79th BASE
五回裏、ツーアウトランナー二塁のチャンスを作った亀ヶ崎だったが、真裕の放ったライナーは万里香にキャッチされてしまう。
「ナイスショート! 助かった」
「どもども。これでさっき打てなかった分は少し取り返せたかな?」
万里香は嬉しさよりも安堵感を滲ませながら石川と言葉を交わし、ベンチに戻っていく。その様子を見た真裕は物悲しく吐息を漏らして引き揚げると、マウンドに向かおうとしていた春歌に一声掛ける。
「ごめん春歌ちゃん。せめて一点でも取ってあげたかったんだけど……」
「別に。そんなことで謝らなくて良いですよ。打てなかったことを気にして守備に影響が出ることだけは止めてください」
「う、うん。分かった」
春歌は何の感情も抱いていないかのように振る舞う。今は味方の得点に関してはあまり意識せず、とにかく自分が失点しないことだけを考える。
(真裕さんは私に謝る暇があるなら、ちょっとは自分の心配をしたらどうなの? ライバルが好投したら居場所が無くなるかもしれないのに。それとも私なんかライバルとすら思ってないってことなのかも。……まあ良いや。私だって他人のことを考えている余裕は無いんだし、ピッチングに集中する)
六回表、春歌は前のイニングでピンチを脱した流れのままに、楽師館の上位打線をテンポ良く封じていく。二番の中本をセカンドゴロ、三番の西本をサードゴロに打ち取った。
《四番ファースト、東條さん》
ツーアウトとなって打席に入るのは四番の東條。振り返れば彼女のヒットを皮切りに、楽師館は真裕から三点を奪った。ここは長打を狙ってくるだろう場面なので、春歌としても慎重な投球を心掛けたい。
初球は外角低めのカーブ。ストライクからボールになるような曲がり方をするも、東條は釣られない。
二球目。春歌は外のカットボールでストライクを取ってカウントを整える。アウトコースが続いたため次はインコースを突きたくなるが、状況を考慮しなければならない。彼女は三球目として低めのツーシームを投じる。
「ボールスリー」
バットの下に引っ掛けさせたかったが、春歌は狙った以上に低く投げてしまい、ワンバウンドの投球となる。これでは東條も見向きもしない。
「良いよ良いよ春歌。低めには投げられてるし、その感じを続けよう」
そう菜々花が声を掛けながら返球する。自分たちの攻撃のリズムを作るために三者凡退でチェンジにしたいが、東條相手に無茶をして痛い目に遭うことは絶対に許されない。彼女としては四球を与えても止む無しと思っている。
春歌も概ね同意見ではあるが、カウントが悪くなったからと言って簡単に東條を歩かせるつもりは無い。彼女も制球力でコーナーにきっちり投げ分けられれば、きっと抑えられるはずだ。
五球目、春歌は外角一杯を目掛けてカーブを投じる。投球は彼女の思い通りに弧を描き、菜々花のミットを少しも動かさない。
「ストライクツー」
「ほお……」
これには東條も思わず感心する。フルカウントとなり、アウトを取れる可能性も大幅に上がった。バッテリーはどう出るのか。
(ここまで全て変化球だし、東條はどこかで真っ直ぐが来ると思ってるはず。その裏を掻いてカーブで仕留めよう)
菜々花はカーブを選択する。ところが春歌は首を横に振った。
(え? ならセオリー通り真っ直ぐ?)
要求を変えてみる菜々花。しかしまたもや春歌は首を横へと動かす。
(これでもないとなると……、あ、もしかして!)
菜々花は閃いたように改めてサインを出す。すると春歌がようやく頷いた。
(これをどこかで使わなくちゃならない場面が来る。その時のためにも、一回投げておきたい)
春歌がセットポジションに入る。彼女は東條の胸の位置に構えられた菜々花のミット一点を見つめ、六球目を投じる。
投球はインハイを直進。東條も力負けしないよう強いスイングで応戦しようとする。
ところが投球は東條の体に向けて変化してきた。加えて普通のストレートと比べてとてつもなく伸びており、東條は回避できない。
「ヒットバイピッチ」
東條の左肩に投球が当たり、球審は死球を宣告する東條は顔を顰めて右手で患部を抑えながらも、痛みを堪えて一塁に走っていく。
「すみません」
春歌は帽子を取って謝る。手元が狂ったわけではなく、投げたコース自体は間違っていなかった。それよりも変化の大きさに制御を掛けられなかったのだ。
(くそ、やっぱりまだ暴れるな……)
これでツーアウトランナー一塁。レフトの真裕からは春歌を励ます声が飛ぶ。
「春歌ちゃんどんまいだよ! 次を抑えれば大丈夫だから」
真裕の言う通り、春歌は気を取り直して五番の大下の投球に臨む。前の打席でタイムリーツーベースを放っている彼女は、その再現をするべく果敢にフルスイングしてくる。
「ライト!」
「オーライ」
だが春歌は動じない。制球を乱さず、四球目のツーシームを打たせてライトフライに退けた。
六回裏の楽師館はランナーが一人出塁したものの、得点には繋がらず。残塁してベンチへと帰ってきた東條に、万里香が死球となった一球について尋ねる。
「ねえ、あの球って……」
「おそらく。以前に万里香が見たって言ってる変化球だと思うよ」
「そうか。まだ完全に操れてはいないみたいだけど、ここで使ってきたってことは勝負所でも使ってくるかもしれないね。次の円陣で皆にも伝えておこう」
春歌の未知なる変化球に、万里香たちは警戒を強める。今現在は自分たちが優位に立っているが、亀ヶ崎が相手となれば先の試合展開がどうなるかは分からない。攻撃面でも入念に手を打っておく。
一方の亀ヶ崎に残された攻撃は二イニング。この間に少なくとも三点を取らなければ、彼らの夏は終わってしまう。
《六回裏、亀ヶ崎高校の攻撃は、一番ショート、陽田さん》
六回裏は一番の京子から始まるため、得点への期待も高まる。二巡目を終えて石川には僅か二安打に抑えられている。三巡目で突破口を開かねばならない。
(打つべき球ははっきりしてるんだ。考えることは何も無い。とにかく塁に出る)
息巻く京子の初球、インコースのストレートが来る。彼女は積極的に打って出るも、バットからは鈍い音が鳴る。
「くっ……」
手応えの無いバッティングに、京子は下を向いて走り出す。石川の正面に詰まったゴロが飛ぶ。
ところが打球はワンバウンド目が異様に大きくなる。石川がジャンプしても届かないほどに弾み、その背後に回っていた万里香が処理する。彼女は走りながらショートバウンドで捕球をすると、軽やかな身のこなしでスローイングへと移る。
「セーフ、セーフ」
一塁はアウトかと思われたものの、若干ながら万里香の送球が高くなってしまった。ファーストの東條の足が浮いてしまい、その間に京子がベースを踏む。
「おお、ラッキー」
記録は内野安打。京子は小さく左拳を握る。亀ヶ崎にノーアウトのランナーが出た。
See you next base……




