74th BASE
前に飛ばす気を一切見せず、バントやファールで揺さぶってくる楽師館打線。その姿勢に真裕は憤りを感じながらも、四回までは全打者を打ち取った。
「ナイピッチです!」
ベンチでは結たちが真裕を出迎える。真裕は彼らとハイタッチを交わしながら、楽師館への不満を吐露する。
「ナイピッチって言われてもねえ……。バッターが全然打つ気無いし、投げてても楽しくないよ」
「確かにあれは酷いですね。でもアウトをくれるようなものだから楽じゃないですか」
「それはそうなんだけどね。ただ万里香ちゃんとは思いっ切りぶつかり合えると思ってたから……」
真裕は寂しそうに目元を弛ませる。それを見た結が羨ましそうに問う。
「ライバルってやつですか? 良いですね」
「そうなるのかな。万里香ちゃんと対戦できるのもこれが最後かもしれないし、余計に悲しいよ」
この大会が終われば、真裕も万里香も事実上は引退を迎え、部から離れる。そのため今日は互いの持てる力を出し切って戦いたかったが、今のところそうはなっていない。この後の打席でも実現するかが怪しく、一層もどかしくなる。
《四回裏、亀ヶ崎の攻撃は、二番ファースト、山科さん》
真裕は自軍の攻撃を見ながらベンチの奥に腰掛ける。首筋を含め顔全体をタオルで拭う彼女の前を、グラブを持った春歌が通り過ぎようとする。
「春歌ちゃん、ブルペン入るの?」
「はい。監督から一応肩を作っておけって言われたので。何だかんだ真裕先輩の球数も嵩んでますし」
「なるほどね。だけど私はまだまだ元気一杯だよ!」
両腕を上げてポーズを作り、にっこりと笑ってみせる真裕。春歌は特に反応することなく、淡々と会話を続ける。
「真裕先輩がそう言っても、何が起こるか分かりませんから。いつでも投げられるように準備してきます」
「そっか。もしもの時は頼んだよ」
真裕の言葉に頷くことなく春歌はレフトのファールゾーンにあるブルペンへと走っていく。その後ろ姿に、真裕はとても穏やかな眼差しを送っていた。
「ストライク、バッターアウト」
楽師館打線が静かな間に先制点を奪いたい亀ヶ崎だが、石川を中々打ち崩せない。四回裏の先頭打者である嵐は見逃し三振に倒れ、三番の紗愛蘭も凡退。四番のオレスがチーム初ヒットを放ったものの、後続が続けず。試合はスコアレスのまま、グラウンド整備のインターバルを挟む。
「……さてと、そろそろ頃合いかな」
楽師館はこの間に円陣を組んだ。中心に立った万里香の一言に、ナインの顔付きが一変する。
「と言っても気負っちゃ駄目だよ。私たちはあくまでも、普段通りプレーするだけ。そうすれば相手の方から崩れてくれる。その点だけは頭に入れておいて」
「はい」
試合展開は風雲急を告げるか。五回表は四番の東條から始まる。菜々花は打ってくるのではないかと警戒し、初球にボール球のストレートを要求する。
(もう五回だし、この辺で作戦を切り替えてくると思うけどな。まずは様子を見よう)
(そんな必要無い気がするけど……。まあ念の為に一球ぐらいなら良いか)
真裕はサインに渋々頷き、東條への一球目を投じる。東條はバントの構えからバットを引いて見送った。
「ボール」
「ええ……」
捕球した菜々花は絶句する。楽師館は一体いつまでこの作戦を続けるのか。ここまで来ると理解に苦しむ。
二球目もストレート。今度はストライクゾーンに入っており、東條はバントを行う。
「ファール」
このバントが出塁目的でないことは言うまでもない。真裕はあまり追い掛けずにファールとなるのを見届ける。
(もうその光景は見飽きたよ。そんなことばっかして、四番として恥ずかしくないの?)
真裕の怒りが再燃する。その感情は態度からも垣間見え、彼女は球審の投げた新しいボールを乱雑なグラブ捌きで捕る。
(とりあえずこの回もさっさと終わらせて、自分たちの攻撃に繋げよう。向きになっても仕方が無い)
三球目、真裕は六割程度の力でストレートを投じる。学生野球では如何なる時も全力プレーが謳われるが、現実的には全ての動作でそうしていては体力が持たない。特に投手は長いイニングと連戦を投げ抜くため、局面や相手の出方に応じて力配分を求められる。なので真裕の投球も一概に怠慢とは言えず、寧ろ体力を温存する意味では理に適っている。
だが東條はその一球を待っていた。これまで全く見せなかった鋭いスイングを繰り出し、快音を響かせる。
打球は瞬く間に三遊間を破っていく。あまりの速度に京子とオレスは一歩も動けない。
ようやく楽師館はまともなバッティングをしてきた。東條が甘い球を逃さず捉え、いきなりヒットを放つ。亀ヶ崎バッテリーは一旦タイムを取り、菜々花がマウンドに向かう。
「菜々花ちゃん、今のって普通に打ってきたと考えて良いんだよね?」
「うん。明らかにスイングが違ったからね。やられたよ。完全に騙された」
確認するように尋ねた真裕に、菜々花は深く頷いて答える。二球目までのバントの素振りは、東條が二人を欺くためのブラフだったのだ。
「これで楽師館は普通に攻撃してくるはず。私たちも通常通り抑えにいこう」
「分かった。やっとこの退屈さから解放されるよ」
真裕は背筋を伸ばす仕草を見せる。この試合初めてランナーを背負うこととなるが、楽師館の煩わしい戦術が終わったと思えば何ともない。
《五番キャッチャー、大下さん》
試合が再開し、右打席に豪快なスイングが売りの大下が入る。長打を許したくないバッテリーは、初球に低めのカーブを選択する。
「走った!」
真裕が投球モーションを起こした瞬間、ファーストの嵐から声が上がる。ランナーの東條がスタートを切ったのだ。
(え? エンドラン?)
戸惑いながら真裕は右腕を振り抜く。東條の走力が並以下であるため、守備陣は誰もがヒットエンドランかと思った。
ところが大下はバットを振らず、あっさりと見逃す。投球はワンバウンドとなり、菜々花が体に当てて前へと弾く。すぐさま拾うも二塁には送球できない。
「くそっ……」
バッテリーは配球を読まれ、東條にまさかの盗塁を許す。これでノーアウトランナー二塁。先に得点のチャンスを作ったのは楽師館だった。
See you next base……




