28th BASE
七回裏からマウンドに上がった結はいきなりノーアウト一、二塁のピンチを招くも、楽師館のバント失敗などもあってツーアウト一、三塁まで漕ぎ着ける。しかし打席には最大の難敵、万里香を迎えていた。
初球でストライクを取った後の二球目、カーブが外角に外れる。中本に対してはストレートだけで押し切ったが、打者が万里香となるとそうはいかない。変化球を織り交ぜながら打ち取る術を探る。ここからの組み立てについて、菜々花は二つの方法で迷っていた。
(結は真っ直ぐを課題にして取り組んでるわけだし、他の球で追い込んで最後は真っ直ぐで締めたい。でもそれは甘い考えなんじゃないか? 万里香が相手だぞ。やっぱり決め球にはスライダーを持っていくべきだろ)
悩んだ末に出したサインは、アウトローのストレート。これでツーストライクを取り、その後のスライダーで仕留める結の普段のスタイルを選んだのだ。
(外角の真っ直ぐか。これで追い込めれば、私にはスライダーがある。……いやいや、今日に限っては違うでしょ)
ところが結は首を振った。それから菜々花に目で訴える。
(菜々花さん、ここでスライダーを使いましょう。ストライクを取ることだけに関して言えば、確実ではないですけどそっちの方が可能性は高いです。そして最後は真っ直ぐで勝負させてください。せっかくなんですから、練習してきたことに拘りたいです。円川さんが相手なら尚更です)
もちろん万里香がすんなりと凡退してくれるとは思っていない。だがたとえ打たれたとしても、ストレート勝負を貫くことは結自身の現在地を計る上で大いに意義がある。彼女の心意気に、菜々花は胸を打たれる。
(万里香が相手でも関係ありませんってことか。そういう気概は嫌いじゃないよ。じゃあスライダーで追い込んで、決め球は真っ直ぐにしよう。よくよく考えたら、ここで試せないと夏大本番でもできるわけがないからね)
菜々花が意を決してサインを出し直す。結は少しだけ口角を持ち上げて頷いた。
三球目、結の投じたスライダーは外角のやや高めから落ちていくも、ストライクゾーン内に収まる。大きな落差と鋭い切れ味に、流石の万里香も初見では反応できない。
(今のは何? フォークにしては結構な回転が掛かってたし、縦のスライダーってところかな? 見た感じウイニングショットっぽいけど、カウント稼ぎのために使っちゃって良いの?)
万里香は一度見たことにより、スライダーの軌道は概ね把握できた。次にストライクからボールになる投球が来ても、最悪ファールにはできるだろう。ただし今のバッテリーはそれを気に留める必要は無い。ストレートで勝負すると予め腹を括っているのだから。
(ひとまずは筋書き通り。……さあ結、決めるよ!)
(はい! 分かってます!)
結と菜々花が手早くサイン交換を終える。万里香は菜々花が自分の懐に寄ってきた気配を感じ取り、次に来る球を汲み取る。
(……そういうことか。勝負球に真っ直ぐを持ってきたいから、前の一球でスライダーを投げたってことね。どれだけ自信があるのかは知らないけど、それで私を抑えられると思ってるの?)
万里香は獅子の如く目元を爛々と引き締め、結という獲物を捉える。彼女のストレートを粉砕する準備は万端だ。
対する結もセットポジションに入った。飄々とした面持ちを保ち、加速する心音をできる限り感じないようにする。鼻の下に溜まった汗を舌先でさっと拭うと、万里香への四球目を投げる。
「ふん!」
コースはインロー。初球と同じではあるが、その時よりも更に内角を抉っている。ストライクになると思われるため、万里香は打つしかない。腕を畳みながらもスイングスピードは落とさぬよう器用にバットを振り抜き、快音を響かせる。
「おりゃ!」
火の出るようなライナーが三塁線を襲う。抜ければ三塁ランナーがホームインし、楽師館のサヨナラ勝ち。亀ヶ崎は万事休すだ。
「はっ!」
だがここでスーパープレーが飛び出す。サードのオレスが横っ跳びで打球を掴んだのだ。彼女は地面の上で体を一回転させながらも、何食わぬ様子で起き上がった。それからグラブの中に入ったボールを見せる。
「アウト、ゲームセット」
「おお……、ナイスプレー」
これには万里香もオレスを称えるしかない。サードライナーで試合終了。二対二の引き分けとなる。
「オレスさーん! ナイスキャッチ! 最高です! 大好き!」
打たれた瞬間に敗北を覚悟した結は、感激のあまりオレスに抱き着こうとする。オレスは見るからに嫌そうな表情をし、グラブを付けた左腕で彼女を制する。
「ああもう、ベタベタしないで! そういうの良いから。あんたも真裕とかと一緒で、ほんとにうざったいわね。……まあ良いわ。試合は終わったんだし、さっさと挨拶行くよ」
「はーい。すみません」
結は口をへの字に曲げて残念がりつつ、オレスと共に整列へと向かう。先に並んでいた真裕や菜々花が優しく微笑んで迎えてくれた。
「結ちゃん、よく抑えたね! ナイスピッチングだったよ」
「ありがとうございます。でも最後はオレスさんに助けられちゃいました」
真裕の賛辞を素直に受け取れず、結は苦笑いを浮かべる。心の中では、最高に近いストレートを万里香にバットの芯で弾き返された悔しさが渦巻いていた。だがそんな彼女に、菜々花が諭すように言う。
「確かにオレスのファインプレーではあるけど、それは結がきっちりと低めに投げ切ったから生まれたんだよ。少しでも高くなってたら内野の頭を越されてたかもしれない。だからそこは誇って良いと思う」
「なるほど……。一理ありますね。じゃあちょっとは自信にしようと思います!」
菜々花の言葉を聞いて少しばかり蟠りが解け、結の笑顔が晴れやかなものに変わる。万里香との一騎打ちには負けてしまったのかもしれない。しかし最終的には守備陣の協力でアウトにすることができた。彼女が自分の思い通りの投球をしたが故に、導き出された結果である。
「ありがとうございました!」
結は他の誰にも勝る大きな声で試合終了の挨拶をする。第一試合では真裕と結の両者が共に、課題を改善して着実に進歩している姿を見せた。他の投手陣はこの二人に続くことができるのか。
See you next base……




