第2章 うろこ雲と厚化粧(7)
迎えた週末の空にはうろこ雲がプカプカと流れていた。
俺はというと、二週連続の休日出勤は避けたかったのだけど、水無瀬からしつこく電話がかかってきてやむなく家を出た。
「このままじゃキボウ部の動画配信の第一弾の内容は一真がわたしのブラを凝視してたことになるよ」だなんて滅茶苦茶なことを言われたら従わざるを得ない。
俺も雲になってどこかに流されてしまいたい。
「おっ、空を見上げてるだなんて一真もキボウ部の一員らしくなってきたね」
「別にそんなつもりで空を見てたわけじゃない」
甲突川河畔一帯に整備された公園で益体のないことを考えていると集合時間に少し遅れて水無瀬と来栖がやってきた。
水無瀬の手には二本の傘が見える。
「なんで二本持ってんだよ?」
「琴音ちゃんは昨日の動画でも今日の配信のことを言ってたから、きっと天気予報を見てないと思うんだよね。だから傘は持ってないと思うんだ」
「教えてやればよかったんじゃないのかよ? 一年の教室に行けば話ぐらいできるだろ」
「えー、でもそれじゃあ琴音ちゃんが入部してくれないでしょ。この場で予報を当てることで予報ってすごいって思ってもらえるはずだよ」
「そりゃそうかもしれないけど」
「そうだよ。とにかく行くよ。もうちょっと先のほうで配信するって予告してたから」
俺の返事を待たずにずいずい先へと進み始める水無瀬。
「ま、そういうことだ」
そのあとを続く来栖に仕方なく俺も歩を進める。
「来栖は昔から水無瀬のことを知ってるんだよな? あんなマイペースで強引なやつと一緒にいて疲れないのか?」
「自分は人付き合いに難があると自覚しているからな。希がいなければたぶん部屋に引きこもっているだけになる。そういう意味ではぐいぐい引っ張ってくれる希には感謝してる」
「たしかに」
「む! 自分が人付き合いに難があるということに同意しているのか?」
「だって来栖は水無瀬の言う通りというか水無瀬の振る舞いに合わせて人付き合いしてるだろ? 俺のことを一真って呼ぶのもそうなんだろうし」
「……それはそうだな。希を介さずに自分が一真に会っていれば、ろくに話もしなかっただろうしな」
結構ひどいことを言われている気がしなくもないけど、たぶん来栖に悪げはない。浅い付き合いでも来栖はしっかりとした自分の世界を持っているのがわかる。
俺はいつかなにか大きなことを成し遂げたいと思っているけど、あれやこれやと手を出しては中途半端に終わっている。だから自分の世界を貫けるのは羨ましいとも思ってしまう。
そんなことを考えながら俺たちは香ばしく焼ける肉のにおいをかぎながら公園の奥のほうへと進んでいった。
「あっ、琴音ちゃんいたよ」
水無瀬が指さす先にはたしかに松本がいた。
ただしその姿は学校で見かけたときとは正反対。派手目のメイクで目元はぱっちり彩られて、ベースボールキャップの脇から垂れる金髪ツインテールを楽しげに揺らしている。
「間違いないよな?」
「どっからどう見ても琴音ちゃんだよ」
動画ではおなじみの姿とはいえ、実際にギャルっぽい格好をする松本を目にするのは初めてで俺は戸惑う。
だが水無瀬は自信満々に松本との距離を縮めて、
「琴音ちゃん、これ使って」
エメラルドグリーンの傘を差しだした。
「はあ? 誰? てかなに?」
「こないだ学校で会ったでしょ? キボウ部の水無瀬希だよ。で、この傘は琴音ちゃんに合わせたんだ。金色の補色って正確にはないみたいなんだけど、青緑が金色を映えさせるんだって。だから琴音ちゃんの金髪にきっと合うから」
「えっ、えぇ? なんなの、ほんとに?」
「いまから雨が降るよ。だから使って」
ぐいと傘を押し付けようとする水無瀬に松本はげんなりした顔を浮かべる。
「雨なんて降らないっしょ。さっきまで晴れて……曇ってきたけど、でも傘なんていらないから」
「さっきまで浮かんでたのはうろこ雲。で、うろこ雲と厚化粧の女は長続きしないって言うからね。もうすぐ降り始めるよ」
「は? なにそれ? 厚化粧の女は長続きしないってアタシが厚化粧だって言ってんの?」
「違うってば。うろこ雲と厚化粧の女は長続きしないっていうのは、うろこ雲が浮かんでる空は変わりやすいってことだよ」
「意味わかんないんだけど……。ちょっとセンパイ、なんとかしてよ?」
そういや学校で松本に会いに行ったときも水無瀬はうろこ雲がなんとかって言ってたな。
派手なメイクで勝気そうに見える松本も強引でマイペースな水無瀬にたじたじって感じで困り果てている。
「ねえ、センパイなんとかしてって言ってんだけど? 聞こえてんでしょ?」
「え? 俺のことか?」
「そうだけど。ほかにいないでしょ?」
「自分もいるぞ」
「えっ、先輩なの? ちっちゃいからてっきりどっちかの妹かと思ってたんだけど」
「むう、失敬な。自分はこう見えても希や一真の同級生なんだぞ」
「じゃあどっちでもいいけど、さっさとこの人をなんとかしてよ」
眉をひそめながら水無瀬のことを指さす松本。水無瀬はそんな松本の様子を気にせず「ほら使ってよ」とにっこり微笑みながら傘を差しだしている。
まったくどうしようもない。
「なあ水無瀬……」
その辺にしとけよ、と言いかけた瞬間。
右頬になにやらひやっとした感覚を覚えて俺は口をつぐむ。
「雨のにおいが強くなってきたね」
空を見上げた水無瀬につられて天を仰ぐと、
ポタっ――
おでこに雨粒が落ちてきたのを今度ははっきりと感じた。
ポタ、ポッ、ポツ、ポタリ……。
すぐに雨は目で捉えられるほどになってきた。




