10 シアワセ……
タイルの張られた地面に座り込み、ズルリとズレ落ちそうになる彼女の身体を抱きしめた。
背中へと回した手のひらに、嫌な感触が広がる。
「……血?」
何が……
いや、考えるまでもない。
芳乃さんが僕を襲い、それをミヤが身体を張って守ってくれた。そうとしか考えられない。けど……
なぜ、僕が芳乃さんに襲われるんだ?
それも、殺したいほど恨まれているなんて……
「……あはは、ドジっちゃったな。私は大丈夫だから、トモは早く逃げて」
「逃げてって……ミヤ、怪我……」
「こんなのかすり傷だから。いいから逃げて」
傷付いた身体で、なおも僕を庇おうと立ち上がる。
芳乃さんは、乱入者に驚き、その相手を刺したことでパニックになっているようだった。
「……悪くない。私は悪くない。そうよ、あの女が邪魔をするから悪いのよ…… 波竹智矢、お前だけは絶対に許さない……」
何かブツブツと呟いていたが、再び憎しみの目を向けると、ナイフのようなものを逆手に持ったまま、大きく腕を振り上げる。
「邪魔しないで!! その男を庇うなら、あなたも殺してやる!!」
襲い掛かる芳乃さんを、ミヤが受け止め、もみ合いになった。
いや、ボーっとみている場合ではない。
(そうだ、警察……それと、救急車も)
胸ポケットに手をやるが、そこにあったはずの携帯電話が無かった。今の騒動で、どこかに落としたようだ。
(どこだ!? どこへ行った!?)
立ち上がろうとする途中、四つん這いになって舗装タイルに視線を巡らせる。
通知ランプが明滅しているので、すぐに見つかったが……
その場所は、もみ合う二人の向こう側だった。
いやいや、悠長に電話なんてしている場合じゃない。
もみ合う二人に近付き、刃物を持つ芳乃さんの手首をつかんで押さえつける。
「やめてくれ、芳乃さん。何があったんだ? なぜこんなことを……」
「なにが? ふざけないで! あなたのせいで……、あなたがお父さんを殺したのよ!!」
「僕の……せい?」
何のことか分からない。
部活か何かで鍛えているのか、芳乃さんは、高校生の女の子だとは思えないほどの力で僕の手を振り払う。
それをもう一度必死につかみ直し、脇に抱えるようにして捻り上げる。
凄まじい執念で、なおも振り払おうとする芳乃さんを、ミヤと二人がかりで取り押さえる。
カラン……と、やっと手から刃物がこぼれ落ちた。
「……!!」
僕がプレゼントした、ウサギ柄の果物ナイフだった。
それを、思いっきり蹴り飛ばす。
なおも暴れる芳乃さんを羽交い絞めにして、動きを封じる。
「……痛っ」
手に噛みついてきたので、仕方なく腹這いにさせて抑え込み、抵抗を封じる。
「ミヤ、今のうちに警察を! ……ミヤ?」
……返事がない。
やはり、相当無理をしていたんだろう。倒れ込んでぐったりとしている。
僕の携帯電話は、とても届かない場所に転がったままだ。
取りに行くにしても、芳乃さんの拘束を緩めれば、振りほどかれそうだ。
「はは、タケ、何やってんだ?」
いつの間にか、蓮貝が近くに立っていた。
醜く歪んだ笑顔を浮かべ、見下ろしていた。
「キング、救急車を……」
「何を言ってんだ、タケ。これは天罰だよ。俺をないがしろにし、彼女がいるのに、別の女にちょっかいを出したお前に、天罰が下ったんだ」
なにがそんなに可笑しいのか、蓮貝は狂気の高笑いを続ける。
まさか、これはコイツが仕組んだのか?
やっぱり、僕は……ここで殺される?
それがラジオの呪いなら……逃れられない運命なら仕方がない。だけど、ミヤは関係ないはずだ。
(誰か……、お願いだから、ミヤだけでも!!)
心の底から、そう願った。
次の瞬間、キキッと金属の悲鳴らしきものが聞こえたと思ったら、高笑いをしたまま蓮貝が吹っ飛んだ。
……いや、横から何かがぶつかって、ぶっ飛ばされたようだ。
「はぁ、はぁ……、波竹さん……、こんな場所にいたんですね。無事ですか?」
「ゆ……ユイ、ちゃん?」
坂東結が、自転車ごと蓮貝に体当たりをしたようだ。
状況が理解できないが、助かったということだけは分かる。
「分かりにくい場所だから、すっごく探しましたよ。…って、その人、血が……」
「ユイちゃん、早く救急車を! 救急車を呼んで! ……お願いだから、ミヤを助けて!!」
電話を終えたユイちゃんは、ミヤに応急手当をしてくれた。
その間、僕はユイちゃんが用意してくれた物干しロープで、疲れた様子の芳乃さんと、気絶した蓮貝を縛り上げる。
「なんで……、どうやってユイちゃん、ここに?」
「いや、だって……、あんな電話聞かされたら、心配になりますよ」
「電話? バイトの話……だったと思うけど」
「その後ですよ。……あーやっぱり気付いてなかったんですね。電話、ずっと繋がったままでしたよ?」
そう言われ、思い出して自分の携帯電話を拾い上げる。
「……ホントだ」
「今日、超幸まぁとで何があったか聞いてましたし、蓮貝さんの声が聞こえて、これは何かあったなって思って、何か役立ちそうなものをカバンに詰めて家を飛び出してきたんですよ」
「でも、よくここが」
「私の家も近いですからね。住宅街がどうとか、奇原神社がどうとか、あと方向と歩いて行ける範囲で絞り込んで……でも、こんな場所に公園があったんですね」
「公園……?」
道の角にある、自動販売機と石造りの丸い椅子があるだけの、ちょっとした休憩場所なのだが、ユイちゃんが指し示した先には、大幡新町第七防災公園と書いてあった。
「そうか、ここも公園だったんだ……」
戻ってタイルに座り込み、ミヤの頭をヒザの上に乗せる。
傷口にはタオルが乗せられているが、そこにも血が滲んでいる。
「ごめんな……ミヤ。迷惑ばっかりかけて……」
そっと手を握ると、無言のままだが、微かに握り返してくる感覚があった。
今ごろになって野次馬が集まり出したが、騒ぎになる前に、サイレンの音が近付いてきた。
「ありがとう、ユイちゃん、助かったよ。後は僕が何とかするから、ユイちゃんは帰っていいよ」
「それはダメですよ。私も、これ、やっちゃいましたし……」
困ったように笑みを浮かべると、縛られて転がる蓮貝を指差した。
最初はただの喧嘩だと思われていたようで、気絶させて縛り上げるのはやり過ぎだと注意されたのだが、捜査が進むにつれて、こちらが被害者だと分かってもらえたようだ。
僕にとってショックだったのは、芳乃さんの殺意が本物だったことだ。
父親の篠辺政弘は、彼女にとっては本当に大切で大好きな、とってもいい父親だったらしい。
その父親から、自分の評価が悪いのも、会社が傾いているのも、全てはこの無能な新人、波竹智矢のせいだと聞かされていたらしい。
会社が倒産した時も、同じように愚痴っていたようで、彼女の中で僕は、父を不幸にした元凶となっていた。
表向きは事故死だったが、彼女は自殺の現場を見ていたようで、弔問に訪れた僕が「ご愁傷さまです。お父さんは貴女のことをすごく自慢していましたよ」などと言ったことを、すごく馬鹿にされたと感じたらしい。
明確な殺意が芽生えたのはこの時だったが、再び会うことは叶わず日々が過ぎ、そして運命の日がやってきた。
最初の事故の時、会ったのは偶然だったが、とっさに道連れにして一緒に死のうと思ったらしい。
だが、失敗したばかりか、命の恩人ってことになってしまった。
だったらと、会う口実を作って確実に殺そうと計画したが……どういうわけか上手くいかず、全て失敗してしまった。
それに今回も、邪魔が入ったと悔しそうに語ったという。
親の仇を目の前にして、心の中で殺したいほど僕を憎んでいた彼女が、あんなに無邪気に振る舞っていたのかと思うと、恐怖だし、人間不信に陥りそうだ。
それと比べれば、蓮貝のほうは分かり易い。
蓮貝は、超幸まぁとを自分のものにし、ゆくゆくは全国展開して大富豪になろうと夢見ていたらしい。
それなら勝手にやればいいものを、僕の書いた『なんだかよく分からないけど、凄いレポート』を見て危機感を覚えた蓮貝は、計画の障害物になりそうな僕を追い落とそうと画策した。
評価されるのは悪くないが、他人に見せるのが恥ずかしくなるようなレポートで過大評価された挙句、命まで狙われるのは理不尽過ぎる。
とはいえ、蓮貝もこんな事になるとは思っていなかったようだ。
蓮貝は、僕が芳乃さんとカフェモルアに行った時、たまたまそこに居合わせたらしい。
その後、芳乃さんと接触し、僕は女癖が悪く、芳乃さんの事をボロボロにして捨てるつもりだと吹き込んだ。
その事はすっかり忘れていたのだが、最後の望みで僕に頼みごとをした後、あの場面に遭遇し、芳乃さんに吹き込んだことを思い出したらしい。
天罰だとか言っていたのは、ただの痴話喧嘩だと思っていたようだ。
見当違いにも程がある。
他にも様々な悪事を働いていたようで、それらも暴露されたようだが、それは僕には関係ないし、関わりたいとは思わない。
ちなみに超幸まぁとは、店長の妹が継ぐことになった。
とはいえ、その妹さんは別に職を持っており、オーナーの権限だけを握って、他の人に店を任せることにした。
今後は、南条店長の元、立て直しを図るらしい。
つまり南条さんは、バイトリーダーから店長に抜擢されたわけだ。
あのラジオは、有名なお寺で供養してもらうことにした。
もし、危険を知らせてくれるお助けアイテムだったら……とも思ったのだが、手元にあるだけで心が安らがない。
それにやっぱり、危険を呼び寄せる呪いのラジオだったら……と思ったら、早く供養してもらったほうがいいだろう。
あれから九日後、僕は、ユイちゃんに誘われたキュリエヴァリス大幡新町店で働くことになった。
姫月さんと堅山さんも一緒だ。
二人は、無実が証明されたあの日、宣言通り、店長に退職届を叩き付けたそうだ。
これからも同じ店で働くとはいえ、こちらは様々な部署があるので、一緒に働くことはもちろん、顔を合わす機会も滅多にないだろう。
この新人研修が終われば……だが。
「波竹さんは、今日も病院ですか?」
「うん。なんだか退屈してるみたいだから、いろいろ差し入れようかと」
「わ~、いいな~。お二人、ラブラブですね」
姫月さんの後ろから顔を出した癒しの妖精……いや、堅山さんが茶化す。
彼女に言われると、何だか悪い気がしない。
「ええ、ええ、それはもう、私が居てもお構いなしにイチャイチャしてますよ」
「そんなことないって……」
「えっ? 私が居ない時、もっとイチャイチャしてるんですか?」
二人の命の恩人ということで、ミヤに坂東結を紹介したのだが、二人はすぐに仲良くなったようだ。
なんでも、女性にしか頼めないことも多々あるらしい。
「結ちゃん、いいな~。私もお友達になりたい」
「ちょっとミカ、私の前で、堂々と浮気宣言?」
そう言って、姫月さんはクスクス笑う。
「でもそうね。私も会ってみたいかな」
「だよね。アンズちゃんも一緒に、これからみんなでお見舞いに行くって、どうかな?」
「たぶん喜んでくれると思うけど、今日は本当に荷物を届けるだけだから、一人で行ってきますよ。その代わり、二人を連れてきていいか、聞いておきますね」
「そりゃそうよね。知らない人がいきなり押しかけたら迷惑よね……」
「それは大丈夫だと思うけど、怪我人だからね。あまりはしゃいで無理をしたら、そっちのほうが心配かな」
常識的な姫月さんと、天真爛漫な堅山さん、対照的だがいいコンビだ。
「じゃあ、波竹さん。これ、美夜さんに渡しておいてくださいね」
ユイちゃんから紙の手提げ袋を受け取ると、みんなに別れを告げて病院へと向かった。
入院していることを、家族には内緒にしているらしい。
なので、この個室は彼女が自分で手配したものだ。入院費用も全て、自分で処理するらしい。
もちろん、全て僕が出すつもりでいたのだが、保険なども関係があるからと言われたら、その辺りの知識が皆無の僕としては口を挟めない。
「頼まれた物は全部あると思うけど……」
「トモ、ありがと。重かったでしょ」
「そんなことないよ。でも適当に本や雑誌を十冊ほどって言われたのは、ちょっと困ったかな。一応、好きそうなものに、滅多に読まなさそうなのを少し混ぜておいたけど……」
他にも、安眠アイマスクや爪切りなども入っている。
「いいの、いいの。退屈しのぎなんだから。それに、トモが選んでくれたっていうのが、重要なんだよ?」
「そういうもんか……。まっ、いいや。あと、これ。ユイちゃんから、渡してって頼まれたんだけど」
「あはは……助かる。……トモ、中は見てないよね?」
「えっ? 見てないけど、見られたらマズイの?」
「……下着、だけど……見る?」
「ゴメン、聞かなかったことにするね」
自分で言って恥ずかしくなったのか、ミヤの顔が赤く染まる。
だったら言わなきゃいいのにと思うが、そういうところもミヤらしい。
「トモ、どうしたの?」
「えっ? なにが?」
「すっごく優しい顔してた」
「そうか? こうしてミヤと二人っきりになるのは、久しぶりだなって。それに、ミヤがすごく楽しそうで、いいなって」
「楽しいよ。あ~あ、このまま面会時間が終わらなかったらいいのにな~」
「あはは……。寂しくなったら、いつでも連絡すればいいよ」
「うん」
だったら……と、ミヤと友達になりたがっていると、二人──姫月さんと堅山さんのことを話す。
思った通り大喜びで、今度連れてきて欲しいと頼まれた。
「じゃあ、本はどこに置いたらいい? 枕元に並べたら……ナースさんに怒られるかな」
「う~ん、どうだろ? 袋に入れたまま、その椅子の上にお願い」
「だったら、綿棒とか爪切りは、この引き出しに入れておくね。あと水は冷蔵庫に……」
「うん。お願い」
引き出しを開けて……息が詰まった。
なんで……?
「ミヤ……これは?」
「ん? どうしたの? ……ああ、そのラジオ、お姉ちゃんがアラバマに行くとき、どうせ向こうじゃ使えないからってもらったんだ。かわいいでしょ?」
色こそメタリックピンクになっているが、間違いなくあのラジオだった。
……いや、あのラジオと同じ型だった。
とはいえ、一般的に売り出されていたものだ。まさか、同じ型だからって、その全てに未来予告が流れたりはしない……だろう。
あんな物がいくつも世の中に出回っていたら、少なからず騒ぎになって、それこそニュースになっているはずだ。
「そんなに真剣に見つめて。トモも気に入った?」
「そういうわけじゃないけど、ミヤってラジオを聞くんだなって……」
「普段は聞かないけど、こういう時にはいいかなって」
「そうなんだ……」
動揺を隠しながら、ソッと引き出しを閉じる。
──アナタハ、ワタシノモノ……
「えっ? ミヤ、何か言った?」
「ん?」
ニコニコしながら、小首を傾げている。
その向こうの置時計を見て我に返る。
「あっ、もう面会時間が終わるみたい。また明日くるね」
「そっか、残念。じゃあ、またね」
頬にキスをして、波竹智矢は扉から出て行った。
しばらくして寂しそうにため息を吐いた込根美夜は……
「トモ……、世界で一番、大好きだよ……」
小さく呟いて、目を閉じた。
そして……
──…(ザザッ)……
ラジオの雑音が、病室に流れた……
突然降り掛かった困難を、生き延びた波竹智矢さんには、
是非、シアワセになって頂きたいものです……
これで、夏のホラー2022参加作品「ヒズみ」は完結となります。
お付き合い下さり、ありがとうございました。
いつもの如く、想定していたよりもかなり長くなりましたが、
こんな形で、また何かが作れたらと思います。
すごく楽しかったです。
読んでみてどうでしたか?
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