そういう意味では気象予報をしたいって自分で決めて部活までつくった水無瀬のことは羨ましい。本人に言うとからかわれるから絶対に言わないけど。

「そうね……」と口元に手をやる松本。親指で唇にそっと触れていると、

「お姉ちゃん、素直になりなよ」

「中学生のころから部活やってみたいって言ってたでしょ」

 その背中を双子がどんと押した。

「あんたたち余計なこと言わないでよ」

「でも、お姉ちゃんちょっとひねくれてるから」

「うん、たまに見ててはらはらするんだよ」

「ほんとやめてほしいんだけど?」

 松本は眉を寄せると双子は顔を見合わせて笑う。

「じゃあ私たちは先に帰ってるから」

「そもそもなにしに来たのよ?」

「傘持ってきたんだよ。でもお友達に貸してもらってたみたいだから、私たちが心配する必要はなかったね」

「ほんと余計なお世話よ」

 肩を落とす松本にもう一度笑みを返す双子。俺たちに向かって「あとはよろしくお願いします」とぺこり頭を下げると二人手をつないで去っていった。

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