26th BASE
楽師館との練習試合、第一戦。同点の七回裏から登板した結に対し、先頭打者の大下がヒットを放って出塁する。
《七番サード、長谷川さん》
続いて打席に入った左打者の長谷川は、バントの構えを見せる。亀ヶ崎バッテリーは様子見のため、初球はストレートをアウトコースに外す。
「ボール」
長谷川はバントをする体勢で見送った。楽師館としては一点でも取れば勝利できるため、まずは大下を二塁へ進めておきたいのだろう。
(バントか。簡単には決めさせたくないけど、アウトを一個貰えることで結が投げやすくなるかもしれない。打たれるか抑えるかのシンプルな状況の方が、あの子は力を発揮できるはずだ)
菜々花は素直に送らせたくないと思いつつも、結のことを考えて無理に失敗させようとはしない。二球目は敢えてバントのしやすい外角のストレートを結に投げさせる。
「ピッチャー!」
長谷川は何の苦も無くバットに当てた。マウンドの左に転がったボールを結が捕りに向かう。
「結、ファーストで良いよ」
菜々花は結に一塁でアウトを取るよう指示。大下は刺せないと判断したようだ。
(この前の試合では暴投しちゃったけど、反省して守備の練習もちゃんとやってきたんだ。だから今回は大丈夫!)
結は落ち着いて捕球すると、ゆとりを持って送球動作に入る。ところが一塁方向へと振り向いた瞬間、彼女は目を疑った。
「え⁉」
なんと長谷川が既にベース手前まで来ていたのだ。あまりのスピードに結は慌てて一塁へと投げるも、全くもって間に合わない。送りバントではなく内野安打が記録され、ノーアウトランナー一、二塁とピンチが広がってしまう。
「ええ……、そんなのあり?」
唖然とする結。そんな彼女の元に内野陣が集い、守備のタイムを取る。最初に声を掛けたのは京子だ。
「結、今のは仕方が無いよ。ランナーの足が速かっただけだから。それを気にするより、これからどうするかを考えよう」
「は、はい」
京子の言葉に結が深々と頷く。予期せぬ内野安打にショックは受けているが、自分に非があるわけではないので割り切ることはできそうだ。
その後、菜々花が守備陣形に関して述べる。
「十中八九、楽師館はバントをしてくると思う。ワンナウト二塁ならまだしも、三塁となると厳しい。何とか阻止したいね」
菜々花の意見にその場にいた全員が同調する。外野フライや内野ゴロでも点が入ってしまう可能性があるのは、守っている立場からすると相当苦しい。
「じゃあバントシフトを敷いて、三塁でアウトを取りにいこう。三塁側に転がったら結、それ以外の方面なら私とファーストの嵐で対応する。京子たちはベースカバーをお願い」
「うん。分かってる」
「私たちバッテリーもバントのやりにくい配球をする。結、打球処理を含めてやることが多いけど、大丈夫そう?」
「もちろんです! 任せてください! 中学でも似たプレーはやってましたから」
結は左手で敬礼のポーズを作り、了解の合図をする。菜々花は安心したような不安が増したような複雑な心情になりながらも、ひとまず結の言葉を信じる。
「……なら良かった。ここが上手くいけば相手の流れを断ち切れる。抑える確率もぐっと高くなるはずだよ。今日は引き分け止まりだけど、夏大だったら延長戦があるし、こういう苦しい戦況を何度も凌いで勝機を見つけていかなくちゃならない。その練習だと思って、私たちのできる限りを尽くそう!」
「おー!」
マウンドの輪が解け、内野陣が散っていく。一人になった結は帽子を取って額の汗を拭うと、地面のロジンバッグに指先を付けながら頭と心を整理する。
(私が今からやるべきことは二つ。バントをさせない球を投げることと、もしもバントされたら三塁で刺せるように立ち回ることだ。けどこの二つは混合させちゃいけない。投げる時は最後までしっかり投げ切る。それから守備に回る。でないとファームが崩れて良い球が投げられないからね)
先日の男子野球部戦とは異なり、結はピンチでも冷静になれている。元より中学までで場数は踏んでいるので、こうして窮地に立たされた時の気の持ち方も自分なりに分かっているつもりだ。
《八番センター、東さん》
打席には右打者の東が立つ。彼女は最初こそ打つ姿勢でバットを持っていたものの、結が投球モーションを起こすと同時にバントの構えに入った。
「ボール」
初球はストレートが外角低めに外れる。この一球で、バッテリーは楽師館が送りバントをしてくると確信。それを受けて菜々花が次の配球を考える。
(結の球威なら内の速球で押し込んで、フライを上げさせるのも一つの手だ。けどそれだと逆に良い具合の強さで三塁側に転がされる可能性もある。それならバントされても良いから、私や嵐がいる場所に転がりそうなコースを突く方が良いかな)
菜々花の要求は、アウトコースから中に入ってくるカーブ。承諾した結が東への二球目を投げるのに合わせ、嵐が勢い良くチャージを掛ける。結も素早く三塁側へと駆け出す。
ストレートに照準を合わせていた東は、ややタイミングを外されながらバントする。バットの下面に当たったボールは辛うじてホームベースを越えた。
「オーライ!」
真っ先に動き出したのは菜々花。彼女は素手でボールを掴むと、迷わず三塁へと投じる。自慢の鉄砲肩から放たれた送球が瞬く間にサードのオレスのグラブに収まる。
「アウト」
大下のスライディングも及ばず、送りバントは失敗に終わる。菜々花のファインプレーで、亀ヶ崎はランナーを進ませることなくアウトを一つ増やした。
「やった! 菜々ちゃんバズーカ炸裂だ!」
結が何度もグラブを叩いて拍手する。唐突に技の命名を受けた菜々花は、嬉しさよりも恥ずかしさが勝って思わず顔を顰める。
「な、菜々ちゃんバズーカ?」
「はい! 可愛くてかっこよくて、何か良い感じじゃないですか!」
「そうかなあ……」
菜々花は結のセンスに付いていけず、引き攣った笑いで首を傾げる。ただし今は詳細を気に掛けている状況ではない。
「ま、まあ何でも良いや。結もさっきのカーブは良かったよ。あれなら万が一バスターで来られても打たれなかったと思う」
「本当ですか? ありがとうございます!」
結が忙しく大袈裟に頭を下げる。菜々花は一瞬だけ頬を緩め、すぐに引き締めた。
「けどこれでほっとしないようにね。まだあと二つアウトを取らなきゃいけないわけだから。丁寧に投げようとしているのは伝わってくるし、それを維持して」
「分かりました! 油断せず行きます!」
二人はそれぞれの持ち場へと戻る。兎にも角にも絶体絶命のピンチに陥る事態は免れた。結としてはこれをきっかけにして立て直したい。
See you next base……




