84th BASE
最終回。二点を追い掛ける亀ヶ崎は、先頭の昴がセカンドへの内野安打で出塁する。更にワンナウトを取られた後、八番の栄輝がアウトハイのフォークを初球から捉えてヒットを放つ。
(フォークをあのコースに狙って投げることはまず無いだろうし、おそらく失投だよね。思い切って打ちに出て良かった)
一塁ベースを回ったところで止まった栄輝は緩やかに相好を崩し、安堵感を漂わせる。ファーストストライクから狙い球以外を打つことはアウトになった時の後悔が大きく、打者としては躊躇うことも多い。それでも栄輝は勇気を持ってバットを振った。前の打席でも初球を打って二塁打にしており、積極的な姿勢が結果に繋がっている。彼女が課題としてきた消極性を克服するきっかけにできるかもしれない。
《九番レフト、柳瀬さん》
そして、仲間を信じて待機していた真裕に打席が回る。ネクストバッターズサークルから立ち上がった彼女はバットを見つめ、深く呼吸をする。
(昴ちゃんと栄輝ちゃんが私にチャンスをくれた。これをものにできるかどうかに私の三年間が懸かってる。まだまだマウンドに立ちたい! 万里香ちゃんにも、そして舞泉ちゃんにも勝ちたいんだ!)
真裕が打席で構えを作る。初球、ストレートが外角に外れる。
石川がマウンド上で疲れを隠せなくなってきた。制球力も球速も落ちた中で残り二つのアウトを取り切るため、これまでのように力に頼るのではなく技で抑えようとしている。
二球目はカーブがアウトローに決まる。真裕に対してボールから入った石川だが、次の一球できっちりとストライクを取った。春歌にも共通して言えるように、自分にとって不利なカウントを極力作らない投手は、瀬戸際に立たされてもからでも中々崩れない。のらりくらりとしながらも踏ん張れる底力を備えている。
三球目、石川はインローにストレートを投じる。打ちにいきたい真裕だったが、厳しいコースに来ていたためスイングを躊躇する。
「ストライクツー」
打てる球が見つからないまま真裕は追い込まれる。これ以降、彼女が一度でも空振りすれば三振。だが当てにいってゴロを打ってしまうと、併殺で試合終了となる可能性もある。
(三振は嫌だけど、中途半端なバッティングはもっとしたくない。ストライクが来たらしっかりとバットを振るんだ)
真裕は一旦タイムを取って二度三度素振りを行い、いざという時にバットが出せるよう気持ちを整えておく。それからバッティンググラブのマジックテープを付け替え、改めて打席に立つ。
四球目は低めのフォーク。真裕は釣られずに見極める。
(ここまで真っ直ぐは一球しかない。今のフォークに私が手を出さなかったことで、次は真っ直ぐを投げたがるんじゃないかな)
投手心理からすると、四球を出せば満塁となるこの場面では特にスリーボールにはしたくない。石川が現在のカウントのまま勝負を決めようと思うなら、ボールになる変化球よりもストレートを選びたくなるところだ。
石川がサイン交換を済ませ、真裕への五球目を投げる。アウトコースを進んできた投球は、ベース手前で落ちる変化を見せる。フォークだ。
真裕は読みを外された。既にスイングを始めており、打つことを止められない。このままではバットが空を切ってしまう。
ところが真裕にとっては幸いなことに、これまでのフォークよりも落ちが甘かった。彼女は体勢を崩しながらも、拾い上げるようにして打ち返す。
「ライト!」
ライトへ小フライが上がる。この回から代打の林に代わって守備に就いていた本条の数歩前に弾んだ。
「ストップ、ストップ!」
二塁ランナーの昴は打球が落ちるのを確認してから進塁したため、ランナーコーチが三塁で止める。これでワンナウトランナー満塁。逆転サヨナラを望めるチャンスまで広がる。
「おっしゃ!」
真裕は一塁ベース上でランナーコーチとグータッチを交わし、感情を露わにする。いくらフォークが落ちなかったと言っても、裏を掻かれた球を打つのは難しい。日々の鍛錬に裏打ちされた技術と、何としても勝ちたいという執念から生み出されたヒットである。
《一番ショート、陽田さん》
楽師館の内野陣が一度マウンドに集まり、守備位置の確認と共に石川を励ます。投手交代はせず、最後までエースに託すようだ。タイムが解けると一番の京子が打席に入る。
(菜々花も真裕も負けたくないって想いが伝わってくる打席だった。もちろんウチだって終わりにしたくない。必ず後ろに繋ぐんだ)
初球、ストレートが真ん中高めに来る。好球必打で臨んでいた京子は早くも打っていく。
「センター!」
打球は高く上がって外野まで飛ぶ。ただ伸びが出ず、センターの東が定位置から少し下がった程度で追い付く。
「アウト」
「ゴー!」
昴はタッチアップで本塁に向かう。東はバックホームせず中継に返球し、他のランナーの進塁を防ぐ。
「うーん……」
京子の打球は犠牲フライとなった。ところが打った本人は浮かない顔をし、俯き加減でベンチへと戻っていく。
一点は入ったが、負けを逃れるためにはまだ足りない。できることなら京子は自身も生きた上で昴をホームインさせたかったのだ。亀ヶ崎はチャンスが続くものの、ツーアウトまで追い詰められる。
《二番、沓沢さんに代わりまして、バッター、弦月さん》
打順が二番の春歌に回るところで、亀ヶ崎はきさらを代打に送る。アウトになれば敗戦が決まるプレッシャーの中、今大会の初打席を迎える。
(ここで私に回ってきちゃったか……。凡退したら三年生が引退しちゃうなんて、責任重大過ぎる。……でも、やるしかないな)
きさらの心臓が只管に脈打つスピードを上げる。いつ喉奥から飛び出てきてもおかしくないと感じながら、彼女はバットを構えた。
「きさら、びびるなよ! 結果なんか気にしなくても、とにかく思い切って行け!」
「良い球は初球から振れよ!」
三塁ベンチでは、三年生を中心に亀ヶ崎の選手たちが大きな声を飛ばし続ける。その一部は祈るように両手を組んでいた。全員がきさらの一打を信じ、試合を見守る。
See you next base……




