69th BASE
亀ヶ崎との和久学園の試合は五回表までで七点差が付き、コールドゲームが成立する。
「おし! ナイス昴ちゃん!」
真裕が笑顔を弾けさせ、仲間と共に駆け足で整列へと向かう。対する和久学園ナインは何人かが帽子の鍔を下げ、顔を隠すようにしてベンチを出る。
「七対○で亀ヶ崎高校の勝利。礼!」
「ありがとうございました!」
亀ヶ崎が前回準優勝の実力を発揮し、コールドで勝利を飾る。和久学園は二年前よりも力を付けてきた姿が見られ、序盤こそ善戦したものの、中盤に崩れてしまった。亀ヶ崎が彼らを上回る成長を遂げていたということだろう。
挨拶を済ませて引き揚げてきた和久学園の選手たちは、そのほとんどが涙を流している。中には膝を付いて動けない者もいた。だが那奈佳だけは凛とした顔付きを崩さず、主将の役割を全うする。
「皆、まだ終わりじゃないよ! ちゃんとスタンドの人たちに挨拶して、やることをやり切ろう!」
「は、はい!」
那奈佳の呼び掛けに反応し、泣き崩れていた者も立ち上がる。選手たちは一塁側スタンドの前に並ぶと、観客に深々とお辞儀をする。
「応援、ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
スタンドからは盛大な拍手が送られる。どんな点差で負けようとも、ベストを尽くした選手たちを誰もが讃えずにはいられない。
「皆、よく頑張ったよ! こちらこそありがとう!」
愛里も労りと感謝の言葉を叫ぶ。その目には光るものが浮かんでいる。
「じゃあ半分はグラウンド整備に回って、残りの人はベンチを片付けるよ。てきぱき行動しよう!」
那奈佳が次の指示を出し、他の選手たちはそれに従って動き出す。ところが一人だけ、頭を下げたまま止まっていた。小熊である。
「おぐちゃん、具合悪い?」
「……ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」
心配そうに尋ねる那奈佳に、小熊は謝罪の一言を繰り返す。先にも述べたが、この敗戦は誰の責任でもない。それでも投手としては自分に非があると感じてしまうのだ。那奈佳は彼女の頭を撫でて言う。
「謝る必要なんて無いよ。おぐちゃんがピッチャーをやってくれたおかげで、私たちは夏大に出られたんだから」
「……で、でも!」
頭を上げた小熊は顔を真っ赤に腫らしていた。刹那、那奈佳は彼女を強く抱き締める。「辛い役回りをさせてごめんね。本当にありがとう」
「那奈佳さん……。うう……、うわーん!」
小熊は人目を憚らず、那奈佳の腕に抱かれるまま号泣してしまう。彼女の声はオレンジ色が透き通り始めた空へと溶けていった。
やがて小熊が落ち着き、那奈佳と共に荷物を纏めてベンチを去る。グラウンドの外へと繋がる通路を歩く途中、彼女は掠れ気味の声で一つの誓いを立てる。
「那奈佳さん、私たちは来年も和久学園として、この場所に戻ってきます。三年生がいなくなって八人になっちゃうけど、必ず人数を揃えます。それでまずは一回戦を突破してみせます」
「そう? じゃあ応援に行かないとね」
「ぜひ来てください! 待ってますから」
「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるじゃん。楽しみにしてるよ」
那奈佳は目を細め、静かに喜ぶ。自分たちがいなくなってもチームは大丈夫そうだと安心する。
「那奈佳、お疲れ様」
通路を通り抜けると愛里たちが待っていた。那奈佳は少しだけ時間を作り、会話を交わす。
「愛里さん、皆さん、今日はありがとうございました」
「いやいや、礼を言うのはこっちの方だよ。約束を果たしてくれてありがとう」
二年前、愛里は自分たちが引退することで部員が三人に減り、野球部は無くなるのではないかと覚悟していた。ところが那奈佳たちは予想に反して部の継続を宣言。そして今回、和久学園として二回目の夏大出場を果たした。
「愛里さんが創った野球部を失くすわけにはいきませんからね。あゆや優芽、後輩たちのおかげですよ」
「それもあるだろうけど、やっぱり那奈佳が一番頑張ったんだよ」
「そうですかね……。だけど愛里さんたちは一からですし、それを思うと大したことないです」
そう謙遜する那奈佳。すると愛里は、彼女のことを両手で柔らかに包み込む。
「もうそんなに気を張らなくても良いんだよ。那奈佳は本当に頑張った。私たちの誇りだ」
「愛里さん……。ありがとうございます。ぐすっ……」
昴の瞳から涙が零れ落ちる。その流れはどんどん速まり、止めようと思って止められない。おそらく張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。彼女は咄嗟に愛里の肩に顔を伏せる。愛里は何も言わず、優しく背中を摩っていた。
愛里が創設した和久学園野球部は那奈佳たちに受け継がれ、今度は小熊たちに受け継がれようとしている。おそらくその後の世代にも、ずっと受け継がれていくことだろう。
始まったばかりの和久学園の歴史だが、礎は確かに築かれた。これからの更なる発展に期待したい。
他方、亀ヶ崎の選手たちもグラウンドから引き揚げていく。その光景をスタンドから眺めていた一人の少女が、誰にも聞こえない声で呟く。
「……ちょっと危なかったけど、ひとまず初戦は突破できたみたいだね。でも初回の調子があんなんじゃ、他の高校が相手だったら通用しないよ」
少女は小さく口角を持ち上げ、仄かな笑みを浮かべる。スタンドの出口からは、彼女を呼ぶチームメイトの声が聞こえてくる。
「舞泉、帰るよ」
「はーい」
小山舞泉。“怪物”と評される真裕の最大のライバルである。彼女は亀ヶ崎の試合の視察に来ていたのだ。
「結局亀ヶ崎の圧勝だったね。舞泉から見てどうだった? 柳瀬の調子は」
「相手のレベルの低さに助けられた感じはあるかな。あのままじゃ困るよ」
「困る、ねえ……。私としては柳瀬の調子が悪い方が倒しやすくてありがたいのに」
これに対して舞泉は言葉を返さない。チームが優勝するためには、その考え方は至極真っ当である。しかし彼女はどうしても昨年の借りを返したかった。
(私は打つ方も投げる方もレベルアップしてきたんだ。真裕ちゃんもお願いだから、この程度で終わらないでよ。くれぐれも私たちと当たるまでは負けないでね)
舞泉は前回大会では実力不足で投手として起用されず、打者のみの出場に留まった。その屈辱を晴らすべく努力を重ね、今回は見事にエースの座を奪取。投打共にチームの核となる地位を確立している。
舞泉の所属する奥州大学付属は、トーナメント表の関係で二回戦からの登場となる。明後日の大会四日目に初戦が控えており、彼女の先発が予定されている。
真裕と舞泉。両雄の対決は今年もあるのか。あるとすれば、どのタイミングになるのだろうか。
See you next base……




