81st BASE
《七回表、楽師館高校の攻撃は、六番サード、長谷川さん》
七回は両チーム六番からの攻撃となる。まず長谷川が左打席でバットを構える。初球、春歌はインコースへのストレートを投じる。長谷川は予め狙っていたのか、思い切りバットを振る。
「ファースト!」
引っ張った速いゴロが一塁線上を転がる。腹這いになって跳びつく栄輝のグラブの下を通り、外野へ抜けていく。
打った長谷川は一塁を蹴る。打球には紗愛蘭が追い付き、二塁に送球する。
「セーフ」
送球が京子へと渡る前に、スライディングした長谷川の足がベースに触れる。楽師館にノーアウトランナー二塁のチャンスが訪れた。
続く七番の東は送りバント。楽師館は手堅くランナーを進める。これでスクイズや犠牲フライでも得点できる状況を作る。
亀ヶ崎としては前の回で詰めた点差を元に戻されるわけにはいかない。当然の如く内野陣は定位置よりも前に守り、バックホーム態勢を敷く。
《八番、曽我部さんに代わりまして、バッター、林さん》
打席に入るのは代打の林。曽我部と同じ右打者ではあるが、彼女の方が長打力を備えている。楽師館の思惑としては何とか外野まで打球を運びたいのだろう。追加点を上げて勝利を手繰り寄せるべく、勝負を掛けてきた。
「春歌ちゃん踏ん張れ! 私のところに打たせればホームで刺すよ!」
依然としてレフトを守っている真裕が、ここでも声を上げて春歌を盛り立てる。ただ彼女の元に打球が飛べば失点の危険性は非常に高まる。春歌はフライよりもゴロを打たせたいところだ。
一球目。春歌は低めのチェンジアップから入る。初球から打ちに出るべきとする代打の鉄則を逆手に取り、空振りを狙う。
「ボール」
ところが林のバットは動かず。ボールが一つ先行する。二球目、春歌は外角のカットボールを投じる。今日はカウントを稼ぐ珠として有効に機能しており、ここでもストライクを取れた。
(ここで失点したら、それまで抑えてきた価値が一気に落ちる。そうはさせない)
真裕の後を受けた投手が好投し、その間に逆転して勝利を収める。そうした展開が亀ヶ崎には練習試合を含めてもほとんど無かった。もしも今日の春歌がその立役者となれば、彼女の評価は大きく上がる。己を高みへと導くためにも、このピンチは切り抜けなければならない。
三球目、春歌はまたもや外のカットボールを投げる。今度は林が手を出してきたものの、当たり損ないのゴロが一塁側のファールゾーンを転がる。
この場面で同じ球を続けることは相当な勇気が必要だが、結果的に春歌はツーストライク目を取った。林はストレートで来るのではないかと思ってスイングしており、その裏を掻いた形となる。
追い込むところまでは順調のバッテリー。あとはどう決着を付けるかだが、前述の通り外野に飛ばされたくはない。菜々花は複数のパターンから最適解を探す。
(空振りを取るにはチェンジアップが有効だし、見逃し三振を狙うなら膝元の真っ直ぐだな。ツーシームでゴロを打たせるのもありだけど、春歌は何が投げたいだろうか)
菜々花は一度春歌と目を合わせる。すると春歌は鋭い眼差しを一層尖らせた。まるで何かを念じるかのように……。
(春歌、もしかして……)
春歌から送られたメッセージの内容を、菜々花が察する。彼女は一拍間を空けて戸惑うも、春歌を信じて覚悟を決める。
(……春歌が言うならそれに応えよう。しっかり投げられれば、打ち取れる可能性が一番
高いのは間違いない)
菜々花が恐る恐るサインを出す。春歌はほんの僅かに口角を持ち上げて頷く。
(真裕先輩なら絶対にこの球を選ぶ。そして投げ切る。私も同じことができないようなら、超えることなんてできない)
炎天下に吹く微弱な風が、春歌の襟足を細やかに揺らす。彼女はそれを煩わしくも心地好く感じつつ、セットポジションに就く。
(見てろ真裕先輩。貴方の本当のライバルは、この私だ!)
春歌が投球モーションに入る。指の先の先まで神経を研ぎ澄ませて右腕を振り抜き、林への四球目を投じる。
投球は真ん中やや内寄りの高めを真っ直ぐ進む。東條の時はここから大きくシュートが掛かり、死球となった。しかし今回はそれほど曲がらずにベースの手前まで達する。
打席の林が応戦するべくスイングを開始。刹那、投球は加速したのではないかと錯覚させるほど急激に伸びてきた。林は普段のミートポイントよりもかなり後ろの位置で打たされる。
「セカン!」
バットの根元から響いたような鈍く重たい音と共に、マウンドの右に小フライが上がる。これを昴が二、三歩前に出て危なげなくノーバウンドで捕球する。
「アウト」
セカンドフライで三塁ランナーは釘付け。ツーアウトとなる。
「ナイスボール春歌! 完璧だった!」
菜々花がミットを叩いて春歌に拍手を送る。昨冬から磨いてきた新球の理想的な一投がここで出た。先ほど一度失敗しているにも関わらず、春歌はこの伸るか反るかの場面で投げる選択をしたのだから、大した度胸である。
「ごめんなさい……。多分万里香さんの言ってた変化球だったんですけど、全然対応できませんでした」
打ち取られた側の林は項垂れた様子で引き揚げていく。ベンチに戻った彼女は、仲間たちに謝ることしかできない。
「林、顔を上げて。あれは投げたピッチャーを褒めるべきだよ。それよりも私たちが点を取れるよう応援してて」
万里香が林の肩を叩いて励ます。彼女は自分の胸が仄かに高鳴るのを感じつつ、ネクストバッターズサークルに向かう。
(この大ピンチで未完成の決め球を投げ切るなんてね。そういう勝負強さは真裕にそっくりじゃん。だからこそ倒し甲斐があるってもんよ)
打順は九番の石川に回るが、楽師館はそのまま打席に立たせる。彼女の続投が最も勝率を見込めると考えたようだ。
(ひとまず変な小細工は気にしなくても良くなった。でもまだだ。ここで打たれたら全てが水の泡になる)
春歌は一欠片の喜びも見せず、石川と対峙する。もう一踏ん張りすることはできるのか。
See you next base……




