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ヒズみ  作者: かみきほりと
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04 波紋

 確かに苦しい生活が続いていた。

 だが、苦しいなりに、なんとか毎日を乗り切っていた。

 なのに、ここにきて不吉……というか、不穏なことが次々と降りかかってきているような気がする。


 大学を卒業するまでは、順風満帆……とは言わないまでも、それなりに楽しく過ごせていたと思う。

 すぐに内定がもらえて、すんなり就職できたところまでは、良かったが……

 人生の歯車が狂ったとすれば、その会社が二年を経たずして倒産してしまったことだろう。

 それによって生じた歪みは、時と共に大きく広がり、すでに修復不能な状態のように思える。

 

 再就職に失敗して九ヶ月。

 なんとかアルバイトで食いつないでいるのだが……

 ひと月ほど前からお世話になり始めた超幸まぁとは、お世辞にも恵まれた職場とは言えなかった。

 そこのオーナー店長は、親から店を引き継いだらしいが、厄介なものを押し付けられたと思っているようで、あまり経営に熱心ではなさそうだった。

 売上なんてものは、美男美女に接客させれば上がると公言していたらしく、その効果が薄れてからは、経費削減に勤しんでいる。

 給金を上乗せして雇っていた見た目重視のアルバイトを切り、最低賃金で実務重視のアルバイトを雇った……というのが、先輩の高校生アルバイト、坂東結(ユイちゃん)から聞いた話だ。


 思いのほか、次から次へと襲い来る不景気の波は激しかったようで、実務能力の改善が実っても、なんとかギリギリのところで踏みとどまるのが精一杯の状況……というのは、別の先輩アルバイトの言葉だ。

 その人は、「経営のことは分からないけど、売れ残りが多いってことは商品に魅力がないってことだから、どんどん魅力のある商品と入れ替えないと……」とも言っていた。

 自分には、そんな権限はないけどね……という自戒の言葉を添えて。

 言われてみれば、仕入れの傾向がおかしい気もするが、先輩でもこんな調子なのに、新参者に何ができるだろうか。


 新たな生活基盤が、思った以上にぜい弱なのを知った僕は、再就職に力を入れているのだが、全く上手くいかない。

 徐々に追い詰められていくような苦しい日々が続くが、そんな中でもなんとか頑張っていられるのは、やはり込根美夜の存在があるからだろう。

 彼女(ミヤ)の存在があったから無駄遣いを控えていたし、そのお陰でささやかながらも蓄えが残っている。それに……

 彼女は決して僕を甘やかしたりはしないが、困った時や心が弱っている時には、ソッと救いの手を差し伸べてくれる。

 もはや彼女は、僕の心の支えであり、生き甲斐と言ってもいいだろう。

 

 諦めずに頑張ろうと思った矢先に、実家から放り出された。

 実際には、すでに一人暮らしを長く続けていたのだが、実家に自分の居場所が無くなったという事実は、思った以上にショックだった。

 その上、あのラジオの預言じみたニュースで死にかけたのだから、何モノかの悪意すら感じてしまう。

 これで、昨日聞いたニュースの通りに火事が起こり、それに巻き込まれたとしたら……


「あーもう、ヤメだ、ヤメだ!」

 

 せっかくの休日だから、掃除や洗濯など、家事に勤しもうと思っていたのだが、ふとした瞬間に考え事をしてしまい、頭の中に嫌なことばかりが浮かんでくる。

 たまにミヤがやってくれているで、部屋はキレイだし、洗濯物もそれほど溜まっていない。だが、それに甘えてはいられない。

 考えるのをやめて集中し、家事を手早く終わらせようと気合を入れた。

 


 

 次は消耗品の補充だ。

 バイトの通勤は、徒歩が推奨……と強制されているので、休みの日や空いた時間に自転車で出掛け、まとめ買いをするようになった。

 向かったのは、いつもの場所、値段控えめで品揃えがそこそこ豊富な百貨店、主婦の味方キュリエヴァリスの大幡新町店だ。

 爪楊枝と除菌スプレーが残り少なくなっており、食器洗いのスポンジがかなりくたびれていた。

 他にも数点の雑貨を買い込むと、食料品フロアーへと降りていく。

 その途中、見知った相手に声を掛けられた。

 

「波竹さん、お買い物ですか?」

 

 癒しの妖精……いや、堅山海華(かたやまみか)だった。

 同じ時期に入った超幸まぁとのバイト仲間で、見ているだけでも癒されると評判の女性だ。幼く見えるが大学生で、背は低めながらも育つところは育っている。

 

「そうですけど、堅山さんも? こんな場所で会うなんて、なんだか不思議な気分ですね」

「ふふ、そうですね……」

「ざ~んねん。私もいますよ。波竹さん、こんにちは」

 

 背後から現れたのは、健康的で元気な女性、姫月杏(きづきあんず)だ。

 バイトの先輩で、超幸まぁとの主戦力の一人である。

 堅山海華とは、同じ大学に通うひとつ上の先輩で、見ての通り、二人は大の仲良しだ。

 

「こんにちは、姫月さん。お二人で息抜きですか? いいですね」

「そそ、二人でデートなんだけど、よければ波竹さんもご一緒しますか?」

「デートの邪魔をしたら悪いし、まだ買い物の途中だから遠慮するよ」


 口調や態度から冗談だと思い、断って立ち去ろうと思ったのだが……


「そうよね。波竹さんにも伝えておいたほうがいいよね……」


 などと、堅山さんが意味深な事を真面目に呟くので、思わず足を止める。

 

「伝える? 何かあったんですか?」

「……そうね。ここだとちょっと話しづらいから、場所を変えましょうか」


 人が集まる百貨店とはいえ、その中にも、滅多に人が立ち寄らない場所というものが存在する。そのひとつ……

 姫月さんに連れられ、閑散としたフロアの階段脇に向かう。

 休憩スペースなのか椅子が並んでおり、僕は二人が座る正面に腰を下ろす。

 足を組んだ姫月さんは、途中で買った紙パックのジュースを片手ですする。

 その横で、行儀よく座った堅山さんが、ストローの刺した紙パックを両手でしっかりと持ち、音を立てず上品に飲む。

 

「波竹さん。ミカを見て、なにニヤニヤしてるんですか? まっ、可愛いのは分かりますけど、ミカは私の嫁ですからね」

「ちょっとアンズちゃん……」

「いや、そういうんじゃなくて……」

 

 訂正の言葉が、困ったようにはにかむ堅山さんの声に重なり、思わず顔を見合わせる。

 

「すみません。なんとなく二人を見てると、名は体を表すってアテにならないんだなって。あっ、これも失礼ですね」

「……え? それって、どういう意味ですか?」

「姫月さんは、なんだか華やかって感じですし、堅山さんは妖精のお姫様って感じだから、名前が逆だったら似合いそうだなって……」

 

 それを聞いた姫月さんは、声を上げて笑い始める。


「あはは、そういうことでしたら、私もそう思いますよ。せっかく可愛い名前にしてやったのに、ちょっとは女の子らしくしろって、よく親からも言われますし。それにしても、妖精のお姫さまって……」

「あっ、アンズちゃん、笑うなんてひどい。……でも私、お姫様っぽくないよね?」

「ミカを妖精のお姫さまって呼ぶのは、的確な表現だとは思いますけど……、まさか波竹さんからそんな言葉が出てくるって思いませんでしたから」

 

 焦って変な事を言ってしまったが、どうやら不興を買ったわけではなさそうで、少し安心した。


「……それで、何か話があったんですよね」

 

 僕の問いかけに、沈黙が流れる。

 何やら話し難い内容なのか、堅山さんに視線で促された姫月さんは、目を伏せて考え込んでいる。

 

「そうね、その前に……波竹さん、なんで私たちに敬語なんですか? プライベートなんですから、普通に話してもらってもいいですよ」

「……ん? あっ、そっか。いつも敬語だったから、気付かなかったよ」

「バイト中は、ずっと敬語ですからね」

「そうそう。だったら、二人も普通に話してもらってもいいかな。そのほうが僕も話しやすいし」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 姫月さんの話は、バイト先の超幸まぁとの話だった。

 てっきり嫌気が差して、二人でバイトを辞めようか、という話かと思ったのだが、そうではなかった。

 何でも、超幸まぁとでは、商品の紛失が相次いでいるらしい。


「……? でもそれって、店長が持ち出してるって話じゃなかった?」

「私もそう思ったんだけど、調べたらそれだけじゃなくて……」

 

 さすがに店長も、自分で持ち出した分を問題にするつもりはないようだ。だが、他にも消えたものがあるとなると、話は別のようで……

 

「そういえば、一昨日だったかな……。なんかいきなりキングから、在庫チェックを押し付けられたんだけど。その時、三日前に荷物が紛失したから店長のチェックが厳しくなったとか、言ってたな……」

「そっか、その時はどうだったの?」

「その時? 問題なかったよ。ちゃんと箱の数も合ってたし。開封されてた箱の中身も、ちゃんと数が合ってた……けど、どうかした?」

 

 話している途中から、難しい顔で考え込み始めた姫月さんは、困ったように口を開く。

 

「一昨日もあったのよね、紛失が。それだけじゃなくて、最近になって、かなり増えてるの。あっ、もちろん、店長以外の紛失がね」

「そりゃまた、大変……って、あれ? でも茶中さん、何も言ってなかったけど。そんな事があったら、すぐに教えてくれそうなのに……」

 

 超幸まぁとで、先代の時からバイトをしている古株、通称『倉庫主』と呼ばれ、在庫管理を取り仕切っている、茶中大夢(ちゃなかひろむ)という人物がいる。

 年齢を聞いたことは無いが、店長よりも年上らしいので五十に近いと思われるのだが、みんなに気さくに話しかけ、困ったことがあれば何でも手伝ってくれるという、とてもいい人だ。

 

「重鎮だけど所詮バイトだからね。店長にしても目の上の()()()()だから、在庫管理の権限を取り上げたみたいよ」

「それ、初耳だけど……。どこに何があるかすぐに教えてもらえるから、すっごく助かってたのに」

「あっでも、倉庫の管理は今まで通りだから、その辺は大丈夫だと思う。だから、在庫管理から倉庫管理に格下げって感じかもね」

「じゃあ、在庫管理はキングが?」

「さすがに、そんなバカなことはしないでしょ。手伝わせてるのかも知れないけど、たぶん権限は店長が握ったままだと思う。それが普通だしね」

 

 そりゃそうだ。店の命運を握る大事な役目だけに、下手な人物には任せられないはずだ。

 

「それで……、なぜか店長は、波竹さんが犯人だって思ってるみたい。そんなわけ、絶対にないのにね」

「僕が? ……いやまあ、確かに違うけど、絶対って何で?」

「波竹さんが休みの日にも、普通に紛失があるからね。それも何度も。そう店長に言ったんだけど、今度は共犯がいるって言い出して……。なんだかミカも疑われてるみたいだったから、さすがに嫌気が差して、二人で辞めよっかって思ってるんだけど……」

 

 やはり、最初の直感は正しかったようだが、こうなると話はややこしくなる。

 

「このタイミングで辞めたら、そのまま犯人にされるだろうね……」

「そうそう、それって悔しくない? だから、真犯人を見つけてから、辞表を叩き付けてやろうって思ってるんだけど、……波竹さんも協力してくれませんか?」

 

 日々の生活苦に追い詰められている感覚があったが、まさかこんな形でバイトを失うことになるとは思わなかった。

 放置すれば横領でクビ。この場合、当然ながら次の働き先にも影響が出るだろう。それを思えば、犯人を探して無実を晴らしたほうがマシだが……

 店長との信頼関係が失われたのに、残れば互いに気まずくなるだろう。そんな空気に耐え続けるのは苦痛だし、結果的に、次の働き口を探すことになるだろう。

 

「うん、分かった。……っていうか、これって、こちらから姫月さんにお願いしないとね。姫月さん、どうか力を貸してください」

「そう……だよね。アンズちゃん、私と波竹さんの為に、お力添え頂けますか?」

「ん~、そのつもりだけど。……なんか、その言い方だと、二人の仲を取り持つみたいでイヤだな」

 

 意味が分からず困惑する堅山さんの姿を見て、癒しを感じて少し和んでいたが、姫月さんの話はまだ終わっていなかった。

 

「まあ、それは冗談として、もう犯人の目星はついてるけど、まだ証拠集めとかしなきゃだから、この事は内緒ね」

「それは分かったけど、相手は誰?」

「ん~、それも決定的証拠が出てこないと、なかなか一人に絞れないのよね。だから、それも内緒にしたほうがいいかもね。みんなで犯人かなって意識しながら見てたら、相手にも気付かれちゃいそうだし」

「姫月さん、そうやって秘密を抱えて一人で行動する人って、ドラマだと真っ先に殺されたりするんだけど……」

「あはは……たしかに」

「僕らの為に頑張ってくれるのは嬉しいけど、くれぐれも無茶のないように。それと、もし困ったことがあったら、いつでも連絡して欲しい」

「危ない事をするつもりはないけど、何かあったら連絡させてもらうね。その時は波竹さん、カッコ良く助けに来てくださいね」

「……できるだけ、善処するよ」


 三人で連絡先を交換して分かれ、一人で食料品フロアーへと降りる。

 

(米はまだ一週間分以上残ってたはずだし、お茶っ葉や、紅茶、コーヒーもまだまだあったはずだ。そういえば、砂糖が切れかけていたな……)

 

 上白糖とグラニュー糖を一袋ずつカゴに入れる。

 さらに牛乳と卵と……となると、かなりの重量になる。

 それを自転車の前カゴに乗せ、しっかりとハンドルを握って家路を急いだ。

 

 

 

 部屋に戻り、買ってきた物の整理が終わった頃に、メッセージが送られてきた。

 今日の夕方、時間が空いたから、久しぶりに一緒に食事をしよう……という、ミヤからのお誘いだった。

 なぜ直接電話を掛けてこないのか不思議だったが、篠辺芳乃と会う件を、詳しい説明を添えて返信する。

 昨日の事故に巻き込まれそうになったところを助けてもらい、そのお礼にカフェモルア新町本店で納涼スイーツフェアをご馳走する……といった内容だ。

 よかったら一緒に行こうと誘ったのだが、その返事は……


──私が行っても気まずくなるだけだから、遠慮するね。

  その代わり、しっかりと恩返しをしてくること!

  ただし、浮気は許さないからね❤

 

 ……という、ありがたいものだった。


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