5th BASE
翌日からは通常授業が始まり、放課後に部活ができる時間は休日の半分程度まで減ってしまう。短い時間で効果を得るためには高い集中力で練習に臨まなければならないが、今日はそういうわけにもいかない。何故なら今年入学した一年生がやってくるからだ。
「よろしくお願いします!」
「……よ、よろしくお願いします」
練習開始前に京子ちゃんとキャッチボールを行っていると、続々と一年生たちがグラウンドに姿を現す。元気の良い子、緊張気味の子と人それぞれだが、どの子もフレッシュで可愛いらしい。
そんな中、一人の新入生が私の目に留まる。というよりその子はグラウンドに来てから何度もこちらを見ている気がして、それに乗せられてしまったのだ。
太めの眉毛が特徴的な剛健さのある顔立ち。今の私と似たミディアムショートの髪型。体格は一年生時の私と同じくらいで、全体的にやや野性味のある風貌をしている。それ故こちらに注がれる視線も力強さを孕んでおり、そういう意味でも惹き付けられたのかもしれない。
事前に各自でアップを済ませておき、今日の練習はいきなりフリーバッティングからスタートする。私はブルペンには入らないので、他の選手が打つ間は外野守備に回っていた。登板していない時は外野手として試合に出場することもあり、その備えも疎かにしてはいけない。
一年生はまだ仮入部ということで守備に就くのみ。中学時代はほとんど軟式ボールを使っていただろうし、まずはそちらに慣れてもらわなければならない。
「こんにちは! ……あの、柳瀬真裕さんですよね?」
先ほど気になっていた一年生は早速、私の守っていたレフトのポジションへとやってきた。どうやら私の名前も知っているらしい。
「こんにちは。そうだよ」
「おお、本物だ。私、春木結って言います! 起承転結の“結”の一文字を使って“ゆい”です!」
結ちゃんは興奮気味に目を見開く。眉毛も一緒になって跳ね上がり、豪勇な容貌から愛くるしさが引き出される。
「結ちゃんか。よろしくね」
「よろしくお願いします! ……ふむ、やっぱりでかいなあ。こうして近くで拝見すると、尚のこと大きく感じる」
唐突に腕を組み、結ちゃんは目線を少し下に落とす。明らかに私の胸を見ている。流石に恥ずかしいので、咄嗟に私は結ちゃんの顔の前を手で覆う。
「ちょ、ちょっとちょっと結ちゃん、どこ見てるの?」
「すみません、つい……。でもほんとに凄いです。何を食べたらこんなに育つのか、教えてほしいくらいですよ」
口ぶりからして結ちゃんが本気で感心しているのは分かるが、あたり嬉しくはない。まあ自覚が無いわけではないしこうした反応をされるのも初めてではないので、軽く受け流して話題を変えることにする。
「あはは……、別に何か食べると育つとかないからね。ところで結ちゃん、右にグラブを嵌めてるってことは、左利きなの?」
「そうです。それもあって中学まではピッチャーやってました。高校でも当然やるつもりです!」
「そうなのか! 頼もしいね」
いくら私が完投すると言っても、大会の全試合を一人で投げ抜くのは現実的ではない。日本一を目指す上で、高いレベルの投手はチームに何人いたって良いのだ。無論、エースの座は誰にも譲らないが。
「……あ、そうだ。真裕さんには大事なこと聞かなきゃいけないんだ」
結ちゃんは何かを思い出したようにグラブを叩く。またも眉毛が大きく上へと弾んだ。
「真裕さんのお兄さんって、柳瀬飛翔さんで合ってますか?」
「ああ、そうだよ。お兄ちゃんのこと知ってるの?」
「もちろんですよ! 何たって、私の師匠ですから!」
「し、師匠?」
私は思わず素っ頓狂な声を上げる。同時にバットの短い金属音が響き、こちらに打球が飛んできた。
「レフト行ったよ!」
「あ、やばっ」
慌てて走り出すも時既に遅し。普段なら難無くキャッチできるフライだったが、追い付けずに後方へと打球を逸らしてしまう。
「やっちゃったあ……」
外野手の後ろには誰も守ってはいない。そのため試合でこんなことをしたら大惨事だし、今でもこうして奥まで拾いにいくこととなるので非常に面倒である。
「ごめんね結ちゃん。さっきの話、詳しく聞かせてもらって良いかな?」
戻ってきた私は結ちゃんに詳細を尋ねる。結ちゃんは予め話す気が満々だったようで、「もちろんです!」と言って愉快気に語り始める。
「あれは私が中学二年生の頃でした。確か秋から冬に変わるくらいの季節だった気がします。当時の監督の伝か何かで、師匠……あ、飛翔さんって言った方が良いですよね。飛翔さんが何度かコーチに来てくれたんです」
結ちゃんが中学二年生ということは、お兄ちゃんは大学二年生の頃の話である。大学の野球部に所属しているお兄ちゃんだが、一年生の時に怪我を理由に一旦退部。もう野球はやらないと話していたものの、二年生の夏に一念発起して復帰を果たした。結ちゃんのチームのコーチをしたのは、野球部に再入部した直後ということだ。
「その時の飛翔さんは怪我明けみたいなことを言ってたんですけど、投げてる球はめっちゃくちゃ抉かったんです! 一球で見惚れちゃいましたよ!」
話を進めていく内に結ちゃんの瞳はどんどん輝きを増し、口調も饒舌になっていく。女の子にしては若干低めの声色だが、それだけにトーンが上がるのも分かりやすい。私はその迫力に気圧されながらも、ちょっと誇らしい気分になる。
「私は同じ左ピッチャーだったので、飛翔さんに取り分け色々と指導してもらったんです。そこでスライダーを教わったんですけど、そのおかげで私はエースになれました! だから私にとって飛翔さんは、師匠なんです!」
二人の間にそんな関係性があったとは。お兄ちゃんはほとんどこういう話をしてくれないので知らなかった。ただお兄ちゃん本人に言わせれば、師匠になったつもりは全く無いかもしれない。
「なるほどね。ということは、結ちゃんの決め球もスライダーなの?」
「そうです! ただ私のは縦の変化が大きいタイプなので、真裕さんたちとはちょっと軌道が違いますけどね」
「へえ。ぜひ今度見せてもらいたいな」
「はい! 真裕さんからそんなこと言われるなんて嬉しいです! ……因みに師匠はまだ大学で野球を続けられてるんですか?」
「やってるよ。エースを張ってるみたい」
お兄ちゃんは今年で四年生になる。卒業後の進路はどうするつもりなのだろうか。家に帰ったら聞いてみよう。
「そうですか。なら良かった。またよろしく言っておいてください」
「うん。分かった」
「ふふっ、師匠の妹である真裕さんと野球ができるなんて光栄だなあ。亀ヶ崎を選んで良かったです!」
満面の笑顔を咲かせる結ちゃん。私は頬が仄かに熱を帯びるのを感じる。
「そんな風に言われると照れちゃうよ。これから頑張ろうね、結ちゃん」
「はい! 一緒に全国制覇を成し遂げましょう!」
結ちゃんが左腕を掲げたのに合わせ、私も右腕を天に突き上げる。可愛くも勇ましい後輩の登場に、私の心は弾むばかりだ。
See you next base……
PLAYERFILE.2:陽田京子(ひなた・きょうこ)
学年:高校三年生
誕生日:4/20
投/打:右/左
守備位置:遊撃手
身長/体重:152/50
好きな食べ物:フライドポテト(黄色いMの方)、ハンバーガー(赤いMの方)