03 感謝の気持ち
ギリギリの時間だったが、なんとか間に合った。
事故の後、事情を話して休むことも考えたのだが、懐事情を考えたらとても休んでなどいられなかった。
だから、急いでバイト先、超幸まぁとへとやってきたのが……
店内も世間もあの事故の話題で持ち切りだったのだが、そのせいなのか、いつにも増してお客の入りが悪かった。
そのあおりを受け、夕方のピークを迎える前なのに、退勤してもいいというお達しが、店長から直々に言い渡された。
なんだか言い訳がましく、「健康も大事だからな。たまにはゆっくり休んだらいい」というお言葉を頂いたが、明日は休業日だし、明後日のシフトは昼からだった。要するに、経費削減のために労働時間を減らしたかっただけなのだろう。
このような事は今に始まったわけではないが、最初の頃に比べて、言い訳がかなり雑になっている。
労働時間の減少は収入減に直結するので、こちらとしては死活問題なのだが、文句を言ったところで仕方がない。
兄からの賠償金を当てにしつつも、いつも通り倹約に努めるしかなさそうだ。
再就職が決まれば、全てが解決するのだが、それよりも、新たなバイト先を探したほうが早いのかも知れない。
このご時世、それもまた難しいのだが……
実のところ、苦しい生活を続けているのは、ミヤとの結婚資金を貯めているからなので、全くお金がないというわけではない。
それに、その結婚も、再就職が決まって生活が安定してからと決めているので、いつになるか分からない。
だから、いざとなったらその資金を切り崩して、また余裕のある時に貯めればいいのだが……
とはいえ、それを一度でも行えば、歯止めが効かなくなってすぐに資金が尽きるだろうし、そうなればミヤへの罪悪感に苛まれ続けることになるだろう。
いわばそれは、奥の手……というよりは、悪魔の取引に等しい禁じ手だと肝に銘じている。
そんな事を考えながら歩いていると、学生服姿の小柄で活発そうな少女──坂東結が近付いてきた。
「波竹さん、どうしたんですか? 今日のシフト、入ってましたよね。サボりですか?」
「違う、違う。お客の入りが悪いからって、店長に追い出されたんだよ」
「またですか……。波竹さんも大変ですね」
困ったような、呆れたような表情で、彼女が小さく首を振って嘆息する。
真面目でしっかり者の彼女は、今のバイトの先輩であり、師匠と呼べる相手だった。以前のバイトの経験があったとはいえ、超幸まぁとでの作業内容は、全て彼女から教わったと言っても過言ではない。
こんな費用削減策が、自分たち新人だけで済んでいる間は大丈夫だとは思うが、もし彼女や他の者にまで及んだとしたら、いよいよ廃業が近いと思ったほうがいいだろう。
あまり考えたくはないが、ただでさえ自分は不運なのかと疑っているというのに、この店まで倒産してしまったら、いよいよ真剣に疫病神や悪霊に憑かれている可能性を考えて、お祓いに行った方がいいだろう。
「まあ、そういう事だから、後は任せるよ」
「はい、任されました」
元気な答えを残して去っていく彼女を、手を振って見送りながら、店の存続を真剣に願った。
予想外に早く帰ってきたこともあり、久々にパソコンの電源を入れてみる。
思った通りアップデートだらけだったが、裏で更新していても、インターネット閲覧ソフトで情報収集をする程度ならば問題はないだろう。
篠辺さんにお礼をすると言った手前、贈り物をするにしろ、食事をご馳走するにしろ、事前調査ぐらいはしておいたほうがいい。
どれだけ準備を整えても、想定外は起こるものだし、どれだけ自分を過信したとしても、即興だけで乗り切れるとは思えない。
だから最新の情報を、少しでも多く集めておく必要がある。
学生の頃は、よくこうやって、ミヤの為にいろいろと調べたりしていた。
流行や催し物をチェックしたり、旅行の計画を立てたり……
なんだかすごく懐かしい。
ふと事故のことが気になり、ニュースサイトを覗いてみる。
駐車場の写真なのだろう。腹を見せて大破した車と、それに巻き込まれた車たちの痛々しい姿が映し出されていた。
だが、もっと凄惨なのは、巻き込まれた人たちだろう。
報道では数字でしか表されないが、運転手を含む六名が死亡、重体や重傷者は十名以上、その他多数の負傷者が出ている……と書かれていた。
昼前の速報なのでかなり曖昧だったが、もっと後の記事なら、もう少し詳しい内容が出ていると思われる。だが、とても調べる気にはならなかった。
携帯電話が、無機質な電子音を響かせる。
ミヤからのメッセージだ。
まるで見張られているかのようなタイミングだが、いつものことなので、驚くほどのことではない。
──トモ、お仕事お疲れ様。
近くに行く用事があったから、おかずを用意して冷蔵庫に入れておいたよ。
あまり作る時間がなかったから、唐揚げは買ったものだけど、ごめんね。
有名なお店らしいから、味は美味しいと思うよ。
よかったら、食べてね。
別に謝ることでもないし、とても感謝しているといった旨を返信すると、いつもの、安堵の表情を浮かべたペンギンのデフォルメキャラに「よかった」という文字が添えられた可愛らしいスタンプが返ってきた。
携帯電話を戻す時、チラリとメタリックブルーの物体が目に入る。
あの小型ラジオだ。
得体の知れない不気味さと、命を落としかけた恐怖が蘇り、背筋がゾッとするものの、魅入られたように手に取って、少しでも変なところがないかと嘗め回すように観察する。
電源スイッチで、FMとAMが切り替えられるようだ。
目立つ部品は、選局のためのチューナー、音量ダイヤル、イヤホンジャック、そして伸縮や角度調節のできるアンテナぐらいだろうか。
裏のカバーを開けると、単三電池が二本入っており、アダプターの端子や充電池の類はなさそうだった。
外観はとてもシンプルで分かり易く、何もおかしなところはない。
試しにスイッチを入れ、チューニングをしたり、AMとFMを切り替えたりしてみる。
ほとんどがノイズだし、一発で選局ができないのは不便だが、たぶんそういうものなのだろう。
ノイズが収まったと思ったら、おどろおどろしい効果音が流れ出す。
何事かと思って聞いていると、どうやら怪談の番組のようだった。
とても、そんなものを聞く気分じゃないのでチューナーを回し、早口ながらも明るい雰囲気のトーク番組を流す。
基盤やら回路やらが改造されていたらお手上げだが、動作を含めて不審な点はなさそうだった。
そのままボリュームを調整し、ラジオを傍らに置いて、パソコンで調べものを再開する。
プレゼントを探すならキュリエヴァリスがいいだろうか。
いわゆる百貨店のような場所で、食料や衣料、装飾品や家電製品まで、様々な物が揃っており、普段の買い物ならば十分に事足りる。
少し距離があるが、かえでモールに行くのもいいだろう。
買い物はもちろん、レストラン街や遊興施設まで揃っているので、丸々一日過ごす事も可能だ。
他には、カフェモルアで納涼スイーツフェアが始まったらしい。これならば、学生も喜ぶだろう。
車の免許はあるものの、車は持っていない。
レンタカーを借りるのもいいが、そこまで見栄を張っても仕方がない。そもそも、そんなところにお金を使うぐらいなら、彼女へのお礼に使ったほうが、絶対にいいに決まっている。
だからといって、仲良く自転車で……というのもバツが悪い。
かえでモールに行くならバスになるが、簡単に行けてそこそこ楽しめる場所となれば、このぐらいが限界だろうか。
思えば、数年前と代わり映えがしない気もするが、それはそれで少し安心する。
あとは流行や、高校生が好きそうなものを探せばいいのだが……これは難航しそうだ。
──(ザザッ……)
今まで軽快な口調で話し続けていた男性の声に、ノイズが混ざり始めた。
まさか……と思い、ラジオを見つめる。
──次のニュースです。
流れてきたのは、昨日も聞いた、あの真面目そうな男性キャスターの声だった。
──八月二日の夕方五時十分ごろ、大幡市新町にある喫茶店、カフェモルア新町中道店で火災が発生。
店舗は焼け落ち、店内にいた一部の従業員と数名の客が巻き込まれたものとみて、調べが続いており(ザザッ)……れます。
なお、店内に…(ザザッ)……があり、原因は…(ザザッ)…………
またしても、雑音が激しくなり、内容が聞き取れなくなった。
しかも、雑音が晴れると、元の軽快な口調のトーク番組に戻っていた。
さすがにもう、ただの悪戯とは思えない。
ついでに言えば、昨日のことも、夢や幻ではなかったのだと確信するしかない。
動悸が激しくなり、息が荒くなっているのが、自分でも分かる。
電波ジャックならば、さすがにニュースになるだろうと思い、調べて見るが、そのような話は出てこない。
(まさか……、今日、僕を殺し損ねたから、もう一度……?)
手の込んだ殺害予告の可能性を考えるが、さすがにそれには無理がある。
狙いが僕だとしても、周りの被害が大きすぎる。
それに、今朝あんな目に遭ったのに、コレを聞いてノコノコ現場に行くと思うだろうか。だとすれば、逆に行かないようにと忠告してくれているとか……
何にせよ、声の主は誰で、どういう意図があるのか全く分からないだけに、判断のしようがない。
不意に電子音のメロディーが流れ、ビクッと身体をすくませる。
通話の呼出音だった。
恐る恐る携帯電話を手に取って、相手を確認し………脱力しながら大きく息を吐く。
相手は篠辺芳乃だった。
ラジオのスイッチを切って、通話をつなげる。
「もしもし……」
「突然すみません、篠辺芳乃です。波竹さん、お言葉に甘えて電話しちゃいました。それで……今、お時間は大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。今朝は本当にありがとう。助かったよ」
「いえいえそんな……、でも、無事でよかったです。後で聞いて、思ったよりも大きな事故だったみたいで驚きました」
やはり今朝は、突然の事故で気が動転していたのだろう。
電話越しでは表情こそ見えないが、声の調子だけでも喜怒哀楽のハッキリとした、明るくて可愛らしい女の子だと分かる。
「多くの人が巻き込まれたみたいだし、僕も驚いたよ」
「ですよね。……それでですね、できればもう一度会って話せないかなって思ってるんですけど、ダメですか?」
「僕も会いたいって思ってたんだ。今朝のお礼もしたかったし」
「そう……なんですね」
「なにか欲しいものとか、食べたいものとかあれば、教えてくれると助かるんだけど。何かあるかな?」
結局、相手に丸投げしてしまった。
別に考えるのが面倒になったわけではない。
こっそり準備するのもいいが、どうせなら相手が喜ぶものの方がいいだろうと思ったのだ。
電話の向こう側から、小さく「う~ん」という唸り声が聞こえる。
何やら真剣に悩んでいたようだが、ようやく決まったらしい。
「そうですね。でしたらお言葉に甘えて……」
今どきの高校生の金銭感覚は分からないが、できれば程々の出費に抑えてもらえると助かると願いつつ、耳をそばだてる。
「波竹さん、カフェモルアで納涼スイーツフェアっていうのをやってるんですけど、知ってますか?」
ドクンと心臓が跳ね上がった気がした。
まさかと思いつつも、話を促す。
「ああ、そうみたいだね」
「時間があればですけど、明日も部活で学校に行くので、その後にでも一緒に食べに行きませんか?」
まるで心臓を鷲掴みにされた気分だった。
さっき聞いた、預言じみたニュースが、嫌でも頭の中に浮かんでくる。
「あー、でも、お仕事ですよね」
「明日は定休日だから、大丈夫だよ」
そう答えてから、自分の迂闊さに顔をしかめる。
仕事で行けないから日を改めようと言えば、解決できた話だと直後に気付いた。
いや、だが、断ったとしても、彼女がひとりで……もしくは、友人を誘って店に行くことも考えられる。その結果、彼女の身に何かあれば、たぶん一生後悔するだろう。
「……? 波竹さん? もしかして、甘いのは苦手ですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
吸い寄せられるように危険な場所へと誘導されていることに愕然としつつも、平静を装って答える。
何かいい方法がないかと考えてみるが……
やはり、一番簡単なのは、別の場所を提案することだろう。
だが、それだと彼女へのお礼なのに、彼女の希望をないがしろにしてしまう。だったら……
パソコンを操作して、カフェモルアのページを表示させ、急いで確認をする。
「さすがに制服姿だと目立つかなって思って。それに、知り合いに見られたら、何か誤解されそうだしね」
「もしかして……恋人さんに、誤解されるって思ってます?」
「ん~、この辺って知り合いが多いから。僕みたいな大人は、高校生と一緒に居たってだけで、変な噂が広まるからね」
苦しい言い訳にも程がある。
だが、彼女は真剣に考えてくれているようだ。
「そうですね。制服だと目立っちゃいますから、着替えて行きますね」
「ありがとう、助かるよ。だったら、中道店はすごく混むと思うし、ちょっと足を延ばして本店のほうに行ってみない?」
「うん、いいですよ。私、本店って、行った事ないんですよね」
「そうなんだ。僕も最近は行ってないけど、チェーン店だから見た目はあまり変わらないかも。でも、客層が違うせいか、落ち着いた雰囲気だったかな」
「そうなんですね。楽しみにしてますね」
思いのほか、あっさりと意見が通って驚く。
てっきり、どう足掻いても、最終的には焼け落ちる店に誘導されるものとばかり、思っていたのだが……
でもまだ油断はできない。
当日になって強制力が働くのかも知れないし、燃え落ちる店が本店に変わっている可能性だってある。
できれば、何も起きないのが一番なのだが、何が起きても巻き込まれないように注意する必要がありそうだ。
「それじゃ篠辺さん、学校を出る時にでも連絡してもらえるかな」
「はい、分かりました。……その、私の事は芳乃って呼んでもらってもいいですか? 篠辺だとほら、お父さんと同じだから……」
「えっ? ……ああ、いいけど。じゃあ芳乃さん、明日、よろしくね」
「はい、ご馳走になります」
相手が通話を切ったのを確認してから、こちらも通話を切り、大きく息を吐く。
さすがに二日連続で、あんな奇妙なことは起こらないだろう……と思いたいが、何か超常的なものを感じるだけに、全く安心ができない……どころか、不安しかない。
まだまだアップデートが終わりそうにないので、パソコンをそのまま放置して、夕食の準備を始める。
ご飯を炊いている間にシャワーを浴びようと思ったのだが、炊飯器には炊き立てご飯が入っていた。ミヤがセットしておいてくれたのだろう。
それならばと、冷蔵庫からおかずを取り出し、先に食べることにする。
春雨とインゲン豆の炒め物、野菜サラダの盛り合わせ、それに有名店の唐揚げが並ぶ。かなり豪華な食卓だ。
改めてミヤに感謝しつつ、手を合わせて「いただきます」と唱えた。