41st BASE
廣瀬との勝負はワンボールからの二球目、オレスは度胸を決めて腕を振り抜き、内角へのストレートを投じる。廣瀬は打ち返そうとスイングするも、バットからは何の音も発しない。
力で押してストライクを取ったバッテリー。廣瀬が再度バットを構えるのを待ち、次の球を決める。
(廣瀬は真っ直ぐを狙って打ちにきてたはず。なのに振り遅れてた。それを踏まえて緩い変化球に狙いを切り替えるかもしれない。でも万里香が真っ直ぐを打ってるのを見てるはずだし、廣瀬もそれに倣ってくるんじゃないかな。となると遅いカーブが無難だよね)
嵐が選択したのは外角へのカーブ。ところがオレスはその要求を退ける。
(あれ? 遅い球は嫌なのかな。じゃあスライダーはどう?)
(違う。そうじゃない)
(ということはストレート?)
立て続けに嵐がサインを出し直すが、いずれもオレスは首を横に振る。彼女の持っている球種は残り一つしか無い。
(まさかシンカー? 決め球に取っておきたいと思うけど……)
(良いの。これで追い込めば何とかなる)
ようやくオレスが頷く。セットポジションに入った彼女の正面には万里香の姿があるものの、それには全く興味を示さず三球目を投じる。
コースは真ん中。廣瀬はタイミングをばっちりと合わせて打ちに出る。膝元に沈んできた変化にも対応し、鋭いライナーを放つ。
「おお!」
打球が万里香の上を通過し、レフトへ飛んでいく。万里香は期待を膨らませて本塁に向かう。しかし打球の落下地点は白線の内側から大きく外れていた。
「ファール」
「えー、切れたのか……」
ぬか喜びに終わった万里香は憂さ晴らしでもするかのように、敢えてホームベースを踏んでから三塁へ戻る。残念ながら同点のホームインとはならない。
一方の亀ヶ崎は助かった形となる。ただバッテリーの反応は対照的で、嵐がマスクを脱いで安堵の溜息を吐いているのに対し、オレスは涼しい顔をしている。彼女は予めこうなることを狙ってシンカーを投げたのだ。
オレスは廣瀬が変化球に的を絞っていることを気付いていた。実は二球目の後、廣瀬の立ち位置が僅かに前へ出ており、それを見て悟ったのである。そしてカーブとは反対側に曲がるシンカーを投げ、ファールを打たせた。
(恐らくバッターもシンカーは決め球で使ってくると思ってただろうし、内角のストレートの後って考えたら、外に逃げるカーブにヤマを張るのが定石。私がバッターでもそうしてたでしょうね)
打者ならではの視点に立ち、オレスは廣瀬の思惑を読み取った。けれどもカーブを狙われていると分かっていたならば、ストレートの方がより安全だと感じるはず。にも関わらずシンカーを選んだのは、今後を見据えてのことだ。
(ここでシンカーが決め球に限らないと思わせておけば、各バッターは夏大までそれを覚えてる。常に頭に入れておかなきゃならない球種が一つ増えるのは、それだけで非常に厄介になる)
オレスは自分が夏大でも登板することを想定している。いくら真裕を始めた投手陣が充実していようとも、灼熱の暑さの中で開催される夏大では総じて崩れることも有り得る。
言うまでもないが、どんな危機に陥っても負けることは許されない。オレスには苦況でもチームが巻き返せるような投球が求められ、彼女自身もそれを理解している。だから練習試合の時点から種を蒔いておくのだ。
ツーストライクを取ったバッテリーだが、だからこそ丁寧に攻めなければならない。廣瀬を相手に勢いで押し切ろうとすれば、呆気無く返り討ちに遭う危険性がある。
(結果的に内角が二球続いてるわけだけど、廣瀬なら外角に張って思い切り踏み込んできても不思議じゃない。ここはもう一度インコースを突こう。と言ってもストライクにする必要は無い。打ってきても良いよう、ボールにするんだ)
(またインコースのストレートか。随分と冒険するじゃない。でも賛成。それくらい厳しく行かなきゃね。ただしあくまでも三振を狙うわけじゃなくて、次の球を活かすためだってことは忘れないようにしないと)
オレスは逸る衝動を抑え、嵐からのサインを承諾する。四球目、彼女の右腕から放たれたストレートは、何と廣瀬の顔面を目掛けて進んでしまう。
「わっ⁉」
廣瀬は悲鳴に近い声を上げ、咄嗟に仰け反る。辛うじて死球にはならなかったが、オレスもここまで危険な投球をするつもりはなかったため、右手を出して詫びた。
しかしこの一球は、バッテリーの意図を超えて相当な効き目がある。廣瀬には無意識にも恐怖心が植えられ、多少なりとも踏み込みは甘くなる。
(廣瀬には悪いけど、今のボールを活用させてもらうよ。オレス、これで決めよう)
(了解。こういうことを是としちゃいけないのは分かってる。でもそれで情けを掛けたらこっちが殺られる。これは戦いなんだから)
オレスはそう自分に言い聞かせて腹を据え、嵐とのサイン交換を済ませる。傍から見ても気分の良いものではないかもしれないが、真剣勝負である以上、利用できるものは利用しなくてはならない。
五球目としてオレスが投じたのは、アウトローに曲がるスライダー。一球目よりも高い位置から変化し、ワンバウンドすることなくホームまで届く。
廣瀬はボールになるのではないかと一旦は考えたものの、既にツーストライクを取られているため見逃すことはできない。彼女は何とかバットに当てようとスイングしながら懸命に腕を伸ばす。だが無情にも、その必死の抵抗が報われることはなかった。
「バッターアウト。ゲームセット」
結果は空振り三振。虎の子の一点を守り切ったオレスは、ほんの微かに目尻に皺を寄せてマウンドを降りる。彼女の元には一早く嵐が歩み寄り、右手を差し出してハイタッチを求める。
「お疲れ。最後の一球は見事だったよ。きつい展開だったけど、勝てて良かった」
「そうね。だけど夏大はこんなの比にならないくらい厳しんだから、喜んでなんかいられない」
嵐の手に目をやったオレスの右手が、一瞬だけ動きかける。しかしハイタッチにまで至ることはなかった。嵐はオレスらしいと感じつつ、二人で整列へと向かう。
二試合目は亀ヶ崎が辛くも勝利。最大の収穫は、真裕以外の投手陣が揃って無失点だったことに尽きる。
繰り返しになるが、夏大は真裕一人で投げ抜けるものではない。他の投手たちで乗り切らなければならない試合が必ずある。去年はそこで勝てなかった。今年は果たして――。
See you next base……




