125th BASE
試合はスコアレスのまま六回表に突入。ワンナウトから一番の坂口がセンターへのヒットで出塁する。
《二番ショート、横川さん》
俊足の坂口がランナーに出ているため足を絡めた作戦も仕掛けられるが、打席に立った横川はバントの構えを見せる。後続に舞泉や姫香が控えており、奥州大付属としてはどんな形でもチャンスで彼らに回したいのだろう。
「オレス、前に出てきて良いよ」
菜々花がオレスを手招きして前進させる。バスターの可能性も頭にいれておかなければならないが、たとえ横川が打ってきても引っ張れないと考えたのだ。
初球、真裕は外角にツーシームを投じる。横川はバントしていくも、上手くバットに当てられず後方へのファールになる。
「どんまいどんまい! 焦らず落ち着いていこう!」
奥州大付属ベンチから横川を鼓舞する声が聞こえてくる。戦局を左右する重要なバント。亀ヶ崎も何とか阻止しようと動いてくるため、彼女には相当なプレッシャーが掛かっている。
「ふう……。大丈夫、大丈夫」
横川は自分に呪いを掛けるかのように呟く。心臓は荒ぶり、足は竦む。それでも必ずバントを決めると強い気持ちを持って打席に入り直した。
二球目、横川の膝元にストレートが来る。彼女は咄嗟に臀部を落として高さを調節し、最後は及び腰になりながらもバントを行う。
「キャッチ!」
ボールは本塁の右前方に転がった。捕球した菜々花が一旦は二塁を見るも、アウトにはできないと判断して一塁に送球する。
「アウト」
「……おし。良かった……」
横川の心音が瞬く間に静まる。安寧の表情を浮かべてベンチに帰った彼女を、チームメイトはまるでホームランを打ったかのように礼賛する。
「横川、ナイスバント!」
「よく決めたよ! 凄い!」
重圧を押し退けて横川がきっちりと送りバントを決め、奥州大付属がツーアウト二塁のチャンスを作る。そして既に騒めく場内に、彼女の打席がコールされる。
《三番ピッチャー、小山さん》
地震でも起きるのではないかと思えるほど、球場が大歓声に包まれる。間違いなく今日一番の盛り上がりを見せる中、真裕と舞泉は三度目の対戦を迎える。
「タイム」
ここで菜々花が一度マウンドに赴く。答えは分かっているが、真裕に一つ聞いておきたいことがあるのだ。
「ここは一塁が空いてるし、歩かせちゃうのも有りだね。真裕はどうしたい?」
冷徹に状況だけを考えれば、舞泉を敬遠して姫香と勝負するのも一つの手だ。長短打に関わらず安打を放つ確率は姫香の方が低く、真裕としても舞泉に比べて打ち取りやすいだろう。無論、菜々花は真裕がその選択をするとは思っていない。
「……ああ、確かにそうだね」
意外にも真裕は悩む様子を見せた。思ってもみなかった反応に、菜々花は戸惑う。
「え、まさか迷ってるの? 嘘でしょ?」
「それは……」
真裕が言葉に詰まる。舞泉との決着を付けたい気持ちよりも、チームの勝利を優先させるべきではないかという考えが浮かんでいたのだ。
「いやいや、ちょっと待ってよ。今更そんな真裕らしくないこと言わないで。日本一なることだけじゃなくて、小山を倒すことも目標にここまで頑張ってきたんでしょ」
菜々花は呆れたように笑いながら言う。それから煮え切らない態度を示すエースの胸にミットを押し当て、やや語調を強めて続けた。
「真裕が勝負したいんだったら勝負しよう。私はこんなところで遠慮する真裕なんて見たくない。それに私は、真裕が小山に打たれるなんて微塵も思ってないから。真裕だって打たれる気は無いでしょ」
「菜々花ちゃん……。……ふふっ、そうやって言われたら勝負するしかないじゃん。自分から歩かせるかって提案してきたくせに」
真裕の表情が独りでに緩む。それと鏡合わせになるかの如く、菜々花も白い歯をくっきりと見せる。
「……で、どうする?」
「もちろん勝負したいに決まってるじゃん。……やるよ、菜々花ちゃん!」
「ああやろう、真裕!」
思わぬ遠回りをしたが、バッテリーは舞泉と勝負する決断を下す。菜々花がマウンドを後にして試合再開となる。
《バッターは、小山さん》
改めて名前を呼ばれ、スタンドから大きな拍手を浴びて舞泉が打席へと向かう。真裕は一度センターを向き、ボールを両手で捏ねながら覚悟を決める。
(舞泉ちゃんだからって意識しないようにしてたけど、ここで勝負を避けたら絶対に悔いが残る。菜々花ちゃんのおかげで心置き無く勝負できるよ)
残すは二イニング。もしここで一点が入れば、そのまま決勝点になり得る可能性は大いにある。中途半端な心持ちで投げようものなら、間違いないと断言できるほど痛打を食らうだろう。
「よろしくお願いします」
球審に挨拶をして舞泉が打席に立つ。真裕との因縁に終止符を打つには相応しい場面で打順が回ってきたことに、この上ない幸せを感じている。
(ここで点を取って、後は私が抑えて勝つ。因みに勝負しないなんてことないよね?)
舞泉は横目で菜々花の位置を確かめる。キャッチャースボックスの中心に腰を下ろしており、敬遠されることはなさそうだと悟る。
(……良かった。話し合いがちょっと長かったから心配になったけど、真裕ちゃんならここで逃げるわけないよね)
真裕が舞泉の方を振り返り、二人が対峙する。その初球、外角のツーシームに舞泉が大きなスイングを繰り出す。
しかし空振りとなった。真裕も舞泉も共に小さく息を漏らす。
(舞泉ちゃん、思い切りバットを振ってきたな。確実にヒットを打とうなんて考えてないんだ……)
舞泉のスイングを見て、真裕の心拍数が跳ね上がる。過剰な意識はしない、普段通りに投げようと心掛けていても、結局体は正直に反応してしまうようだ。これまでの軌跡を思い返せば興奮しないはずがない。
二球目はインコースのストレート。脇腹を抉られた舞泉は、真裕に背中を向けて避ける。
初球でストライクが取れたことを活用し、真裕はボールゾーンで内角を突いた。ボール一個分でも中に入れば舞泉にとって強い打球が打てる絶好球となってしまう。極僅かなコントロールの違いが、勝負の明暗を分ける。
三球目、真裕がアウトコースのカーブを投じる。舞泉はタイミングを崩されず手元まで引き付け、レフト線沿いに高い弾道の飛球を打ち返す。
「レフト!」
栄輝が左斜め後ろに走って追い掛けるも、打球は地面に弾んだ。ただしその落下地点はファールゾーン。先制のタイムリーとはならない。
「……惜しい。ちょっと待ち過ぎたかな」
舞泉は一塁を回ったところで折り返し、残念がりながら打席へと戻っていく。対する真裕は平然とした顔で球審から新しいボールを受け取っていた。打球が飛んだ瞬間の角度からファールになることは何となく分かっていたみたいだ。
(外角のカーブを反対方向にあそこまで飛ばせるなんて、やっぱり舞泉ちゃんはパワーも凄いね。けど結果的には私たちが追い込めた。今のところは順調に来てる)
カウントはワンボールツーストライク。真裕としては今日まだ投げていないスライダーを使う状況が整った。だが舞泉もそれを打ち返そうと待ち望んでいる。勝負の行く末や如何に……。
See you next base……