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ベース⚾ガール!!! ~Ultimatum~  作者: ドラらん
第一章 野球女子!
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6th BASE

「ただいまー」


 部活を終えて制服姿で帰宅した私は、荷物を抱えたまま洗面所に直行する。ボストンバッグから無造作に入れられていた練習着を取り出し、洗濯機に突っ込む。そのついでに制服を脱いでいると、台所から馴染みのある刺激的な香りが漂ってきた。カレーの匂いだ。


 私は思わず洗面所から飛び出し、お母さんが煮込んでいた鍋を覗き込む。中には予想通り美味しそうなカレーが入っていた。


「お母さん、これ今日の夕飯?」

「そうだよ。だからそんな格好してないで、さっさとお風呂入ってきなさい」

「はーい」


 今の私は藤色の下着の上にキャミソールしか着ていない。家族に見られるくらいならほとんど気にならないが、最近はお父さんやお兄ちゃんからちゃんと服を着るよう口酸っぱく注意されるようになった。二人が帰ってくるとまた五月蝿く言われるので、その前に入浴を済ませることにする。


「ふう……、気持ち良かった」


 グレンチェックのパジャマに身を包んで居間へと戻ると、食卓には丸皿に高く盛られたカレーが用意されていた。私は心を躍らせながら席に着き、間髪入れずに食べ始める。


「いただきます!」


 まずはスプーンにご飯とルーだけをよそい、一口目を頬張る。口の中に広がる辛さは必要以上には舌を刺激せず、仄かな優しさと温もりを帯びている。私はどこか安心感を覚えながら、二口目、三口目とどんどん食べ進める。


 柳瀬家のカレーは定番から変わり種まで様々なバリエーションがあるが、今日はオーソドックスなポークカレー。しんなりと溶け込んだ玉ねぎと豚肉の脂が組み合わさって醸し出されるジャンキーな味わいは、腹を空かせた食べ盛りの女子高生には堪らない。


 私はものの数分で一杯目を平らげた。おかわりをしようと席を立ったタイミングで、玄関のドアが開く音がする。お兄ちゃんが帰宅したのだ。


「ただいま。……はあ、疲れた疲れた」


 そう言いながら居間へと入ってきたお兄ちゃんは、すぐ風呂に入る癖にとりあえずテレビを付ける。スーツ姿で帰ってきたので、おそらく就職活動をしていたのだろう。


「おかえりお兄ちゃん。今日は就活?」

「まあそんなとこ。企業の説明会を受けてたんだよ」


 お兄ちゃんがスカイブルーのネクタイを外す。この色は企業側に爽やかな印象を与えたい就活生には最適らしい。続けてズボンを脱ごうとしたところで急に手を止め、何を思ったのか洗面所へと姿を消した。


 柳瀬飛翔。私の四つ歳上のお兄ちゃんで、結ちゃん曰く彼女の師匠である。かつては甲子園を目指して野球に打ち込んでいた高校球児だったが、残念ながら夢の舞台には僅かに手が届かなかった。しかし投手としての実力は私では足元にも及ばないくらいに高く、当時はプロ野球のスカウトも目を付けていたほどだ。


 私が二杯目のカレーを食べ終えたところで、お兄ちゃんが風呂から上がってくる。数種類の動物が所狭しに描かれた奇抜なパジャマの胸元からは、鍛え上げられた筋肉が見え隠れしている。因みにお兄ちゃんの名誉のために言っておくと、パジャマの柄は自分で選んだわけではなく、お母さんが可愛いと言って買い与えられたものである。


 お兄ちゃんは私の隣に座り、用意されていたカレーを食べようとする。同時に私は三杯目に突入しようとしていた。


「いただきます。……あれ? 真裕、お前それ何杯目?」

「三杯目だよ」

「まじか。めっちゃ食うじゃん」


 やや呆れた様子でお兄ちゃんが鼻息を漏らす。お兄ちゃんだって高校時代はこれくらい食べていたはずだが、大学に入ってから急激に減った。今日も多分一杯で終わりだろう。


「そういえばお兄ちゃん、春木結ちゃんって知ってる?」

「春木? 誰だっけ……?」


 お兄ちゃんはカレーを掬ったスプーンを一旦置き、眉間に皺を寄せて思い出そうとする。人を覚えるのは苦手ではないはずなので、きっと記憶には残っていると思う。


「お兄ちゃんが大学一年生の時、コーチをした中学の野球部にいた女の子だよ。左投げで、ピッチャーやってたらしいんだけど……」

「あ……、あいつか! あのお調子者の!」

「お調子者なんだ……」


 私は苦笑いを浮かべる。今日接した際の雰囲気から薄々そんな気はしていた。


「その子がどうかしたのか?」

「うん。亀ヶ崎の新入生でね、今日体験入部に来て挨拶してくれたんだ。お兄ちゃんによろしく伝えてくださいって。あとお兄ちゃんのことを師匠って呼んでたよ」

「師匠……? 別に弟子にしたつもりは無いけどな」


 お兄ちゃんは首を傾げる。やっぱりか。予想通りではあるが、結ちゃんには黙ってておこう。


「体験入部ってことは、そのまま野球部に入るんだよな?」

「その予定とは言ってた」

「そうか。性格はあんなだけど、力はそれなりあると思うよ。話してて賢い感じがしたし、実際に物覚えも良かったからな」

「ほんと⁉ それは良かった」


 これは結ちゃんに伝えてあげよう。お兄ちゃんが褒めるのだから、実力は間違いない。


「話は変わるけど、お兄ちゃん、今日は企業の説明会に行ってきたんだよね。野球はやらずに就職するつもりなの?」

「うーん……、ちょっと迷ってるかな。社会人チームからいくつか誘われてるけど、野球の道でずっと食べていけるわけじゃないからな。こうやって一般の採用試験も受けて、最終的にどうしようか決めるよ」

「そうなんだ。……プロは考えてないの?」

「プロ? プロねえ……」


 部屋の空気が少しだけ張り詰める。唐突にテレビから大勢の笑い声が聞こえ、私たちはそちらに目をやった。流れていた番組を二人でぼんやりと眺める中、お兄ちゃんが会話を続ける。


「そりゃ行けるなら行きたいよ。夢だったしな。でも故障を抱えてる身だし、そもそも高の時より実力は相当落ちてる。そんな奴をドラフトで指名するほど、プロは甘い世界じゃないよ」


 お兄ちゃんは柔和に目を細めながらも、その表情は微かな憂いを帯びている。諦めなければ希望はある。そんな段階は()うに過ぎてしまったのだろう。一度野球から離れたことを含め、これまで過程を省みればプロ入りが現実的でないことは私にも分かる。


「真裕はどうなんだよ。ちゃんと卒業後のこと考えてるか?」

「え……? な、何となくはね」


 私の心臓が少し痛む。正直、進路についてはあまり考えられていない。今は夏大に集中するためそれどころではないのだ。……なんて言い訳は、本当は通じない。


「そうか。真裕は世界一になりたいんだろ? だったらそのことをきちんと考えて野球を続けろよ。プロになるのか、大学に行くのか、社会人チームに入るのか。お前にはどこでも可能性はあるんだからな」

「うん……。分かったよ」


 卒業しても野球は続けるつもりだ。問題はどこでやるか。全国制覇という目標のその先、私の“夢”を叶えるためにも、どうするべきか真剣に向き合い、自分自身で答えを出さなければならない。私はこの一年を通して、重大な課題を課せられているのだ。



See you next base……


PLAYERFILE.3:柳瀬飛翔(やなせ・かける)

学年:大学四年生

誕生日:11/9

投/打:左/左

守備位置:投手

身長/体重:181/84

好きな食べ物:柳瀬家のカレー、柳瀬家の唐揚げ

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