75th BASE
楽師館打線が遂に動き出した。五回表、先頭の東條がヒットで出塁し、すかさず盗塁を成功させる。
(何か気付いたらピンチになっちゃった。でもこうでなきゃ面白くないよ)
真裕の心が昂る。彼女はここからが本番と言わんばかりに、意気高く大下への二球目を投じる。
菜々花から要求されたのは外角へのストレート。ところが実際の投球は真ん中高めに行く。真裕は上手くボールに力を伝えられなかったのだ。
前の打席と違って自由なバッティングを許されていた大下は、持ち味のフルスイングで打ち返す。高々と上がった打球が放物線を描いて左中間に飛ぶ。
レフトの栄輝が懸命に後退するも及ばず。打球はフェンス手前に弾む長打となり、二塁ランナーの東條は悠々とホームを駆け抜ける。
打った大下も二塁を陥れた。ベース上に立った彼女は、一塁側ベンチに向かって両拳を突き上げる。
「よっしゃあ!」
「ナイバッチ! やったね大下!」
楽師館の選手たちは大下と一緒になって喜ぶ。万里香も頭の上で何度も手を叩き、大下を称える。
(まさかこんなにあっさり点が入るとは。真裕の投げ球も甘かったんだろうけど、大下がよく打ってくれたよ)
折り返しを迎えたところで試合が動き、楽師館が先制する。この回が始まって僅か五球での出来事。それまでのじっくりとした攻め方からは想像できない早業だ。
(この大事な一球で手元が狂うなんて。私としたことが……)
対して真裕はカバーに回っていた三塁ベースの後ろで天を仰ぐ。気合を入れた最初の一球でコントロールミスを犯し、痛打を食らってしまった。
「真裕、切り替えていこう。まだ一点しか入ってないから」
栄輝からの返球を受けた京子が、真裕にボールを渡す際に声を掛ける。その言葉に真裕は小さく頷く。
(京子ちゃんの言う通りだ。一点ならきっとすぐに取り返せる。次の一点を防ぐぞ)
マウンドに戻った真裕はロジンバッグを触って自分を落ち着かせる。取られた点をどれだけ悔やんでも取り返せない。今すべきことはこれ以上に傷口を広げないよう踏ん張ることだ。
《六番サード、長谷川さん》
打順は六番の長谷川に回る。右打席に入った彼女は予めバントの構えを作る。
(追加点を狙える状況で真裕を揺さぶっても意味が無いだろうし、送りバントの可能性が高そうだな。下位に向かっていくとはいえ、ワンナウトでランナーを三塁に進めておけばスクイズやゴロゴーで点を取りにいける。こっちとしては決めさせたくないぞ)
菜々花はファーストの嵐を手招きして前に寄せる。バントをさせない配球を組み立てつつ、もしも転がされた場合は三塁で刺殺できるように体勢を整える。
初球はインコース高めのストレート。バッテリーは力で押してフライを上げさせようと目論んだが、真裕の投球は菜々花の構えたミットよりも更に内角へと行ってしまう。
「わっ⁉」
バントしようと立ち位置を前に出した長谷川が咄嗟に体を回転させる。避けなければ死球になっていただろう。
二球目、真裕はストレートを続け、外角の際どいコースに投げ込む。長谷川はバットを引いて見送った。
「ボールツー」
「セカン!」
捕球した菜々花はランナーの大下が大きめの二次リードを取っていたのを見て、二塁へと送球する。大下は慌てて帰塁し、ベースに向けて頭から滑り込む。彼女の伸ばした右腕に京子がタッチしたものの、塁審は手を横に広げる。
「ちっ、セーフか」
マスクを脱いで判定を聞いた菜々花は、口をへの字に曲げて悔しがる。東條の隙を見逃さなかったが、アウトにはできなかった。
一方でカウントはボールが二つ先行。真裕は大下の時から思うような投球ができていない。今の一球も惜しくコースを突いていたが、狙いから微妙に外れている。
(最悪フォアボールでも塁が埋まるだけだし、真裕ならそこまで苦にならないはず。ここはバントさせないことを優先しよう)
(……分かった。感覚は悪くないんだ。焦らずしっかり腕を振ろう)
三球目も真裕はアウトコースを目掛けてストレートを投じる。二球目よりも中には入ったが、今度は低めに外れてしまう。
長谷川は無理にバントしようとはしない。東條も反省を活かして即座に二塁へ戻る。
「うーん……」
真裕の表情が険しくなる。ここからバントさせないようにしつつ持ち直すのは、如何に彼女といえども厳しいか。
「ボールフォア」
四球目も外れ、結果的に長谷川は四球となる。局面がノーアウト一、二塁に変わったところで亀ヶ崎の内野陣がマウンドに集まる。
「ごめん。舐めてたつもりはないんだけど、楽師館の良いように攻められちゃってる」
真裕は開口一番に謝罪の弁を述べる。東條にヒットを打たれた後は気を引き締め直して投げているが、それに体が付いていけない。
「まああの怠い攻撃から唐突に変わったわけだし、対応が難しいよね。それより楽師館がバットを振り抜いて、きちんと甘い球を捉えてることが凄いよ。だけど真裕なら立て直せるさ」
すかさず嵐がフォローを入れ、真裕に奮起を促す。続いて菜々花がこの後の守備隊形を確認する。
「楽師館は一点で終わりたくないだろうから、確実にランナーを進めてくると思う。極端なシフトは敷けないけど、第一にバントを警戒して守ろう」
「了解」
マウンドの輪が解け、右打席に七番の東が入る。二点差になるか一点差で留まるかでは、亀ヶ崎も楽師館も各選手の心持ちは大きく変わってくる。重要な二点目を巡り、どんな攻防が行われるのか。
See you next base……




