42nd BASE
いつもお読みいただきありがとうございます。
劇中では六月に入り、野球部は夏大に向けて最後の仕上げに入っていきます。
しかし同時に、選手各々がその先のことを見据えなくてはならない時期にもなります。
本章ではそんな少女たちの葛藤や決意を描いていければと思います。
楽師館との練習試合を終えた次の日曜日。登校した私は教室に入って自分の席に座ると、鞄から取り出したタオルで顔面全体を隈なく回すようにして拭う。最近は少し歩くだけでも汗が噴き出してくるほど、本格的に暑くなってきた。
「おお柳瀬、おはよう。めっちゃ汗だくだけど大丈夫?」
「おはよう椎葉君。大丈夫……、じゃないかな。何やってても汗びっしょりになっちゃうから、ほんと大変だよ」
私は制服の胸元を仰ぎながら、隣の席から話しかけてきた男子の質問に答える。彼の名前は椎葉丈君。男子野球部のエースピッチャーである。
「分かるわあ。俺もさっきまで汗が止まんなくて、汗拭きシート何枚も使っちゃった」
椎葉君が気取りの無い愛らしい笑顔を見せる。制服を着ている今でこそ普通の男子高校生だが、一度マウンドに上がれば人が変わったように猛々しく躍動する。他の高校生とは一線を画す才能と実力の持ち主で、昨年はチームをあと一歩で甲子園に行けるところにまで導いた。最高学年となった今年はその先、つまりは甲子園出場を果たすべく、最後の夏大に臨もうとしている。
私と椎葉君が初めて顔を合わせたのは、二年前に行われた交流試合でのこと。共に試合終盤にマウンドへと上がり、ゲームセットまで投げ合ったことをきっかけに話すようになった。学校でも二年生でクラスメイトになると、三年生でも同じクラス振り分けられた。遂には先日の席替えで隣同士となっている。
周囲からは私たちがどんな関係性なのか聞かれることが多いが、それは私自身にも上手く答えられない。その人たちが欲しい答えは何となく分かる。しかし椎葉君とは連絡こそ取り合っているものの、二人で遊んだのは一年生の頃に夏祭りに行ったくらい。それ以降は特に進展が無い。第一に私も椎葉君もその気が無いし、仮にあったとしても今はそんな余裕など無いのだ。
結局のところ、私たちは同じ学校で野球をやっているだけ。互いに対抗心を燃やして切磋琢磨する“ライバル”という表現が一番しっくり来る。
「ところでさ、柳瀬は卒業したらどうするんだ? そろそろ進路希望とか先生たちに問い詰められるようになってきてるじゃん。何て答えてる?」
「進路? ああ……」
突然の進路の話題に、私は情けなく声を伸ばして床を見つめる。お兄ちゃんが就職活動をする姿に触発されて少しは考えてみたものの、具体的な答えや考えは全く見出せていない。進学校である亀高に通っている以上、どこか大学に進むのが無難な気もするが、そんな決め方で良いのだろうか。
「……私はあんまりちゃんと答えられてないんだよね。できる限り良い大学に行ければ良いです、みたいな感じに言って濁してる」
私は苦笑いで誤魔化す。すると椎葉君は拍子抜けしたように口を丸めた。
「そうなんだ……。俺はてっきりプロに行くのかと思ってたわ」
「え? 私が?」
「そりゃそうだろ。だっていずれは世界一になりたいって宣言してたじゃん」
椎葉君がさぞ当たり前かのような物言いをする。確かに私の最終的な目標は世界一になることである。ただそこに到達できるのはもっと先の未来、十年後くらいになるだろう。そもそも私の実力では高卒でプロになれるとは思えないし、じっくりと段階を踏む必要がある。
「……そ、そう言う椎葉君はどうするつもりなの?」
「俺? やっぱりプロになりたい思うよ」
「それは高校を卒業してそのままプロになるってこと?」
「ああ、そうかな」
間髪入れず答えを返してくる椎葉君に、私はやや気圧されてしまう。そこには一切の迷いも感じられない。
「だから今年の夏大はそういう意味でも大事なんだよ。甲子園に行って、スカウトにアピールしないと。もちろんチームを勝たせることが一番だけどな」
椎葉君はそう意気込みを語る。彼なら高卒でもプロ入りできる可能性は十分にある。何せ入学時点で既に一四〇キロを投げられ、話によると現在は一五〇キロ中盤を計測することもあるらしい。そんな投手をプロが放っておくはずがない。甲子園に出場して全国区ともなれば、今秋のドラフトで指名されるのは確実になるだろう。
「そうなんだ。椎葉君なら絶対できるよ!」「ほんとか? 柳瀬にそう言ってもらえるなら嬉しいよ」
再び椎葉君が可愛らしく笑う。その顔を見ると私まで嬉しくなる。
「でも柳瀬にも同じことが言えると思うけどな。絶対プロになれるでしょ」
「そ、そうなのかな……?」
私は椎葉君の言っていることを真に受け取れない。彼がお世辞を述べているわけではないと頭では分かっていても、心には疑念が渦巻いて止まない。
「まあ柳瀬には柳瀬の考えがあるだろうし、大学に行く選択も良いと思う。俺はどこに行っても応援するよ」
「ありがとう。私だって夢はあるし、それに向けて頑張るね」
ひとまず私はこう言葉を連ねるしかなかった。当然ながら本気で夢を叶えるつもりここまでやってきたし、諦めるつもりは微塵も無い。ただそのためにどういった道を辿るべきなのかは、真剣に考えて自分の答えを出さなければならない。
「ああ、一緒に頑張ろうぜ。……それにさ、卒業しても……、て、定期的に会って、こうやって話したいな」
「それはもちろんだよ! 私も……」
急にしどろもどろになる椎葉君の言葉に被せるようにして私は声を発する。しかしその続きを言おうとしたところで止まった。
もしも卒業して離れ離れになったとして、それでも私たちは会えるのか。予定さえ合わせれば、会うこと自体は難しくない。だが単に同じ高校で野球をやっていた“ライバル”という間柄で、私たちの関係は一体いつまで保てるのだろう。
「そっか。柳瀬もその気なら良かったよ」
椎葉君が安堵したように頬を緩める。私は卒業後も椎葉君に会いたいと思っているし、会うつもりでいる。椎葉君も考えは一緒みたいだ。
けれどもその関係性は“ライバル”と呼ぶべきなのか。椎葉君に聞いてみようとも思ったが、それをすると今の彼との関係すら崩れてしまいそうで怖かった。私は“ライバル”という響きに、図らずも安心し切っているのだった。
See you next base……
PLAYERFILE.13:椎葉丈(しいば・たけし)
学年:高校二年生
誕生日:7/18
投/打:右/右
守備位置:投手
身長/体重:179/80
好きな食べ物:甘いもの、シ□ノワール




