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ヒズみ  作者: かみきほりと
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07 心ノ棘

 小さな手でテニスボールを握る。

 よし、今度こそ……と、気合を込めて、思いっきり腕を振る。

 放たれたボールは大きく弧を描き……二度バウンドしてから、空也兄ちゃんが受け止めた。


「いいぞ、トモヤ。もうちょっとだ。もう一回、投げてみよう」


 空也兄ちゃんは、そう言いながら、テニスボールをこちらに転がす。

 公園……ではなく、どこかの原っぱだろうか。

 むんずとボールを握った僕は、地面に引かれた線まで戻ると、大きく息を吸って腕を振りかぶる。

 

「えいっ!」


 声を出して、思いっきり投げるが……

 弧を描いたボールは、失速して地面でバウンドする。

 

「トモヤ、すごいぞ。今までで一番飛んだぞ」

 

 次こそはノーバウンドで……と意気込むが、空也兄ちゃんは、ニコニコ笑いながら歩み寄って来た。

 

「もういっかい! もういっかい!」

「トモヤ、疲れたろ。そんな状態じゃ、いくら頑張っても結果は出ないよ」

 

 言われるまで気付かなかったが、もうフラフラで肩で息をしている状態だった。

 横倒しになった丸太に座っていると、その横に空也叔父さんが腰を下ろし、ペットボトルを渡してくれた。

 それを受け取った手は、大人の大きさに戻っていた。

 すごく冷えてて気持ちいい。


「トモヤも、大人になったんだな」

「そりゃね。あれから何年経つと思ってんの?」

 

 無邪気に遊んでいた頃から、ざっくり十五年ってとこだろうか。

 あの頃は、何をするにも真剣で、上手くできなくて悔しいことも多かったが、結果的には楽しかったんだと思う。

 

「どうだ、トモヤ。大人になった感想は。楽しんでるか?」

「大人になって……、子供に比べてできることは増えたけど、やっちゃダメなことや、どれだけ頑張ってもできないことが増えた……かな。楽しさもそう。苦しい事や悲しい事をたくさん知ったから、これが楽しいってことなんだなって分かるようになった……と思う」

「あはは……すっかり冷めた大人になったんだな」

「いつまでも、無邪気にはしゃいでられないからね」

 

 爽やかな風が吹き抜ける。太陽の日差しも温かい。

 ペットボトルを開封し、あおるようにして一気に半分ほど喉に流し込む。

 炭酸の刺激が喉を焼くが、これもまた爽やかで気持ちいい。

 

「あのラジオ、トモヤのところに行ったんだってな。上手く活用してるか?」

「そうだよ。あのラジオって何?」

「何だろうな。危険を教えてくれるみたいだけど、ただそれだけだ。悲劇を回避しようと思ったら、自分でどうにかするしかない」

「頑張ったら、回避できるの?」

「たぶん……な。でも、ボクは上手くできなかった。どれだけ危険を訴えても、真剣に聞く奴はいないし、頭がおかしいのかってバカにする奴が現れるし、笑い者にされて忠告を無視されんのがほとんどだ」

「そんな事が、あったんだ……」

 

 いつもと変わらぬ日常に、いきなり現れて荒唐無稽な危機を訴える人物……

 それらしい兆候がなければ、そう簡単には信じてもらえないだろう。


「逃げろって忠告したのに無視して……なのに、その連中が死んだら、お前のせいだとか責められて、挙句の果てにお前が殺したんじゃないか……だってさ」

「やっぱり、叔父さんは凄いな……」

「凄い? どこが?」

 

 穏やかに話していた叔父さんの雰囲気が変わった。

 顔に浮かぶのは、苦悩だろうか。無念や後悔かも知れない。だが……

 未だに状況が分からず右往左往している自分と比べたら、犠牲者を無くそうと行動した空也叔父さんは、やっぱり凄いと思う。

 

「みんなを助けたいって思って、行動したんだよね。すごく優しいし、やっぱり凄いよ」

「あんなものは優しさでもなんでもない。みんなにボクを認めさせたかっただけだ。けど結局、最後は見捨てた。諦めた。そして………絶望した」

「叔父さん?!」

 

 肌からみるみる艶が失われ、老人のように枯れ始めた。

 カサカサになった肌がドス黒く染まり、いびつに形を歪めていく。

 最後は衣服も朽ち果て、異形のモノへとなり果てた。

 そんな、空也叔父さんの成れ果てが、ぐぐもった声で問いかけた。


「ドコデ、マチガエタ……?」

 

 心の中で絶叫するも、身動きどころか、まばたきひとつできない。

 ただ座って、その様子を見ているしかなかった。

 異様にデコボコ蠢く頭だったらしきものが、目の前に迫る。

 顔を逸らすことも、目を閉じることもできない。

 ドス黒い物体に、二つの切れ目が入る。一つは口、もうひとつは……

 頭部のほとんどを占めるような、巨大な目玉が現れて、ギョロリと僕を見つめる。

 

「トモヤハ、ナンニン、ミゴロシニシタ?」


(……ちが、僕は……)


 実際に起こるとは思っていなかったのだから、止められるはずがなかった。

 そもそも、起こると分かっていても、止められるとは思わない。

 

(違う! 見殺したんじゃない! 僕にはムリなんだ!!!)


 いくら頑張っても声が出ない。

 半狂乱になって心の中で叫ぶ。

 

 ドス黒い成れ果てが、波打ちながら膨れ上がる。

 このままだと飲み込まれてしまう、と思ったのだが……

 成れ果ては、不意に動きを止めるとドロリと腐り落ち始めた。

 全身を覆う塊が崩れ落ち、現れた白い骨もボロボロと崩れ、その骨すらも灰となって宙に舞い上がっていく。


(……ひっ!!)

 

 目の前に巨大なしゃれこうべが現れた。灰が集まってできたモノだ。

 目のくぼみの中で、青白い光が鬼火のように揺れ、ギョロリと睨んでくる。

 

「ナンニン……ミステタ?」


 その言葉が、心の奥底に突き刺さり、僕は意識を失った。


 

 

 気が付けば朝だった。

 汗なのだろう、全身がびしょ濡れになっていて、すでに冷え切っていた。

 全身が怠かったが、這いつくばったまま冷蔵庫へ向かい、取り出した容器に直接口を付け、作り置きのお茶をヒリヒリと痛む喉へと流し込む。

 半分ほど残っていたのに、あっという間に消え去った。

 

 あれは、夢……だったんだろう。

 寝る前に、兄が余計な事を吹き込んだせいで、あんな悪夢を……

 絶対に、そうに違いない。

 幸い今日のバイトは昼からなので、準備の時間はまだまだある。

 

 ひと息ついたところで、寝具を分解し、洗えるものは洗濯機へ放り込み、洗えないものは、窓と厚手のカーテンの隙間に吊り下げる。

 ついでに、今着ている物も全て放り込んで洗濯機を回し、シャワーを浴びる。


(あっ……)

 

 ヒザから力が抜けて、湯船の中に座り込んでしまった。

 真夏なのにやけに寒い。そのせいで、歯がガタガタ鳴っている。

 

(あれは夢だ。だから早く忘れて、今日のことに集中しなきゃ……)

 

 そう思えば思うほど、成れ果ての姿が、放った言葉が、あの恐怖の全てが、脳裏に浮かぶ。

 犠牲者のことは、ずっと気にはなっていた。……だけど、最初に芳乃さんを助けようと思い、逆に死にかけ、助けられたことで、あれをどうにかするなんて絶対に不可能だと思ってしまった。

 その心も、あの悪夢に反映されたのだろう……


 湯船の中でうずくまったまま、頭からシャワーを浴び続ける。


「ラジオは危険を教えてくれる、ただそれだけ……」

 

 夢の中で空也叔父さんは、そう言っていた。

 だが、兄の話では「ラジオに殺される」と言っていたらしい。

 どちらが本当なんだろう……いや! だからっ!!

 

「あれは夢なんだって!」

 

 思わず声に出し、慌てて口を押える。

 アパートの住人に迷惑がかかる……と思ったが、それを思えば、朝から長時間シャワーを出しっぱなしにするのも、洗濯機を回すのも迷惑だろう。

 軽く全身を洗い、シャワーで流す。

 幸い、時計を確認すると九時前だった。この時間なら、うるさいと怒鳴り込んでくる住人は……たぶん、滅多にいないだろう。


 朝食を食べたり、洗濯物を干したり、お茶を沸かしたりしていると、あっという間に時間が流れていった。

 もちろん、まだ恐怖は残っているし、殺されたらどうしよう……なんて、考えても仕方がないことが頭をよぎったりもするが、なんとか身体は動くようになった。


 全く寝た気がしないが、バイトを休むわけにはいかない。

 いつも通り準備を整えると、無言のまま静かに部屋を出た。


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