101st BASE
四回表、紗愛蘭とゆりのヒットでチャンスを作った亀ヶ崎は、ツーアウトランナー一、三塁からダブルスチールを仕掛ける。しかしセカンドの里山の好プレーもあって失敗。またもや同点に追いつけない。
ゆりがいくら当たっているとは言っても、得点のためには主砲の一打が欠かせない。当のオレスは紗愛蘭がアウトになった瞬間をベンチで見届けると小さな溜息を漏らし、神妙な面持ちで守備位置へと向かう。
(さっきの打席は理想的に近い右打ちができた。だけどそれをキャッチされた。私よりもデータの方が上回ってるってこと……?)
オレスはかなり大きなショックを受けている。自分の実力ならデータなど関係無いと思っていたが、得意のバッティングでも打ち破ることができなかった。そうなると次はどうするべきか分からなくなる。
(やっぱりあれだけ右に野手を固められている以上、人のいない左に打つべきなのか? でも私の力ではレフトを越えられない……)
シフトの穴を突こうとしても成功するビジョンは浮かんでこない。そもそもオレスが高い右打ち技術を身に付けたのは、自らのパワー不足を補うため。彼女はがっしりとした体型をしているものの、背丈は日本人と比べても平均以下となっている。故にバットの芯で捉えた打球も外野の頭を越せずに捕れられてしまうことが多かった。そうした経験から自分は真正面から長打を打つのは難しいと考えるようになり、今のバッティングスタイルを確立したのだ。
だがその特徴はデータとして顕著に現れ、鯖江戸はレフトを前に出しても問題無いと判断した上でオレスに対するシフトを構築。ここまではそれが見事に機能し、彼女を迷宮に迷い込ませている。
「サード!」
オレスが悩んでいる間にも試合は進んでいた。四回裏、先頭の平が二球目を三遊間に弾き返す。それほど勢いの無いゴロだが、オレスの反応が遅れる。
(……しまった)
慌てて動き出したオレスはグラブを伸ばすも、打球には僅かに届かない。その奥でショートの京子が捕球し、一塁に送球する。
「セーフ」
しかし間一髪で間に合わず、内野安打で平が出塁する。オレスが処理できていればアウトにできていただけに、本人からすれば拙い守備となった。
(何やってるんだ。試合中だぞ。目の前のことに集中しろ)
オレスはバックスクリーンを見ながら下唇を噛み、自らを叱咤する。その表情はセンターのゆりからよく見える。
(ちゃんオレったら、また怖い顔してる。そんなんだと勝利の女神も近寄れなくなっちゃうよ)
ゆりはオレスを案ずる。これまで何試合もネクストバッターズサークルから彼女の打席を見てきたが、ここまで苦戦している姿は初めて。オレスが今日一度でも出塁できていれば自分の一打で得点できていたかもしれず、ゆりとしてももどかしさを感じる部分がある。
《四番センター、片山さん》
打席に立つのは片山。初回は味方が一点を先制して尚もチャンスという場面で、空振り三振に倒れてしまった。祥が立ち直るきっかけを作ったとも言えるだけに、その雪辱に燃えている。
(追い込まれてからスクリューを良いコースに投げられると打つのは難しい。だからその前に捉えたい。有村には珍しくインコースの真っ直ぐを使わなかったみたいだけど、そう何人も同じことはできないでしょう。私には必ず投げてくる)
マウンドの祥が一球目を投じる。低めにワンバウンドするカーブを片山は微動だにせず見送った。菜々花が体に当てて前へと弾くも、一塁ランナーの平は動かない。
(緩い球に全く反応しなかったな。真っ直ぐを待ってるということか? おそらく有村への配球は耳に入ってるだろうし、敢えて狙っていても不思議じゃない。もう一球変化球で様子を見てみよう)
一度牽制を挟んでからの二球目。バッテリーはカーブを続ける。菜々花は真ん中で捕球したものの、球審からはボールと宣告される。片山の前を通った時点では高かったと判断されたのだ。
(これボールなのか。厳しいな……)
祥の表情が仄かに歪む。二回、三回とテンポ良く投げられていたが、この回はランナーを出したことでリズムが変わった。その影響で若干ながら制球も乱れているようだ。実際に二球目は真ん中低めを狙った投球が高くなっている。
これでボールが二つ先行。四番打者を相手にバッテリーは苦しくなる。
(真っ直ぐが狙われてるからと変化球を投げさせたのが裏目に出たか。これで片山は確実に真っ直ぐに張ってくる。もう一回変化球を使っても良いけど、ボールになれば勝負をしないまま自分たちで首を絞めることになる。そうなるくらいなら打たれた方がましだ)
三球目、菜々花は片山の臍の辺りにミットを構えた。外角で大事にストライクを取りにいくことも考えたが、それでは後に続かない。反対に強気の姿勢を見せれば相手を怯ませることができる。
無論、祥が首を振ることなどない。かつて彼女はイップスを発症し、思うようなピッチングができず踠いていた。先が見えずに後ろ向きな思考になることも幾度となくあった。
そんな果てなき苦しみを乗り越えられたのは、自分を野球の世界に引き入れてくれた真裕や京子たちと並んで活躍したいという気持ちを持ち続けていたから。そして迎えた最後の夏大で、祥の想いは成就しようとしている。そんな時に弱気になっていられない。
(バッターが内角のストレートを待っているのは、私でも何となく分かる。けどそれが何だって言うんだ。真裕はバッターが分かっていても打てないようにスライダーを磨き抜いて、ここぞという場面でも当たり前に投げてる。私だって……)
祥がセットポジションに就く。ランナーがいるためクイックモーションでの投球となり、通常よりも力が出しにくい。それでも彼女は今できる全力で左腕を振り抜いた。
放たれたストレートは菜々花のミットを目掛けて一直線に突き進む。素晴らしい投球であることは間違いないが、片山としては待ち侘びた一球。彼女は肘を畳んだスイングで素早く腰を回転させ、快い音を奏でる。
「センター!」
左中間を強烈なライナーが襲う。打球の質は先ほどのオレスのものとほぼ同じ。抜ければ大ピンチ、下手をすれば一塁ランナーが還ってきてしまう。
See you next base……