35th BASE
四回表から登板した春歌は先頭の万里香を打ち取ると、続く六番の大下を二球で追い込む。勝負球はインコースを突きたいが、一つ間違えば長打の危険性もある。
三球目、ひとまずバッテリーは低めにワンバウンドするカーブを挟む。これは大下もある程度警戒していたようで、バットをほとんど動かすことなく見送る。
問題はこの次。大下は春歌と初対戦ではないため、ピッチングの傾向をそれなりに把握している。当然、内角への速い球も頭には入っているはずだ。
注目の四球目、大下と正対した春歌はグラブを鳩尾から胸間の辺りまで持ち上げ、投球モーションに入る。投じたのはインローへのストレートだった。見逃せばボールではないかとも思われるが、確信の持てない大下は打って出る。ヒットにするのは難しいためタイミングを普通より早めてスイングし、レフトへファールを飛ばす。
春歌は自らのスタイルに沿ってインコースへと投げ込んだものの、打ち取ることはできず。次も同じような球を続けるのか、それとも低めの変化球で空振りを誘うのか。大下はどちらが来ても良いよう備えておく。
ランナーがいないこともあり、春歌はリズムが悪くならないよう短い時間でサイン交換を済ませる。その流れのまま速いテンポで五球目を投じた。
投球の向かった先はアウトコース。カーブやチェンジアップなどのような緩い軌道は描かず、ホームへ突き進む。大下としては予想外ではあったが、直前でストレートを見ているため対応はできる。手元まで呼び込み、センターに弾き返そうとスイングする。
「……え?」
ところがインパクトの寸前で投球は微妙な変化を見せた。ツーシームである。大下はバットの下面で打たされ、平凡なゴロを転がしてしまう。
「アウト」
打球はショートが冷静に捌いた。その様子を春歌は淡々と見届け、自らの元にボールが返ってくるまでアンダーシャツの袖を整える。
(最後は上手く引っ掛けさせられたかな。その前の一球で内角の意識付けができたし、それだけ外への踏み込みは甘くなる。思う通りに打ち取れた)
実は春歌は、四球目のインコースで勝負を決めようとは思っていなかった。その後のツーシームで仕留めるための布石だったのだ。大下の虚を衝いた上で、ファールで逃げられないように少し沈む変化を加えて内野ゴロを打たせた。
祥のスクリューで述べたように、春歌の内角攻めも常に決め球として使う必要は無い。打者の特性に応じて、抑える確率を上げる一手として用いる方法もあるのだ。
入学時の春歌であれば、こうした考えはきっとできなかっただろう。彼女は意固地になることを止め、様々な攻め方を取り入れられるよう務めた。その心掛けが今日のような安定した投球に繋がっている。
「アウト。チェンジ」
次の打者はファーストフライに抑え、春歌がマウンドを降りていく。ベンチでは真裕を含めた仲間たちがハイタッチを求めている。
「ナイスピッチ! 春歌ちゃんらしさが出てたね」
「それはどうも」
春歌は特に表情を変えることなく、差し出された手に自身の右手を合わせていく。派手に喜び合うことは決してしない。真裕もそれが彼女だと分かっているため、何も言わず柔和に微笑んでいた。
四回裏も亀ヶ崎は無得点。試合の動く気配が感じられぬまま、五回へと入る。
《五回表、楽師館高校の攻撃は、六番ファースト、西堀さん》
六番の西堀が右打席に立ち、春歌は初球を投じる。まずは外角にカットボールが決まった。ここまで四人の打者を相手にしているが、いずれも初球はストライクから入っている。彼女の制球力があれば常に先手を取ることができ、以降の配球にも幅を持たせられる。キャッチャーの菜々花としては非常にリードしやすい。
(春歌のコントロール、今日は一段と際立ってるな。入ってきた時は態度も投球もかなり尖ってたけど、随分と大人になったよ。これも成長の証かな)
菜々花はマスクの奥で口角を持ち上げる。彼女こそ、春歌の入学当初にサインを無視された当人である。その際は声を荒らげて叱り、チームメイトが仲裁に入るなど一触即発の空気すら漂ったが、それも懐かしい思い出。今は頼りある投手の一人として見ている。
二球目は同様のコースへのツーシーム。ストレートかカットボールだと思ってバットを振った西堀は変化に付いていけず、打ち損じて三塁側へのファールが転がる。
たった二球で追い込んだ春歌は、打者に考える暇を与えまいと短い間隔で三球目を投げる。内角のストレートで西堀を詰まらせた。
「サード!」
打球は三遊間への弱いゴロとなり、サードがショートの前に出て処理する。春歌は危なげなく先頭を切った。この流れに乗った彼女は後続も打ち取り、二イニング目の投球も三者凡退で切り抜ける。
五回裏の攻撃でも亀ヶ崎は得点を奪えず、最早このまま引き分けで終わってしまうのではとさえ思える展開となってきた。チームのためにも自分のためにも、相手には一点もやれない。そう犇と感じつつ、春歌は再度マウンドに登る。
《九番、藤光さんに代わりまして、バッター、林さん》
六回表、楽師館は左の林を代打として送る。がっしりとした体付きの彼女は打席に入る前の素振りで圧巻のスイングスピードを見せており、絵に書いたような長距離砲である。
初球、春歌は低めのチェンジアップを投じる。代打で出てきているので積極的に来るだろうと読み、空振りさせることを目論んだが、林のバットは動かない。珍しくボールからの入りとなる。
ただしこの場面は長打は疎か、塁に出すことすら許したくない。これまでよりも慎重になって当然である。
二球目は外角へのカーブ。春歌はボールゾーンから捩じ込もうとしたものの、僅かに外れる。意図した投球ができていながら、二球連続でストライクが取れない。
しかしここからでも容易く持ち直せるのが春歌である。三球目も再びカーブを投げたが、今度は真ん中から内へと曲げて確実にストライクを取った。林は他の球種を待っていたようで、ほとんど反応を示さずに見送る。
四球目。春歌の投じた内角のツーシームに対し、林が打って出る。引っ張った打球は鋭いゴロとなって一塁線を襲うも、判定はファール。ベースのほんの少しだけ外側を通過していた。
一時はボールが二つ先行しながらも、春歌が並行カウントまで押し上げてあっという間に形成は逆転。彼女は一気に方を付けるべく、五球目としてインハイのストレートを投じる。
See you next base……




