90th BASE
空には雲一つ無く、水色が澄み渡っている。夏大二回戦、私たち亀高はライバル校である楽師館と激突し、延長の末に勝利を収めた。私も気持ちもこの青空のように晴れ晴れとしている……ことはなかった。
先ほど試合後のミーティングが終わり、私たちはいつもの如くグラウンドの外で宿舎への送迎を待っている。誰と話すことなく、日の当たらない塀に座ってぼんやりと空を眺めている私の隣に、紗愛蘭ちゃんがやってくる。
「お疲れ。勝てて良かったね」
「……うん。そうだね……」
私は歯切れ悪く紗愛蘭ちゃんに返事をする。チームが勝ったことは嬉しいはずだが、大手を振って喜べない。勝利の瞬間も、試合後のベンチでも、私はチームメイトの歓喜の輪に加われなかった。
「あんまり元気無いじゃん。万里香とあんまり勝負できなかったから?」
「うーん……、それもある。他にも色々とすっきりしないことが多くて……」
紗愛蘭ちゃんの問い掛けに、私は少し首を傾げながら頷く。彼女の質問は半分正解で半分外れている。
万里香ちゃんとは確かに満足な勝負ができなかった。ただ最後の彼女の打席では互いの持てる力をぶつけ合えたので、多少なりとも納得できている。それよりも今日の不甲斐無いピッチング、後を継いだ春歌ちゃんの好投、試合の終わり方など、どうも私は置いてけぼりにされた気がしてならない。当然こうなったのは自分の責任であり、やり場の無い怒りや蟠りが重なった故の今の気分なのだろう。
「そっか。今日はチームとしても苦しい試合だったからね。普段試合に出てないメンバーが活躍してくれたおかげで勝てたわけだから、私たちみたいなレギュラーとしては勝ったって言うより、その子たちに勝たせてもらったって感じがするよね」
勝たせてもらった。私にはその表現が紗愛蘭ちゃん以上にぴったりと当てはまる。春歌ちゃんが私の招いたピンチを断っていなければ、きさらちゃんが土壇場でタイムリーを打っていなければ、私は今頃、声が枯れるほど泣き叫んでいたに違いない。
「けどリザーブメンバーの力で勝つ試合ができるってことは、それだけチーム力が上がってる証拠だし、前向きに捉えて良いんじゃないかな」
満足気に笑う紗愛蘭ちゃん。彼女はこうしてチーム全体を見渡して物事を考えることができる。だから主将を務められているのだろう。個人のことばかり気にしている自分が恥ずかしい。
「楽師館に勝ったから大勝負を終えたように感じるけど、まだ二回戦なんだよね。甲子園に行くにはあと三回、全国制覇のためには四回勝たなきゃならない。先は長いよ。だから早めに切り替えていかなくちゃ」
紗愛蘭ちゃんが大きく背伸びをし、空に向かって息を吐き出す。まだまだ戦いは続く。一戦毎の振り返りは必要かもしれないが、ずっと立ち止まっているわけにもいかないのだ。
「真裕も今日は奮わなかったけど、今後どこかで真裕に勝たせてもらう試合が必ず来る。今日はその貸しができたってことにしておこうよ」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるかな」
私は仄かに口元を緩ませる。紗愛蘭ちゃんの温かい言葉に、心がほんの少しだけ軽くなった。
「次の試合では絶対に良いピッチングをしてみせる。チームを勝たせられるようにね」
「その意気だ。だけど気負い過ぎには注意してね。真裕は普段通り投げてくれれば抑えられるんだから」
紗愛蘭ちゃんが私の左肩を優しく叩く。今日の私は彼女の言う“普段通り”ができなかった。というより楽師館の作戦に憤りを覚え、自分から調子を崩してしまった。如何なる時にも感情に流されず、油断することなくプレーしなければならない。そのことを負ける前に学べて良かったと言える。
「ちょっと喉渇いちゃったな。ジュース買いにいくけど、真裕も来る?」
「ああ、……じゃあ行こうかな」
私は紗愛蘭ちゃんに連れられ、本塁側を回って一塁側にある自動販売機まで歩いていく。自動販売機の近くでは楽師館がミーティングを行っていた。
選手たちは私たちに背を向けて立っているため、その表情はこちらから確認できない。試合が終わった直後の万里香ちゃんは号泣こそしていなかったが、頬には多くの涙粒が流れていた。最後は自分がマウンドに上がってサヨナラ負けを喫したわけなので、想像を絶する悔しさを感じただろう。もしかしたら私が同じような立場になっていたかもしれないと考えると、身震いが止まらない。
「どれにしようかな……」
私は少し悩んだ末、レモン味の炭酸飲料を選ぶ。いつもは炭酸を控えているが、これなら重たい気分もさっぱりできると思ったのだ。
缶の蓋を開けると、小気味の良い音ともに気泡が溢れ出してくる。私はそれを急いで口の中に入れた。
炭酸が喉奥で弾ける。その勢いで胸の閊えを流してほしかったが、期待したほどの効果は無い。
「ふう……。うっぷ」
久しぶりに炭酸を飲んだからか、すぐにげっぷが出てしまった。舌に纏わりついた砂糖の甘味は好みではないものの、今日はそれも悪くなく感じる。
「万里香とちょっと話してく?」
「いや、やめとくよ。挨拶の時にも話してるし、また熱りが冷めた頃に話すことにする。向こうから連絡あるかもしれないしね」
紗愛蘭が気を遣って聞いてくれたが、今は万里香ちゃんに声を掛けるべきではないと思う。話したところで、きっと二人とも笑って会話が弾むことはない。
「それもそうだね。万里香も一人で考えることがあるだろうし、私たちは私たちで前に進もう」
「うん」
万里香ちゃんはプロに進むと言っていた。今後はそれに向けてトレーニングをすることになるだろう。私も同じ道を目指すと彼女は思っているみたいだったが、実際のところ私自身はまだ何も決められていない。きちんとした回答ができず申し訳無いと思う反面、曖昧なことを言うわけにもいかない。
今後も万里香ちゃんと同じ舞台で野球をしたい気持ちはある。だがそれを軸として進路を決めるのは如何なものか。
ひとまず私には、今ある目標を追い掛ける権利が残された。ならばそちらに集中すべきだ。余計なことを考えてしまうと、今日みたいに足を掬われる。
楽師館との二回戦は、私個人としては消化不良に終わった。この雪辱は、これ以降の試合で果たすしかない。
See you next base……




