第2-7話 絡め手の蛇
「食べさせあい……?」
意味が分からず俺は首をかしげた。
そりゃそうだ。
だって俺は記憶を無くしていないのだ。だから、彼女が言っていることが嘘だとしたらすぐに分かる。
だからか、俺には弥月が何を言っているのかさっぱり分からなかった。
つまり嘘だ。
食べさせあいってなんだろうか……。
その言葉の不穏さもさることながら、彼女が部室に入る時にさらっと鍵を締めていたのも個人的には恐怖ポイント高めである。帰りたい。今すぐ弥月に本当は記憶があるんだということを暴露したい。でも出来ない。
自分で自分の首を締め続けるのを自縄自縛というだとかなり前に弥月から教わったような気がしたが、今の状態が正にそれ。
二進も三進も行かなくなった俺が首をかしげたまま固まっていると、弥月が丁寧に教えてくれた。
「つまりですね、ハル先輩は私に、私はハル先輩にお弁当を食べさせ合うのです」
「それになんの意味が……?」
「部員同士の仲を深めるって、ハル先輩が教えてくれたんですよ」
教えてねぇよ。
「そうなんだ……。じゃあ、文芸部伝統の活動なの?」
「さぁ……。私が入った時に三年生の先輩はいなかったんで、ハル先輩しか知らないと思います」
いや、そんなわけ無いよね。
弥月が言い出したんだよね。
喉元まで出かけた言葉をぐっと飲み込んで、俺は続けた。
「ふうん? じゃあ、俺は弥月以外の人ともやってたのかな」
「やってないです!」
「ん?」
「あ、いえ……。なんでもないです……」
俺は弥月の言い出した『食べさせ合い』がさも本当であるかのような振る舞いをしたのだが、それをすぐに諌めたのは他でも無い弥月。顔を真赤にして、すぐさま席から立ち上がると俺に突っかかるようにしてその可愛い顔を近づけてきた。
お前、信じさせる気無いだろ。
「だ、だってこの部活にはハル先輩以外の部員がいないって、先輩が言ってたんですよ!」
「じゃあこれは俺が提案したの?」
「そういうことです」
提案してねぇって。
「だから、私たちは毎日これをやってたんですよ。先輩」
「毎日……?」
「私たちは仲良しだったんですから」
だが、俺の記憶が無いことにあることないこと言いまくれる弥月は気を良くしたのか、再び隣の席に座り直すと俺の弁当を勝手に開いて、俺の箸を手に取ると器用にハンバーグを持ち上げて、
「ほら、先輩。あーんです」
なんてことをやってきた。
仕方がないので俺はそれを食べると、今度はお返しとばかりに弥月の弁当を手にとって彼女の口に運んだ。
「……むぅ」
「どうしたんだ?」
「先輩、上手です」
「上手だと何かマズいのか?」
「一体誰と練習したんですか?」
そんな上手いか? てか、他人の弁当を誰かに食べさせるのに上手いとか下手とか存在すんのか??
「弥月じゃないの? 俺は誰かと食べさせあいなんてした記憶がないから」
「そ、それなら良いんですけど……」
と、ちょっと満更でも無さそうな顔して、不満の矛先を収める弥月。
なんてことをやりながら弁当を互いに食べさせあうという謎の時間を過ごしている間、俺はこの行為が何かに似ているということをずっと考えていたのだが……いまいち思い当たるものがない。
なんだろこれ……。
そう考え続けながら、弥月の弁当に入っているミニトマトを彼女の口に運んだ時に思い当たった。
これあれだ。餌付けだ。
餌付けに似てるんだ。
昔、友達が小鳥を飼っていて一度だけ餌やりをやらせてもらったことがあるから、それに似てるんだ……。と、後輩の可愛さの方向転換を終わらせると、弥月は大変満足した様子で弁当をしまい込み、自販機で買った緑茶を飲んでいた。
渋いもん飲むなぁ。
「そういえば先輩」
「ん?」
「昨日、芽依先輩とどこに行ってたんですか?」
俺がそんな彼女を横目に見ながら麦茶を飲んでいると、唐突に爆弾を放り投げてきたのでむせそうになった。
急に何言い出すんだこの子は!?
「……何の話だ?」
しかし、努めて記憶が無いように。
全く何も知らないかのように俺はしらを切る。
「だってこれ、先輩ですよね」
「…………」
そう言って弥月が俺に見せてきたのは、今朝に恭介から見せてもらった俺と芽依が一緒に歩いている写真。いや、一緒に歩いているだけなら良いが、俺の腕には小柄な芽依が抱きついている。
「……そうだな。俺だな」
「病院の帰りにしてはおかしいと思うですよ。だって、こんなに芽依先輩がハル先輩に抱きつくわけないですもん」
「そ、そうかな……?」
「ええ、おかしいです。だってハル先輩と私は付き合ってたんですから」
「え、そうなの?」
「はい。ハル先輩は記憶を無くしているから分からないかも知れませんが、私とハル先輩は付き合ってたんです。それに、将来も約束してたんです」
「しょ、将来って……?」
「結婚に決まってるじゃないですか」
ほら、またさらっと嘘を付く!
俺はその話断っただろ!!
弥月は俺に圧をかけるようにして、こっちに近寄ってくるものだから俺は思わず後ろに引こうとして……そのまま、椅子ごと後ろに倒れた。
ガンッ! と、大きな音がして椅子が倒れるが、俺は手をついて頭をぶつけるのを回避。だが、弥月はそんな俺の膝の上にゆっくりと座る。
「な、何やってんの?」
スカート越しに弥月の柔らかいおしりの感触が伝わってきて、俺が言葉を失っていると、弥月はそのまま俺にキスをしてきた。
何が起きているのか理解ができず、固まったままの俺に一分近くキスをした弥月はゆっくりと話すと微笑んだ。
「また先輩のファーストキスをもらっちゃいました」
「……また、って」
「記憶があるときのハル先輩のファーストキスも、私だったんですよ?」
こればっかりは事実なので何も言えずに、俺がへたりこんでいると弥月はさらに唇を重ねてきた。
「お昼休みは長いですから、たくさんできますね。先輩」
このために鍵を閉めたのかよ。こいつ……。




