140th BASE
激闘に幕が下りてから四半時が経過した。観客や選手たちのほとんどがグラウンドから撤収し、猟奇的とも言える盛り上がりを見せていた場内も今では閑古鳥が鳴いている。
「皆、これまで共に戦ってくれてありがとう。夏大を二連覇できたのも、今年ここまで勝ち進めたのも、ここにいる仲間や先輩たちの支えがあってのものです。最初にして最後の甲子園で野球できるチャンスを掴めなかったのが心残りですが、その無念は残るメンバーが晴らしてくれると信じて応援しています。本当にありがとうございました!」
奥州大付属は今し方、現チームでの最後のミーティングを終えた。仲間たちに向けて挨拶を述べた舞泉が深くお辞儀をすると、チームメイトのみならず輪の外で見守っていた保護者たちからも拍手が起こる。三連覇、そして真裕に勝つことを目標に戦ってきた舞泉だったが、いずれも叶わず。今日の試合では八回まで無失点に抑えながらも九回に力尽きた。ツーアウトランナー満塁、フルカウントの状況から、前人未到の一三〇キロを計測したストレートを打たれるという幕切れは、怪物と呼ばれた彼女の最期としてこの上なく相応しい。更にサヨナラの一打を放った打者がライバルの幼馴染というのもまたドラマチックで、もはや美しいとさえ言える。
だがそれは外から見ていた者たちの感想に過ぎない。舞泉本人としては美しさやドラマ性など微塵も求めておらず、どんなに不細工でも勝つことが全てだった。振り返ると最後の一球はストレートで良かったのか、終盤の打席では真裕のスライダーを打ちたいと欲張らず、最初からストレートを狙い続けるべきではなかったのかなど、次々と後悔が浮かんでくる。
と言っても実際のプレー中は心が高揚しており、体も熱くなっている。今の心身共に冷静になった状態とは別物だ。とどのつまり舞泉はその瞬間で考え得る最善の選択と行動をし、全力を尽くした末に敗れたのである。
舞泉としては誰かのせいにしたり言い訳をしたりする気は更々無い。己の実力不足を受け入れ、それを糧に次のステージへと進もうと気持ちを切り替えられている。
「舞泉さん……、ごめんなさい。私が打っていれば……」
輪が解けるや否や、姫香が大号泣しながら舞泉の元にやってくる。舞泉は彼女を抱き寄せ、赤子をあやすように優しく語り掛ける。
「折り姫が謝ることなんてないよ。折り姫が後ろにいてくれなきゃ、私はこんな打つことはできなかった。寧ろごめんね。一緒に甲子園の舞台に立たせてあげられなくて。来年こそは頼んだよ」
「……はい。来年は絶対に、絶対に優勝します! うう……」
姫香がしがみつくように舞泉を強く抱き締める。舞泉はそれに呼応して彼女の背中をゆっくりと上下に摩った。
声を上げて泣き続ける姫香とは対照的に、舞泉は静かに目を閉じて姫香の温もりを噛み締める。その表情は非常に健やかで、悲壮感の欠片も無い。優勝しながらも納得できなかった昨年と異なり、今年はエースとしてマウンドに立つことができた。更に敗れはしたものの真裕と互いの限界まで鎬を削った。だから非常に満足はしている。
それから舞泉は他のチームメイトとも会話や抱擁をして回る。多くの者が悔し涙を流す中、彼女を時折笑顔を交えて仲間たちを労っていた。
「イエーイ! 甲子園行けるぞ!」
「これ、夢じゃないんだよね? ちょっと私の頬抓ってみてよ。……痛っ!」
一方、亀ヶ崎の選手たちは仲間同士で嬉しさを爆発させていた。最大の難敵とも言われた奥州大付属を撃破しての決勝進出。加えてその決勝戦は甲子園球場で行えるのだから、燥ぐなと言う方が難しいだろう。
ところが、勝利の立役者である京子の姿が見当たらない。彼女は仲間たちから離れ、日の当たらない場所で休んでいた。小さな段差ができている部分に頭を乗せて仰向けで寝そべり、顔を濡れたタオルで覆ってぐったりとしている。延長含めた九イニングを戦い抜き、最後の打席の打席は極限まで集中力を高めていたことで、気力も体力も使い果たしてしまったみたいだ。
「あらら、京子ちゃん大丈夫?」
心配して様子を見にきた真裕が京子の左横に座る。京子は疲弊し切った気怠い声で受け答える。
「……大丈夫だったらこんな風になってないでしょ。ウチだってできることなら皆と一緒に騒ぎたいわ」
「え、そうなんだ。あんまりそういうことしないんだと思ってた」
普段の京子ならば、勝利した試合の後でも誰かと喜び合うことはせず、隅でスマホゲームをしていることが多い。これは小学生から変わっていないため、真裕にとっては見慣れた光景だった。
「まあ今日くらいはね。相手が奥州大付属だったし、ウチが打って勝ったわけだから。それに何より……」
「何より?」
一度口を噤んだ京子に真裕が尋ねる。京子は考え込んだのか気を抜いていたのか分からない妙な間を空けてから答える。
「……怪物か何だと持て囃されてる小山に勝てたことが嬉しいの」
「ああ、なるほど。私も舞泉ちゃんに勝ててとっても嬉しい! 京子ちゃんのおかげだよ。ありがとう!」
真裕が満面の笑顔を京子に向ける。京子は僅かにタオルを持ち上げて左目だけで真裕の表情を確認する。しかし何かリアクションすることはなく、その流れで二人とも暫し黙り込んだ。
夕方に差し掛かったことで幾分か暑さは和らいでいた。涼やかな風が吹き抜け、二人にも爽快感を齎す。すると京子が沈黙を破って徐に口を開く。
「……ねえ真裕。真裕はどうして……」
「え? 何か言った?」
ぼんやりと前を見つめていた真裕が、軽く頬を持ち上げて京子の方を向く。どうやら京子の言葉は耳に入っていなかったようで、彼女は最初から話を聞こうとする。
「……何でもない。そろそろ戻ろうかって言おうとしただけ」
しかし京子が改めて質問することはなかった。彼女は立ちくらみを起こさないよう慎重に体を起こし、真裕と目を合わせて薄らと笑う。真裕は少し首を傾げながらも微笑み返す。
「そうだね。行こっか」
二人が同時に立ち上がる。京子は体の火照りが冷め、ある程度体力が回復したはずだが、その頬はまだ若干赤い。暑さとは違う何かのせいだろうか。
(……ウチは何を馬鹿げたこと聞こうとしてるんだろ。疲れてるのかな? 真裕がウチと一緒にいてくれる理由なんてどうでも良い。まあ一つ言うならば、ウチが真裕と一緒にいたいと思ってるように、真裕もウチと一緒にいたいと思ってくれてれば良いな)
この大会が終われば、少し先の未来で真裕も京子も次のステージを進むこととなる。だがそれ以降も可能な限り二人で繋がっていたい。そして真裕も自分と同じように考えていてくれたら嬉しい。そんな慕情にも似た想いを、京子は胸に仕舞っておくのだった。
See you next base……