第2章 うろこ雲と厚化粧(4)
そう思っていると、
「ああーっ、もうサイアクっ!」
突然響いた声に顔を上げると松本が長い黒髪を振り乱していた。
「絶対に学校の人にはバレないようにうまくやってたつもりだったのにっ!」
さっきまでの楚々とした表情もかなぐり捨てて切れ長な瞳を吊り上げている。
「えっと……」
戸惑う俺に対してビシッと人さし指を突きつける。
「あんたたちはなんなのっ? 寄ってたかってああだこうだと言ってきて。なにが目的なの?」
「だからその……」
「動画をつくるからそのためのアドバイスっていうか手伝いがほしいだけだよ」
あまりの迫力に俺が言いよどんでいると水無瀬が淡々と告げた。
松本はきつい視線を水無瀬に向けるが、水無瀬はそれを意に介さずにっこり微笑む。
「いきなりだからびっくりさせちゃったね。それは謝るよ。ごめんね?」
あくまでマイペースを貫く水無瀬に毒気を抜かれたのか松本はふうと息を吐く。
「まあいいけど……。でもこのことをほかの人には絶対にバラさないで」
「どうして? あれだけ注目される動画を配信してるなんて言ったらみんな琴音ちゃんのことをすごいって思うはずだよ」
「別にそんなことアタシは望んでない」
「じゃあどうして動画配信なんてしてるの?」
水無瀬の疑問はもっともだと思う。動画配信に限ったことではないけど、創作活動をするやつなんて人から認められたいという自己顕示欲の塊のはずだ。少なくとも俺はそうだし。
「アタシはお金が欲しいだけなの。動画配信はお金を稼ぐための手段に過ぎないの」
「そっか……。じゃあやっぱりわたしたちの部活を手伝ってよ」
「はあ? なんでそうなるわけ?」
「だって琴音ちゃんはお金が欲しいんでしょ。人のご家庭のことだからその理由までは訊かないけど、とにかくそれはいいよ。で、わたしたちは動画配信をしてわたしたちの活動を広めたいの。琴音ちゃんが手伝ってくれて収益が出たら、それは全部、琴音ちゃんにあげるから」
だから手伝ってよと繰り返した水無瀬の言葉を噛みしめるように松本は唇に親指を当てる。
「いいのか、勝手にそんな約束して?」
「いいんだよ、わたしが部長なんだから」
「そうなのか? そんな話聞いた覚えはないんだが」
「当たり前でしょ。わたしがつくった部なんだし、麻帆は部長とか向いてないし。それとも一真が部長になりたいの?」
「いや、遠慮しとく」
考え込む松本の前で俺と水無瀬がひそひそと言葉を交わしていると、
「やっぱ無理。……アタシにはそんな暇はないし」
「だいじょうぶだよ。そんなに時間は取らせないから」
「無理なものは無理なの。じゃアタシは行くから。動画のことバラしたらただじゃおかないかんね。あんたたちのことを動画で取り上げて社会的に抹殺してやるから」
松本は恐ろしいことを言い残して、俺と水無瀬の間を強引に抜ける。
「ちょっと待ってよ」
水無瀬がそのあとを追いかけようとするが、俺はその腕を掴んで止める。
「やめとけって。松本はお金が必要だって言ってただろ。その理由がなんであれ、俺たちが踏み込んでいい問題じゃない」
「もう、一真はなんで熱くなれないのかな? ここは走って追いかけていって一緒に甲子園を目指そうぜってガシッと肩を組む場面でしょ?」
「俺たちは野球部じゃないからな。それとも気象予報甲子園みたいなのがあるのか?」
「ないに決まってるでしょ。変なこと言わないでよね」
「最初に言い出したのは水無瀬のほうだろ?」
「ほら、一真がグダグダしてるから琴音ちゃんの姿が見えなくなってるし」
「松本のことは諦めろって。動画配信をなんとかする方法は俺が考えるから」
「しっかりしてよね。わたしが出るからには中途半端な結果じゃダメだからね」
やれやれと肩をすくめる水無瀬。自分が動画に出演することには納得してくれたらしい。
しかし、俺のことをなめたようなことを言ってくれたが、実は再生数を伸ばすことに対して俺はそれほど不安は持っていない。
水無瀬の強引な態度には辟易させられることが多いが、こいつは見てくれだけはかなりいい。
大きな丸い瞳にすっと通った鼻筋、それにアヒル口のぷくっとした唇。
水無瀬が画面に出るだけでそれなりに再生数は稼げるはずだ。
そんなことを考えながら部室へと戻っていると、
「うろこ雲と厚化粧の女は長続きしないんだって」
廊下から空を見上げる水無瀬がぽつりつぶやいた。
「なんだよ、それ?」
「一真はキボウ部の一員という自覚が足りないみたいだね」
「んなこと言われても俺は無理やり入部させられてから一週間もたってないんだぞ」
「言い訳は聞きたくないな。でも今日は特別に教えてあげる――長続きしないってことは変わりやすいってこと」
「……つまり?」
説明が説明になってなくて俺が訊ねると、水無瀬はくるりこちらを振り返って、
「わたしは諦めてないってこと」
頬を柔らかく上げた。
「あんまり人に迷惑をかけるなよ」
「わたしは迷惑なんてかけないよ」
「どの口が言うんだよ? 俺のことだって無理やり入部させたくせに」
「でも美少女二人の部に入れて実は喜んでるでしょ? もう一人かわいい娘も誘ってるし、ますます一真には楽しい部活になりそうだね」
ほんとにこいつは人の話を聞かないやつだ……。
無言でジト目を向ける俺に構わず水無瀬は前を向いて歩き出した。
その日の帰り道、俺は雨に降られた。
学校を出たころはうろこ雲が浮かぶばかりで青空が広かったから傘は持っていない。
うろこ雲と厚化粧の女は長続きしないっていう水無瀬の言葉を思い返しながら俺は家路を急いだ。
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