119th BASE
一回裏、亀ヶ崎は舞泉の前に一、二番が三球三振を喫する。三番の紗愛蘭はストレートへの対応力は示したが、最終的にはカーブを打たされてショートフライに倒れた。
「うーん……。紗愛蘭さんでも打てないか」
ベンチの結は紗愛蘭がアウトになったのを見て、太い眉を顰める。その傍らでは春歌がグラブを持ってどこかへ行こうとしていた。
「ん? 春歌さん、どうかしたんですか?」
「どうもしない。ブルペンに入るだけ」
「もう? まだ初回終わってばかりですよ。真裕さんだって調子良さそうだし……」
結は首を傾げて春歌に問う。今日の真裕の出来を考えると、早急に継投が必要になるとは到底思えない。
「そんなの関係無い。ミーティングで言われたでしょ。今日の試合はどんどん人を注ぎ込んでいくかもしれないって。だからいつでも行けるよう、早めに準備しておくの」
さも当然かのように、春歌は淡々と答える。結は尤もな言い分だと納得する反面、春歌の口調に何となく違和感を覚える。
「……確かにそうですね。春歌さんの言う通りです。じゃあ春歌さんが肩を作れたら、私も準備に入ります」
「そうするべきだと思う。私もできるだけ早くブルペンを空けられるようにしておく」
春歌がそう言い残してブルペンに走っていく。結はその足の運びがいつもより急いている気がしながら、彼女の背中を見送った。
《二回表、奥州大付属高校の攻撃は、四番セカンド、折戸さん》
試合は二回に移る。この回は二年生の折戸姫香から奥州大付属の攻撃が始まる。左打席に入った彼女は、幼子のように元気良く球審に挨拶する。
「よろしくお願いしまーす!」
姫香は前回大会も一年生ながらレギュラーとして出場。その時は下位での起用だったが、今大会は何と舞泉を差し置いて四番に座っている。荒々しい豪快なスイングが魅力で、空振りを一切恐れぬ積極性も相まって相手投手を震え上がらせる。一方で小柄な体型と耳の上で括ったツインテールが似合う容姿は可愛らしく、チームメイトからは”折り姫”という愛称で親しまれている。
初球、真裕が低めのカーブを投じる。ワンバウンドしそうな投球だったが、姫香は構わずフルスイングする。ただしバットには当たらない。
「良いよ折り姫! どんどん振っていこう」
奥州大付属ベンチには姫香の空振りを非難する者は一人もいない。舞泉に至っては軽く手を叩いて賞賛している。
姫香はバットを振るだけで投手にプレッシャーを与えられる。真裕も彼女のスイングに圧を感じていた。
(折戸ちゃん、一年前と全然変わってないね。一発で試合が決まる可能性だってあるし、気を付けないと)
真裕は去年も姫香と対戦しており、初の顔合わせとなった第一打席でヒットを打たれている。その際はバットの芯を外してゴロを打たせたものの、あまりの打球速度に内野手が追い付けず結果的に外野へと抜けてしまった。そんな姫香のパワーに真裕は驚愕し、以降の二打席は打球が前に飛ばないよう三振に抑えている。
二球目、真裕は外角のボールゾーンへと逃げるツーシームを投じ、空振りかファールでカウントを稼ごうとする。しかし姫香は手を出してこなかった。真裕は少し驚いたように口を窄める。
(おお、これはバットが止まるのか。前は何でもかんでも振ってしていたように見えたけど、成長したみたいだね)
姫香はこの一年で、打ちにいくべき球かどうかを選択する力はそれなりに身に付けてきたようだ。ボール球ばかり投げていては抑えられないだろう。
三球目はインコースのストレート。これはストライクゾーンに入っているため姫香は打ちに出たものの、空振りとなった。彼女のスイングで起こる風は、マウンドの真裕まで届きそうだ。
(本当にとんでもないスイングだな。バットに掠っただけでも凄い打球が飛びそう)
ツーストライクとはなったが、姫香がスイングを変えてくることはまず考えられない。真裕としてはバットに当てさせたくないので、初球のようなボール球を振らせにいくのだろうか。
四球目、真裕の投球はアウトローを勢い良く直進する。セオリーに反してストレートを投じたのだ。
「へあっ!」
フルスイングで応戦する姫香。しかし彼女のバットから快音は響かず、代わりに菜々花のミットから乾いた布の音がする。
「バッターアウト」
「むう……」
姫香はバットを振り抜いた体勢で大きく頬を膨らませる。真裕は技で躱すのではなく、姫香を力で捻じ伏せた。これには投げた本人も思わず拳を握る。
「ナイスボール。良いね真裕!」
ショートから京子が拍手を送る。彼女は姫香の引っ張った打球に備えて予め二塁ベース寄りに守っていたため、投球内容はほぼ正面から見えていた。それだけに真裕の姿は非常に勇敢に映る。
「あー、打てなかったあ……」
対して三振に倒れた姫香は、ベンチに戻ると悔しそうに嘆いた。そんな彼女を舞泉が慰める。
「どんまい折り姫。良いスイングだったよ。真裕ちゃんも投げ辛かったと思う」
「でも打ってなかったから残念です。追い込まれてから変化球を意識し過ぎました……」
「今日の真裕ちゃんは真っ直ぐに自信を持ってるみたいだからね。これでまだスライダーもあるし、この後の打席も楽しみだよ」
舞泉は不敵な笑みを浮かべてマウンドに目をやる。真裕が快投を見せるほど、彼女の胸は躍る。
姫香を切った真裕は、その流れのままに後続の二人を打ち取る。いずれの打者もストレートで詰まらせた。
二回裏。亀ヶ崎の攻撃は四番のオレスから始まる。
(小山の真っ直ぐが速いことは分かった。だとしても私には関係無い。誰が相手でも打ち砕くだけよ)
初球、インローへのストレートにオレスが手を出す。しかしバットは空を切った。
オレスは昨秋に亀ヶ崎へと編入したため、前回の奥州大付属との戦いは知らない。対する舞泉もオレスについては詳しくないが、今大会の活躍ぶりは見ている。対戦を楽しみにしていた打者の一人だ。
(オレスちゃん、良い振りしてるねえ。プレーしてる姿には雄々しさが感じられるし、こういう選手を抑え込むと気持ち良いんだよ)
舞泉は二球目も内角のストレートを投じる。今度はオレスが打ち返した。
「セカン」
打球は一二塁間へ。オレス得意の流し打ちかと思われたが、あくまでも振り遅れただけだった。勢いの無いゴロが転がり、セカンドの姫香が処理する。
「ちっ……」
オレスは一塁を駆け抜けた先で舌を打つ。彼女でさえもストレートに押し込まれ、亀ヶ崎は早くもワンナウトが取られる。
See you next base……