31st BASE
楽師館との二試合目の先発を務める祥は、ツーアウトから万里香に二塁打を許しながらも初回を無失点で終える。
(良かった。何とか切り抜けられた)
グラブのベルトと呼ばれる手の甲を覆う部分で頬の汗を拭い、祥は胸が軽くなったように感じながらベンチへと引き揚げる。そんな彼女と真裕と結がハイタッチを交わす。
「お疲れ祥ちゃん。ナイスピッチ」
「祥さんのスクリュー、ウルトラ落ちてましたね! あれは打てないですよ!」
「そ、そうかな? ありがとう。この後も頑張るよ」
照れた表情で受け応える祥。彼女は攻撃に移る前の円陣に参加した後、一旦ベンチに腰掛ける。それからスクイズボトルに入った薄めのスポーツ飲料を口に含みつつ、タオルの頭の周りを回るようにして拭く。
(ひとまずは一回が終わった。万里香に打たれてピンチになったけど、我ながらよく凌げたよ。このまま自分のやれることを着実にやって、一つ一つ乗り越えていこう)
初登板の際、祥の心にはとにかく恐怖が渦巻いていた。当時は一イニングを投げるだけで精神力も体力も削ぎ取られ、ベンチに帰ってくると次のイニングに向かう気力が起きなくなっていた。
しかし今はそんなことにはならない。一イニングを投げ切る毎に充実感を覚え、気持ちが前へ向くようになっている。それも結果が出始めている所以だろう。
一回裏の亀ヶ崎は三者凡退。試合は両チーム無得点と静かに始まり、二回へと移る。
《二回表、楽師館高校の攻撃は、五番ライト、本条さん》
二回表の先頭は本条。祥の苦手とする左打者だが、中本のように極めて背が低いわけではないので、比較的投げやすいはずだ。
初球、祥はカーブから投じる。真ん中に入ってきたものの、ストレートに張っていた本条はタイミングを外されて打ちにいけない。
「ストライク」
二球目はストレートが外角高めへ。こちらはボールとなる。
三球目。祥はアウトコースに曲がるスライダーを使う。打ちに出た本条だったが、捉え切れずバットの下面に引っ掛ける。
「ファースト」
打球は一塁線上を転がる。捕球したファーストが自らベースを踏んだものの、球審は両手を広げてファールの判定を下した。ワンボールツーストライクとなって本条との対戦が続く。
(良い感じに追い込めた。あとはスクリューで決めるぞ)
一塁へと走っていた本条が打席に入り直すのに合わせ、祥は菜々花とサイン交換を行う。選択したのはもちろんスクリューだ。
四球目、祥の投じたスクリューは僅かな揺れを伴いながら、外寄りのコースから真ん中低めに沈む。悪い投球ではないものの、本条としては対応できる範疇だった。彼女は三球目と同じようなファールを打つ。
カウントは変わらず、次が五球目。バッテリーはもう一度スクリューで空振りを誘う。
「ボール」
ところが本条は手を出さない。彼女の膝元から変化していくスクリューだったものの、コースが厳しいが故に却って打ちにいくことができなかったのだ。投げた瞬間に手応えを感じていた祥は、面食らったように思わず噛み合わせた歯を見せる。
(見逃されちゃった。ここからどうすれば良いんだろう……?)
(祥、切り替えて。こっちとしては良い球を投げたと思っても、見送られることだってある。別にスクリューじゃなくても打ち取る方法はあるはずだよ)
困惑する祥とは対照的に、菜々花はすぐさま次の手を考える。投手をリードする立場として、一緒になって落ち込んでいる暇は無い。彼女は前の球と対になるアウトコースへのストレートのサインを出した。
(真っ直ぐか。スクリューの後に投げるのはちょっと不安だけど、怖がっていたら抑えるものも抑えられなくなる。どうせ投げるんだったら空振りさせるつもりで腕を振ろう。そしたらきっと打たれない)
祥は自らに発破を掛け、強い気持ちを持って五球目を投じる。ストレートが狙い通り外角低めへと行った。だが本条も食らい付き、ファールで逃げる。
「ナイスボール! この球だったら打たれないよ!」
菜々花はそう声を飛ばし、球審から受け取った新しいボールを祥に投げる。戸惑いの色が浮かんでいた祥の表情も、少しばかり和らいでいた。
(ファールになったのは残念だったけど、私でも真っ直ぐで押すことができるんだ。スクリューが見極められたからって終わりじゃない。その先にもできることはあるんだから)
五球目も祥は外角のストレートを続ける。こちらは少々高めに浮いていたが、本条は前に飛ばすことができずまたもやファールとなる。スクリューを警戒していることで、どうしてもストレートには振り遅れてしまうのだ。
二球連続で速い球を見せられたため、本条の変化球への対応力は幾分か弱まっている。バッテリーとしては次の球で勝負を決めたいが、どの球で仕留めに掛かるのか。
(祥、これで行くよ)
(……え?)
菜々花のサインを見た祥は微かに眉を顰める。予想外の配球に訝しく思う彼女だったが、菜々花を信じて従うことにする。
六球目、祥には真ん中を目掛けて投球を行う。その球速から本条は瞬時に変化球だと悟り、スクリューの軌道を想定してインコースを打つスイングをする。
ところが投球はその反対へと曲がっていく。スライダーだ。読みを外された本条のバットは、虚しく空を切るしかない。
「バッターアウト!」
「おお……、三振取れちゃった」
祥は嬉しさよりも驚きが勝り、口を情けなく開けて固まる。彼女のスライダーは真裕や結のように決め球にできるほど質は高くない。だが打者にスクリューが来ると思わせている状態なら、このように空振りさせることもできるのだ。
決め球というのは、必ずしもそれで決着を付けなければいけないわけではない。その存在を仄めかしつつ、敢えて他の球種を投げることで打者を幻惑させるのも一つの技である。
(スクリューばっかに頼るんじゃなくて、スクリューで他の球の可能性を引き出すことができるってことか。……それは面白いな)
祥はピッチングの奥深さに気付く。今日はスクリューの試投が中心であることは変わらないが、今後は新たな投球術も学んでみたいと興味を示すのであった。
「アウト、チェンジ」
この後、祥は二人の打者を危なげなく打ち取る。二イニング目は楽師館の攻撃を三人で退けた。
See you next base……




