第2章 うろこ雲と厚化粧(3)
嘘だった。
「なあ水無瀬、やっぱり見間違いだったんじゃないか? あんな金髪の娘なんていないって」
「ちょっと諦めるの早すぎるよ。やるときはやる男だからとか言ってドヤ顔してたのはどこの誰だったかな?」
「やることはやっただろ。教室は全部見たし、残ってる生徒にも訊いたけど金髪の生徒なんて見たことないって言うし」
俺たちの通う高校は県下に名が知られた進学校だ。校則は緩いほうだけど、さすがに金髪で学校に来ていれば教師から目を付けられるはずだし、ほかの生徒からも注目されるはずだ。
それなのに放課後で残っている生徒が少ないとはいえ、誰に聞いても見覚えがないということは、あの動画の娘はこの学校の生徒じゃないってことだ。そうとしか考えられない。
ひと通り一年の教室を巡って、廊下の中ほどにたたずむ俺と水無瀬。
窓の外ではうろこ雲の端っこに橙色が混じり始めている。
「通らせてもらえるかしら?」
そう声をかけてきたのは、腰辺りまで伸びた黒髪がきれいな女子生徒だった。
通学カバンを片手に提げて、空いた手で前髪をさらりとかき上げる。
「すまん、道塞いじゃってたな」
「いいえ」
俺が一歩下がると、その娘は頭を小さく下げて俺と水無瀬の間を通り抜ける。
ふわり品の良い香りが立ち上ったのと同時。
「見つけた……。見つけたよっ!」
水無瀬ががばっと顔を上げた。
「見つけたってなにをだ?」
「あの動画の女の子だよ」
「は? どこに?」
「だからいまここを通った娘だよ」
「なに言ってんだよ? 全然見た目も話し方も違うだろ」
「ねえ、ちょっと待って」
俺の疑問を無視して水無瀬は廊下の角まで進んでいた女子生徒のもとへと駆け出す。
「わたしは二年の水無瀬希。あなたの名前を訊いてもいい?」
「名前……?」
「これから長い付き合いになるんだし、まずは名前ぐらい知らないといけないでしょ」
「長い付き合いになるのかはわからないけれど……名前ぐらいなら――松本琴音です」
「琴音ちゃんか、うん、いいね」
なにがいいのかわからないけど、満足げに大きく頷く水無瀬。眉をひそめる松本に微笑んで言葉を継ぐ。
「琴音ちゃんは動画配信してるでしょ?」
「…………なにを言っているのかしら?」
「ハープメロディってチャンネルに出てるよね?」
「なんのことなのか全然わからないのだけれど」
「この間の動画で紹介してた新しく発売された香水、今日つけてきてるよね? わたしもあれいいなって思ってたんだ。でもなかなか手に入らなくてまだサンプルでにおいをかいだことしかないんだ……って話をしてる場合じゃなかった。そんなことより動画の話が聞きたいんだよ」
「私には関係ないと言っているでしょう」
「わたしたちの部でも動画をつくろうって話をしてるんだけど、アドバイスとかもらえないかな。あっ、ついでだから入部してよ。この時間に校舎にいるってことは部活はしてないんだよね?」
初めて会った後輩を壁際に追い込みつつ水無瀬は言葉を連ねる。
対する松本は頬に片手を当てて唇をすぼませている。
俺にもその気持ちはよくわかる。強引でマイペースな水無瀬に迫られるとどうすればいいのかわからなくなるんだよな。水無瀬の被害者の先輩としてこのまま見過ごすわけにはいかない。
「おい、水無瀬。その辺にしとけよ」
「せっかく見つけたのにこのまま逃がすわけにはいかないでしょ」
「けど松本はなんのことかわからないって言ってるだろ。見た目からして全然違うんだし、人違いだろ」
「でも間違いないよ。女の子の見た目なんてメイクで全然変わるし、髪だってウィッグかなんか着けてたんじゃないの」
「そもそもなんで松本があの動画の娘だと思うんだ?」
「だからにおいだよ。あの香水はまだお店にはほとんど出回ってないの。だからあの香水をつけてるってことは間違いなく動画の娘だよ」
「香水のにおいなんてどれも似たようなもんだろ?」
「そんなことないよ。わたしはにおいには人一倍敏感だから絶対に間違いないから」
俺がいくらなだめようとしても水無瀬は一向に俺の話を聞いてくれそうにない。
直接説き伏せるには分が悪すぎるのは前からわかってるし、俺は松本に水を向ける。
「ハープメロディって名前も聞いたことないんだろ?」
「ええ、あんな金髪の女の子なんて私の趣味とは違いすぎるもの」
「だよな。だから水無瀬……」
すぱっと諦めろ、と告げようとしたとき、違和感が胸をよぎった。
「ちょっと待てよ……」
口元に手をやって違和感の正体を探っていると、
「一真、どうしたの?」
水無瀬と目が合って考えがまとまった。
「水無瀬は金髪の女の子が出る動画だなんて言ってないよな?」
「えっと、どうかな? 言ってないかも」
「うん、言ってない。チャンネルの名前と香水の話はしたけど、どんな女の子が出てるかだなんてひと言も口にしていない。それどころか、女の子が出てるということすら言っていない。松本って言ったな、どういうことなんだ?」
「……推測しただけよ。香水の紹介をするなら女の子が出ていてもおかしくはないでしょう」
松本は困惑の色を強くして唇を浅く噛んでいる。
まだ自分とは関係ないと言い張るつもりらしいが、さすがにその言い分は苦しい。
「じゃあ金髪っていうのはどこから来たんだ?」
「香水をつけるような女の子なら派手そうな見た目をしていると考えただけよ」
「じゃあ自分はどうなんだよ? 松本は全然派手な見た目じゃないよな。どころか、清楚を絵に描いたような見た目なのに香水してるだろ」
「それは……たまたまよ、たまたま」
「なにがたまたまなんだ? もはや説明になってないぞ」
呆れながら告げると松本は顔を俯けて大きく息をはく。
がっくりと肩を落とした姿を見て、俺はようやくちょっとやりすぎてしまったことに気づいた。水無瀬に理不尽に責め立てられているのをなんとかしてやりたいと思っていたはずなのに、これじゃあ上級生二人で後輩を詰問しているみたいになっている。
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