117th BASE
「集合!」
バックスクリーンの時計が正午過ぎを示し、球審が両チームを本塁に呼び寄せた。決戦の火蓋が切られる。
「ただいまより、亀ヶ崎高校対奥州大学付属高校の試合を始めます」
「よろしくお願いします!」
観客席から期待と興奮の詰まった拍手が鳴り響く。その中で後攻の亀ヶ崎の選手たちが先に守備に就いた。マウンドに登った真裕は投球練習を済ませると、一度センター方面に振り返って目を開けたまま深呼吸をする。
(いよいよだ……。何よりも大事なのは平常心で投げること。相手が誰かなんて気にせず、とにかく目の前のバッターを一人一人打ち取っていくんだ)
真裕はそう自分に言い聞かせる。舞泉が三番に入っているため初回から打席が回ってくるものの、それよりもまずは前の打者を抑えることに集中する。
《一回表、奥州大付属高校の攻撃は、一番センター、坂口さん》
奥州大付属の一番打者、坂口が右打席に入る。晴れ渡る空の下、手早くサイン交換を終えた真裕はゆっくりと振りかぶり、一球目を投じる。
「ストライク」
外角にストレートが決まる。坂口は左足を上げてタイミングを取っていたものの、様子見のためかスイングしようとしなかった。
(プレイボール初球からしっかりとストライクを投げ込んできたな。立ち上がりに不安があるようなピッチャーじゃないし、攻略するには自分たちから風穴を空けていくしかない。早めに点が取れるに越したことはないけど、それが難しいってことは昨日のミーティングで話してる。私は糸口を見出せるよう、焦らずじっくりプレッシャーを掛けていこう)
奥州大付属打線は、舞泉の他にも実力者が並んでいる。この坂口は追い込まれてからも中々アウトにならないしぶとさが持ち味な上、塁に出れば投手を掻き乱す走力がある。彼女の存在が舞泉を初めとした他の選手を際立たせている。
二球目も真裕はストレートで押す。今度はインコースを突いたものの、低めに外れた。
「ボール」
坂口は労せず見送る。球筋がきっちりと追えているようで、菜々花からすると快くは感じない。
(奥州大付属との対決だから真裕は力が入ると思ってたけど、普段の感覚で投げられてるみたいだね。それでも坂口は良い見逃し方をしてるし、初回だからと力で押し込もうとするのは危険かも)
三球目。亀ヶ崎バッテリーはアウトコースのカーブでタイミングを崩そうとする。坂口はまたもやバットを振らなかったが、判定はストライクだった。これでバッテリーが追い込む。
(坂口は積極的に打ってくるタイプじゃないし、ここまでスイングしてないのも不思議じゃない。ただそれは彼女が落ち着いて試合に入れてる証拠とも言える。確か坂口は去年の試合でもスタメンだったし、大舞台での経験もある程度積んでそうだな)
四球目、菜々花は外角低めのストレートを要求する。真裕が際どいコースに投げ込んだものの、坂口はバットに当てた。一塁側ベンチ上へのファールとなる。
(何とかカットできたけど、柳瀬はコントロールも球威も抜群だな……。調子に乗せればもっと上がってくると思うし、私が食らい付く姿勢を見せないと瞬く間にアウトを重ねられちゃうぞ)
打球の行方を見届けながら、坂口は大きく息を漏らす。いきなりの根競べとなっているが、真裕を打ち崩すにはこうした粘りを繰り返していくしかない。
五球目、低めに落ちるカーブに、坂口はバットを出しかけて止める。真裕たちがハーフスイングを主張するも認められず、ツーボールツーストライクとなる。
(最初のアウトはできるだけ早く欲しいけど、そう上手くはいかないか……。先のことを考えたって良いこと無いし、私は慌てず投げ続けないと)
煩わしさを覚える真裕だが、感情的にならないよう自らを律する。六球目は前の球との緩急を利かせて坂口の胸元にストレートを投じる。
「くわっ!」
坂口が歯を食いしばって打ち返す。だが窮屈なスイングを強いられてバットの芯で捉えられず、鈍い音と共に力無い飛球が上がる。
「ショート」
「オーライ」
京子が二塁ベースの前方で落下点に入り、打球をグラブに収める。多少手間取ったものの、真裕は坂口を打ち取って今日一つ目のアウトを取る。
「おし、ナイス京子ちゃん」
「こんなの楽勝だよ。真裕もナイスピッチ」
真裕と京子が微笑みを交わす。一つ打球を処理したことで、京子の緊張も少しばかり和らぐ。
《二番ショート、横川さん》
続いて打席に入ったのは二番の横川。彼女は坂口と違って積極的にバットを振ってくる右打者である。
初球、真裕は真ん中やや内寄りにツーシームを投じる。手を出してきた横川のバットの下面に引っ掛け、ゴロを打たせた。
「ショート」
これまた打球は京子の元へ。彼女は三遊間に動いて逆シングルで捕球すると、素早く体を切り返して一塁に投げる。
「アウト」
送球はショートパウンドしたものの、嵐が巧みなグラブ捌きでカバーした。一瞬肝を冷やした京子は事なきを得て安堵する。
「危な……。良かった」
ともあれツーアウト。真裕は一、二番に出塁を許さず、舞泉との対戦を迎える。
《三番ピッチャー、小山さん》
舞泉の名前がコールされるや否や、球場が大歓声に包まれる。これまでの活躍ぶりを知っている者ならば、彼女が打席に立つ姿を見るだけで高揚感を覚える。
それは真裕も同じだった。舞泉を目前にした瞬間、自らの心音が無意識に速まっていることに気付く。
(舞泉ちゃん……)
真裕はすぐには菜々花とのサイン交換を行わない。このまま勝負に入ると舞泉への過剰な意識でリズムを崩しかねないと感じ、一旦間を空けたかった。
(……よし)
心臓の動きが落ち着き、真裕はプレートを踏んで改めて舞泉と対峙する。観客たちの多くが、二人の対決を目を凝らして見守る。
初球は低めのストレートがストライクとなる。舞泉は久々に見たライバルの投球を堪能するかのように、一時たりとも目線を離さずに見逃す。
(ふふっ、去年よりも良い球を投げてるみたいで安心したよ。こうでなくちゃ面白くないからね)
バットを構え直す舞泉の口元は薄らと笑っているように見える。これが怪物の余裕か。まずはこの笑みを消さない限り、彼女を倒すことできないだろう。
二球目、真裕はストレートでインコースを抉る。舞泉は動じることなくバットを出して打ち返す。
「ファール」
引っ張った打球は痛烈なゴロとなったものの、一塁線の外側を転がっていった。真裕が二球で舞泉を追い込む。
(真っ直ぐを続けて、次は何を投げてくるのかな? スライダーでも良いんだよ)
舞泉は楽しそうに配球を考える。対する真裕はすんなりとサインを決め、速いテンポで三球目の投球を行う。
投じられたのは再びストレート。アウトロー一杯を貫き、菜々花のミットに収まった。
「おお……」
強気の三球勝負に、舞泉は思わず見送ってしまう。球場全体が一瞬静かになった後、球審が判定を下す。
「ストライクスリー。バッターアウト」
見逃し三振。一塁側のスタンドからは溜息、三塁側のスタンドからは歓声が聞こえてくる。
投げ終えた真裕は口を真一文字に結び、舞泉に目を向けることなくマウンドを降りていく。一方の舞泉は表情を変えず、真裕の姿を暫し見つめてから打席を後にする。
See you next base……