61st BASE
夏大一回戦の初回、いきなり真裕はランナー一、二塁のピンチを招く。
《三番ショート、厚木さん》
右打席に和久学園の主将、厚木那奈佳を迎える。彼女はバントせず、打って得点を狙いにいく。
(初回からこんなチャンスで打席が回ってくるとは思わなかった。ここで点が入れば、いくら亀ヶ崎でも慌てる。そしたらこっちに流れを持ってこられるぞ)
一球目。内角低めのストレートを那奈佳が見送り、ボールとなる。真裕は未だ制球に苦しんでいるみたいだ。
二年前には両者の対戦は無し。那奈佳としては現役女子高生の中でトップクラスの投手を相手にするのは身構える部分もあったが、現在の様子を見ると少し余裕が出てくる。
(あの柳瀬でもこんなことがあるんだな。ボールばかりは続かないだろうし、打てると思った球は迷わず打つぞ!)
那奈佳は反応良くバットを振れるよう、上半身を僅かに動かしながら二球目を待つ。来たのは初球と同じインローのストレート。ストライクゾーンに入っていたため、彼女は打って出る。
速いゴロが三塁線の外側を転がっていく。ファールにはなったものの、捉えた打球ではあった。
(うん、打った感触は悪くない。もう少しコースが甘くなれば、もっと良い当たりができるぞ)
那奈佳は自信を覗かせる。こう言っては失礼だが、彼女は和久学園で唯一、強豪校の選手にも引けを取らない実力を持っている。故に亀ヶ崎バッテリーもランナーを置いた状況で相手にはしたくなかった。
(真裕の調子が上がってこないと分かったからか、厚木は気持ち良くスイングしてきてる。ここはカーブでタイミングを外して引っ掛けさせたい。真裕、行ける?)
(……大丈夫。というか投げ切れなきゃ、この先勝ち進むことなんてできないからね)
真裕がサイン交換を終えてセットポジションに入る。全身の力が投球に伝わるよう、普段よりも肩を大きく回す意識で那奈佳への三球目を投じる。
低めを狙ったカーブだが、真ん中高めに浮く抜け球となってしまった。これではタイミングを外す以前の問題。那奈佳は腰の入った鋭いスイングで弾き返し、痛烈なライナーを放つ。
「おお!」
和久学園ベンチ、更にはスタンドが響めく。打球はレフト上空を目掛けて飛ぶ。抜ければ長打となり、二塁ランナーは確実に還ってくる。ところがそれをサードのオレスが阻んだ。
「はっ!」
オレスはジャンプして打球を掴む。二塁ランナーの歩子が慌てて引き返し、足から滑り込んで帰塁する。
「ひい……、危な……」
「ファースト!」
「へ?」
歩子がほっとしたのも束の間。彼女以上に一塁ランナーの立上が飛び出してしまっていたのだ。
着地と同時にそれを察していたオレスは、間髪入れずに一塁へ送球する。立上はヘッドスライディングでベースに向かって両腕を伸ばすも、オレスの強肩には敵わない。
「アウト!」
「おお!」
再びスタンドから歓声が起こる。今回はオレスを讃える拍手も付け加えられた。
「くそ! ライナーはバックだって分かってたのに……」
立上は腹這いになったまま地面を叩き付ける。頭では理解していても、次の塁に進みたい気持ちが先走ってしまった。悔しがる彼女の元に、既にアウトとなっていた那奈佳が駆け寄る。
「りつ、顔を上げて。今のはサードが上手だったよ。まだチャンスは途切れてないし、切り替えて応援に回ろう」
「はい……。そうですね」
二人が並走して引き揚げる。俯き加減の立上に対し、那奈佳は堂々と前を向いている。二年前、彼女は絶望的な状況でも希望を捨てず戦い抜いた先輩たちの姿を目に焼き付けた。それに倣い、この大会ではどんなことがあっても下を向かないと決めているのだ。
「那奈佳、惜しかったね。けどナイスバッティングだったよ!」
「え?」
ベンチへ入ろうとする那奈佳に、一塁側スタンドの最前列から声が掛かる。見上げた先には当時の主将を勤めていた永田愛里を始め、かつて共に戦った卒業生たちが集結していた。
「愛ちゃん先輩に皆さん、来てくれてたんですね!」
「当然でしょ! 今日はとことん応援するから、勝つとこ見せてね。那奈佳たちならできるよ!」
「はい! 頑張ります!」
那奈佳は嬉しそうに手を挙げ、愛里たちに応える。それなら沈みかけていたチームを鼓舞し、ムードを再上昇させる。
「ほら皆、先輩たちに良いところ見せてやろう! 先制点取るよ!」
一方、亀ヶ崎はオレスのファインプレーで一気にツーアウトを取ることができた。救われた真裕は礼を述べずにはいられない。
「ありがとうオレスちゃん。助かったよ」
「これぐらい普通よ。それよりもセットポジションから投げる時、腕を後ろに回し過ぎ。背中に壁があると思って投げなさいよ」
「え? ああ……!」
オレスからの指摘に、真裕は目を大きく見開いて頷く。思うように投げられていない原因が判明した。
(なるほどね。知らない内に投げ方がおかしくなってたのか。これで修正できるぞ)
先頭の歩子に対してスリーボールとなった際、真裕はより強く腕を振らなくてはならないと意識するあまりフォームを崩してしまった。サードの守備位置からはセットポジションでの投球モーションが見やすいため、オレスはいち早く気が付くことができたのだ。
《四番サード、森島さん》
ランナーの歩子を二塁に残し、右打席に四番の森島優芽が立つ。彼女も三年生だが、二年前は控えメンバーとして戦況を見守るだけであった。
(ここでランナーを還して、先輩たちに成長したところを見てもらうぞ。那奈佳以外でも対応できてるし、私にも打てるはず)
優芽が一打を放てば、和久学園は流れを引き戻すことができる。その初球、真裕が投げたのは外角へのストレートだ。
「ストライク」
「え……?」
見送った優芽は、口をあんぐりと開けて固まる。ネクストバッターズサークルで見ていた球筋とは明らかに違っている。
(……待って待って、皆この球をあんな簡単に打ち返してたの?)
若干のパニックに陥る優芽。真裕は彼女に落ち着く暇を与えず、テンポ良く二球目を投じる。
「ストライクツー」
真ん中低めのストレートに優芽はまたもや手が出ない。ボール先行だった他の打者と異なり、あっという間に追い込まれる。
(やばい……。バットを振ろうと思った時にはボールがミットに収まってる。早くスイングしないと当てることすらできないぞ)
優芽は立ち位置を下げ、速い球に差し込まれないよう策を講じる。しかしそれを菜々花は逃さず把握していた。
サインを決めた真裕が三球目を投げる。テイクバックを取る腕は背中の後ろに入り込まず、本来のフォームに戻っている。
球種はカーブ。先ほど那奈佳に投じた一球と違い、低めのボールゾーンへと緩やかに落ちていく。ストレートのタイミングでバットを振り出していた優芽はスイングを止められず、空振りを喫する。
「バッターアウト。チェンジ」
「ふう……。おし」
真裕は安堵の息を漏らす。一時はどうなることかと思われたが、何とか無失点で初回を終えた。
See you next base……




