132nd BASE
八回の攻防でも両チームは得点を奪えなかった。そして九回のマウンドにも真裕が上がる。
(去年はこのマウンドに上がれなかったけど、今年は立てた。それは私自身の力で勝利を手繰り寄せられると同時に、逆に言えば私次第で試合が壊れてしまうことだってある。……だけど、その責任を背負ってこそのエースなんだ)
過去と今の立場の違いに、真裕は喜びを噛み締める。しかしその喜びは、彼女、そしてチームを奈落に突き落とす絶望へと変貌を遂げる危険性も秘めている。喜びを喜びのまま感じ続けるためには抑え抜くしかないのだ。
《九回表、奥州大付属高校の攻撃は、一番センター、坂口さん》
九回表は一番の坂口から始まる。裏の亀ヶ崎が七番からの攻撃であることを考えると、この回の攻防は奥州大付属に分があるか。
「よろしくお願いします」
坂口はバットを立てて構える。初球はツーシームが低めに外れた。彼女が打つ姿勢で見送ったため、菜々花は送りバントの可能性は薄いと見る。
(バントはしてこないのか? バッターが坂口だし、この回はダブルプレーが無ければ小山にも回る。それを踏まえてバントは要らないって考えたのかもしれない。それならこっちはランナーを進ませずに一つ一つアウトを取っていこう)
二球目、亀ヶ崎バッテリーはアウトコースのストレートでストライクを取ろうとする。だが坂口はこれを打ち返した。
「ファースト!」
速い球足のゴロが一二塁間を襲う。ファーストの嵐は反応良く跳び付いたが、一塁ベースに就いた位置からスタートしたため距離を稼げない。彼女のグラブは届かず、打球はライトに抜ける。
「ストップ、ストップ!」
二塁ランナーは三塁をオーバーランしたところで止まった。ライトを守る紗愛蘭の肩を考慮し、本塁突入は諦める。
「よっしゃあ! さあさあ点取るよ!」
打った坂口は一塁ベース上で手を叩き、自軍ベンチに檄を飛ばす。真裕がストライクを取りにきた球を逃さず捉え、本日二安打目を放つ。
これでノーアウトランナー満塁。タイブレークのランナーを含んでいるとは言え、奥州大付属がこの試合最大のチャンスを迎える。
「内野、ここはセカンドゲッツーで良いよ! アウトを増やすことを優先しよう」
菜々花は内野陣を前には出さず、二塁での併殺を狙う守備隊形を敷く。自分たちの攻撃にもタイブレークのランナーがいるため、必ずしも一点に拘らなくても良い。それよりも無理をして失点を増やすことを避けたい。
《二番ショート、横川さん》
打席に二番の横川が入る。真裕はロジンバッグを触るついでに、野手の守備位置を確認する。
(一点はやっても良いってことか……。そりゃ点を取られたくはないけど、状況を考えたら仕方無いと思うしかない。勝つために今の私がやるべきことは、最少失点で切り抜けることだ。去年みたいにビッグイニングを作らせるわけにはいかない)
エースの役目はチームを勝たせること。自分の意思やプライドに囚われてはならない。そう自分に言い聞かせ、真裕は横川への投球に向かう。
初球は外角のカーブ。ストレートを待っていた横川はあっさりと見送る。
「ストライク」
積極性が目立つ横川だが、ここは少し慎重になっているみたいだ。この是非はどちらとも言えない。しかし菜々花は自分たちにとってチャンスだと考える。
(これは真っ直ぐ以外は打ってこないな。なら次もカーブを使おう)
二球目。菜々花の思った通り、横川はカーブを打ってこなかった。低めへのストライクとなってバッテリーが二球で追い込む。
三球目、菜々花はストレートのサインを出すと、中腰になって高めのボールゾーンにミットを構える。カーブが二球続いたため一旦ストレートの軌道を見せて目先を変えておき、次のスライダーで三振を奪おうと考えた。無論、このストレートに空振りしてくれるのなら尚良い。
ところが真裕は頷くのを躊躇う。菜々花の意図は理解できるが、そもそも一点は与えても良いから併殺を取ろうとしているのではなかったか。この矛盾が引っ掛かったのだ。
「真裕!」
菜々花は真裕が違和感を感じていることに気付き、咄嗟にプレートを外すように言う。それからタイムを取って彼女の元へと行く。
「何か気になることでもあった?」
「……うん。ここは一点は良いからダブルプレーが欲しいって話だったのに、菜々花の配球が如何にも三振を取ろうとしてるから、あれ?って思って。高めだとバットに当たれば外野まで飛ばされる可能性も高いし、それなら徹底して低めを突くべきじゃないかな?」
「あ、そういうことね。確かにダブルプレーは欲しいけど、一点を上げても良いっていうのは、一点は必ず取られると諦めてるわけじゃないよ。無失点で抑えられるチャンスがあるのに、それを自分たちから手放す必要は無いでしょ」
横川を三振に仕留め、次の舞泉で併殺が取れれば、奥州大付属に一点も入ることなく攻撃を終わらせられる。舞泉の併殺について期待を抱くのは早計だが、少なくとも横川は追い込めており、三振を狙うことは決して“無理”ではない。
「……そっか。じゃあ三振を奪いにいこう! 横川さんも、舞泉ちゃんも!」
真裕はそう言って爽やかに笑ってみせる。曇り掛けていた瞳が透き通り、その奥から輝きが放たれる。菜々花としては舞泉を三振に取る話はしていないが、そこまで言ってしまうのもまた真裕らしいと感じて自然と口元が緩む。彼女の言葉を否定する気には全くなれない。
「……分かった。それをやれるだけの体力は残ってるよね?」
「もちろん! まだまだ元気だからね」
真裕からの活きの良い返事を聞いた菜々花は、彼女の左肩をミットで軽く叩いてマウンドを後にする。自身のポジションへと戻ってマスクを被り、改めて先ほどと同じサインを出す。
(見せ球ではあるけど、空振りさせるつもりで投げてきて。そうしたら横川はきっと手が出る)
(了解!)
サインに頷いた真裕がセットポジションに入る。彼女はゆっくりと足を上げて自分の間合いを作った後、全力で右腕を振り抜いた。
ストレートが高めのボールゾーンを進む。横川は見極めなければならないと分かってはいたものの、三振を逃れるため早く打球を前に飛ばしたい気持ちを抑えられず、バットを振ってしまう。
「スイング、バッターアウト」
ストライクを見逃し、最後はボール球に手を出した横川。これでは打てるはずがなかった。空振り三振でランナーが動けずワンナウトとなる。
「ナイスボール! ワンナウト!」
菜々花は右手の人差し指を立てて真裕に見せる。真裕も同じ仕草をしながら、彼女からの返球を受け取る。
「ワンナウト! 次も抑えるよ!」
九イニング目に入って体力的にも苦しくなってくる真裕だが、今の一球を見る限りではストレートに力はある。これなら舞泉相手でも通じるはずだ。
See you next base……